ずいぶん間があいてしまった。
というより、間をあけてしまった、が正しいかも。
理由は、(前回書いたように記憶しているが)
「ここでどんなに思ったことをありのままに書こうとしても、
結局は自らフィルタをかけてしまい(世間に忖度?)、
書ききることができない」し、
「本当に大事なことは、
身近な人からの口コミでしか伝わらないことを実感した」から。
(だから、自分が書ききることができなかったことや、
書くのを止めていた期間の大事なことは、
家族やごくごく親しい人たちには、
「口頭で」伝えていた)
それでも今回、書き留めておかないと、と思ったのは、
タイトルのとおり、
半年前よりも、
事実をありのまま(偏りなく)知ることがどんどん難しくなっているように感じたから。
改めて言うまでもなく、
この半年間に、とてもいろいろな「重大なこと」が起きた。
それらを「表面的に」記すことはできるのだが、
「偏りなく」「できるだけ正確に」
それらのできごと(の本質)を、
家族や身近な人たちに伝えることができるか、となると、
はなはだ心もとない。
そもそも、
自分が納得できる形で「なぜそれが起きたのか」を示している媒体が(見当たら)ない。
それらは、自分の眼で直接確かめることができないので、
何らかの(誰かの)記した/残したものから、
できるだけ客観的な事実を拾うしかないのだか、
それが「客観的な」事実だと確信できるものが少ない。
大変残念なことに、
自分の現在の感性では、
いわゆる地上波のテレビや、
一般紙(新聞・雑誌のたぐい)からは、
自分が納得できる形で事実や原因・論点を示しているものを見つけられない。
いずれも自分が「なるほど、そういうことだったのか」と思えたのは、
たまたまネット上で見かけることとなった、
ブログやネット記事、youtube動画だった。
(それらは検索上位にはなかったもので、
意識的にリンクやキーワードをメモしておかないと、
2度と参照できないようなものも少なくない)
それらの共通点は、
「客観的な(動かぬ)証拠や理論を、
論理の飛躍をせずに1つ1つつなげて、
丁寧に伝えようとしている」こと。
また、それにより、
前述の地上波のテレビや、
一般紙(新聞・雑誌のたぐい)で、
批判的・否定的に扱われている人たちの多くを、
自分は肯定的に見直す場合が増えた。
それらを通じて、
少なくとも、
身近に簡単に目にするメディアのみで、
あまり深く検証せずに、
事実として物事を受け止めたり、
人の評価をしたりしてはならないと思い、
肝に銘じるために、
自分を律するために、
今回あえて頑張って書き留めてみた。
とはいったものの、こんなんで
後々の自分や子供たちに、うまく意図が伝わるだろうか。。。
何もしないよりはずっとまし、、、なはず、、、
(またも最後の最後に弱気。。。)