ここでは 主に日銀が利上げできない真の理由について解説し、最後に日本が経済成長できなくなった理由についても説明する。

  長々とした説明で飽きてしまうかも知れないが、本当のことを知りたい人は読みこなせるだろう。




  お金(貨幣)を発行することを信用創造といい、近代資本主義経済の根幹は この信用創造の仕組みにある


  世の中に出回っている紙幣を発行しているのは 日銀(中央銀行)であるが、それ以外のお金(貨幣)を発行(信用創造)しているのは 政府や中央銀行ではなく民間銀行である。

  紙幣は貨幣の一部であるが、その量は少なく1割以下に過ぎない。


  ここが分かりにくく誤解の元になっているのだが、紙幣は現金決済用の媒体として使われるだけであり、世の中を動かしているお金(貨幣:通貨)この現金ではなく 民間銀行の預金口座にあり、そのお金の大半は口座間で情報として行き交っていて、こちらの方が現実の経済を動かしている主要なお金である。

  そして この経済を動かしているお金を発行しているのが民間銀行である、ということなのだ。


  日銀は 直接市場にお金を供給するのではなく、民間銀行が発行するお金の量を調節することで 間接的に世の中(市場)の通貨供給量をコントロールしている。


  普通の人や企業が そして政府さえも(*)お金を借りる相手は民間銀行であり、誰かが借金するときに銀行はお金を貸すワケであるが、このときに貸すお金が信用創造で創られる貨幣である。


  つまり 信用創造は借金によってなされる

  だから 誰も借金しないとお金はできない
  そして 皆んなが借金を返済してしまうとお金は世の中から消えてなくなってしまう
  銀行からの借金と信用創造は イコールだ。

  このとき銀行は 預金で集めた手持ちの資金を貸出しているワケではなく、何もないところからお金を創りだしている

  つまり、無からお金を創ることが 信用創造なのである。


  このように からお金が生まれるのだが、このときに プラスのお金と同時に マイナスの借金も生じている。

  すなわち、ゼロから 絶対値が同じプラスとマイナスのお金が生まれているのであって、プラスのお金だけが単独に生成されるのではない。


  借金が 同時に所得にもなっているのだ。

  その所得は いずれ返さなくてはならないのだが、利子さえ払い続けることができれば いつまでも借りておくことができる


  この信用創造で創られるお金は、ゴールドスミスが発行した手元にない 9割の(幻の)ゴールドの預り証に相当するものである。
  誰かが借金した瞬間に、銀行は無からお金を創って それを借金した人(企業)の口座に書き込むだけ。
  まさに 口座に書き込むだけなので、信用創造で生まれるお金は 万年筆マネーとも呼ばれる。


  銀行が貸しだす この万年筆マネーは 銀行にとって借金(債務)であり、その借金は借り手の差しだした借用書(債権)によって将来相殺される

  つまり、お互いに借金しあっているだけなのである。


  国債は国の借用書であり、紙幣(日銀券)は日銀の借用書である。

  国債を国(政府)に持ち込めば お金を渡してくれるし、紙幣を日銀に持ち込めば ゴールドに変えてくれた(時代があった)


  貨幣とは(ゴールドスミスの預かり証と同じような)借用書(借りたことを示す証明書=情報)であるとも言える。

  歴史上もっとも古い貨幣は 貸し借りを記録したシュメールの粘土版である。


  借りた人は借用書を差しだし、その借用書に書かれた契約に従って一定の利子をつけて返さなくてはならない
  この借用書(契約が 信用創造の信用の役目を果たしている。借りた人が必ずちゃんと返してくれるハズだと信じれることが信用(担保)となっているのである。


  信用創造は借金であり、借金には かならず利子がついている

  つまり「お金が生まれるときには かならず利子がついている

  このことが超々重要であり、これこそが近代資本主義経済の基本原理 なのだ

  財政ファイナンス(や 政府紙幣発行)では 事実上利子を払う必要がなくなるので、それは 資本主義を否定することに繋がる。

  繰り返す、

「① お金は借金することで無から生まれ

   ② そのお金には必ず利子がついている」 という2点が 資本主義経済の根幹である。


  お金が無から生まれることを知っていても、そこに利子(特に国債の利子)がついていることの重要性を認識していない人たちがいるので、この点をよく頭に入れておいて欲しい。


  この利子の存在こそ経済を発展させる(生産性を高める)ための駆動力であり 「仕掛け」 である。

  だから、資本主義社会における借金のおもな主体として想定されているの国ではなく企業なのである。


  さらに言えば、利子の存在(と その返済)は 近代的な価値観の大元にもなっている。


  約束を守るハズだと考えることが信用することであり、そして本当に返してくれるのか その能力があるのか 信用していいのか、それを判定するために銀行が行うのが信用調査であり、お金を貸すための前提となる信用を与える(信用することを与信という


  ゴールドスミスは 1割の実物ゴールドを元手に 9割の信用創造を勝手に行っていたが、では 現代の銀行で実物ゴールドに相当するもの(信用)は何なのか

  それは法定準備金と呼ばれているものであり、各銀行が中央銀行の当座預金口座に預けているお金のことである。


  この準備金によって、中央銀行が民間の銀行の信用を保証してる

  そして 中央銀行の信用を保証するものは、金本位制の時代は ゴールドスミスのときと同じ 中央銀行が保有するゴールドであった


  しかし 1971年のドルショック以来、それは中央銀行を設立した政府(=国家の信用に変わった

  国家の信用とは 正しく経済運営しているという信用であり、その国の発行する貨幣の価値に相当するモノやサービスをいつでも提供できるという信用(国家の生産力=経済力)のことである。


  中央銀行は(民間)銀行の銀行なのだから、企業や個人が銀行に口座を持っているのと同じように 民間銀行は中央銀行に口座を持っていて、これが当座預金口座と呼ばれるものである。


  銀行が 決済のために当座預金口座からお金を引き出すときに日銀は 信用創造によって紙幣を刷って対応する

  個人や企業が 預金口座からお金を引き出すときは銀行は この紙幣を使用する


  取り付け騒ぎのように 突然たくさんの引き出し要求があり 日銀に預けてある自行の当座預金だけでは足りなくなるときは日銀が このお金を担保にして助けてくれる

  というか いざというときに日銀に助けてもらうために、各銀行は法定準備金を預けておかなくてはならない


  このようにして中央銀行が守ってくれるので、国家全体の金融システムが安定していられる

  その準備率はだいたい1%なので、民間銀行は その100倍のお金を貸す(創る)ことができる


  したがって原理的には この準備率を変えることでも世の中のお金の流通量をコントロールすることができるが、これでは世の中の利子は変わらない。

  資本主義経済でお金の流れを調整するためには 利子をコントロールすることが本質的なので、中央銀行の金融政策は もっぱら政策金利の調節によってなされる


  この金利は、法定準備金の量を調節することによって決めることができる(量の調節の仕方は後述する)

  だから、この準備金制度こそが 近代金融システムの根幹であると言える。

  アメリカの中央銀行がFRB連邦準備制度理事会)という名前なのは このためだ。


  では その法定準備金を民間銀行銀行はどうやって集めたのか?  

  その元になったのが 国民や企業が銀行に預けた預金なのである。

  銀行はその預金を中央銀行の当座預金口座に預けて、これを担保としてその100倍までのお金を貸して(創って)よいと許可されている


  一方、日銀は 信用創造で銀行の当座預金量を簡単に増やすことができるので、その影響力の効率は 銀行の100倍であると言える。

  つまり、中央銀行は 民間銀行に対して(100倍効率的な)信用創造を行っている


  だから、民間銀行が 国民から預かった預金をそのまま企業に貸して その利息差で儲けていたワケでなく、その100倍ものお金を貸せた(創っていた)のである。

  そして 貸出したお金の99%の元手はかかっていないの(無から生みだしたのでゼロ)だから金利が上がると銀行はとても儲かる


  これが、現代の 中央銀行を司令塔とする銀行システムである。

  かつては 中央銀行が存在していない時代もあったのだが、DSが中央銀行制度を強力に推進し そして 世界中の中央銀行を支配下に置くことで、世界中の金融の在り方をコントロールできるようになった


  前述したように 中央銀行の力は圧倒的なのだからそれを支配するDSの力も圧倒的なものになる


  これが DSの絶大なパワーの源泉であり、経済の血液とも称される金融を支配することで 資本主義経済全体を意のままにコントロールすることが可能になった


  だから 彼らの力を持ってすれば、巨大なバブルを創って破裂させることも インフレを起こすことも 簡単にできるというワケだ。

  ただし、それを大衆に悟られずに 自然に起きた様に装うことの方が はるかに難しい


  アメリカの歴史は この中央銀行の設立をめぐる DSと愛国者たちの闘いの歴史でもあったのだが、1913年にFRBができたことで その闘いはDSの勝利に終わった

  しかし 愛国者の抵抗は今なお続いており、トランプは この愛国者の系譜に位置づけられる。


  FRB理事は 大統領によって指名され 上院で承認されて決まるのだが、FRBは 政府の子会社ではなく FRBの株主はDSであり、実質的には DSの完全な支配下にある


  これによって アメリカの支配者が 多数派のWASP(イギリスから移民したキリスト教徒の白人)から 少数派のユダヤ人(国際金融資本家)に変わり、このときが DSが世界の支配者になった瞬間であった。


  銀行とは 自己資金だけで高利貸しを営むサラ金とは根本的に違い、安い金利で集めた手持ちの資金をより高い金利で貸してその利ザヤを取るというような 単純なビジネスモデルではない


  銀行(バンク)とは、いままで述べたようにして 無からお金を生みだせる 非常に特別な存在なのだ

  これは サラ金よりも詐欺的ではないか。 いや サラ金は詐欺ではないので、これはサラ金に失礼な言い方だった。

  バンクとノンバンクの違いは 信用創造できるかどうかであり、その差は天と地ほども大きい。



  戦後間もない頃は 企業の資金需要に対してこの準備金が不十分だったため、足りない分は中央銀行からお金を借りて それを貸出していた

  どれだけ借りれるかは おそらく預金量に比例していて、そのために預金集め競争をしていたのだろう。


  このお金を貸すときの金利が 公定歩合と呼ばれるものである。

  民間銀行は 当然この公定歩合より高い金利で企業に貸出すことになるため、日銀はこの利率を変更することで銀行の貸出し金利を調節することができた。


  この公定歩合が当時の政策金利であり、政策金利が各銀行の貸出し金利の基準になるので、これによって国内に流通する貨幣の量をコントロールできた

  この時代は預金金利も公定歩合に連動していたので、預金の金利はどの銀行に預けてもまったく同じであった。


  日銀から借りたお金で(公定歩合と貸出し利息の金利差で)稼ぐより、国民から預かった預金を当座預金口座に納めて信用創造する方が(信用創造分は元手の利子が不要なので)はるかに有利であり預金集めは当時の銀行にとって死活問題であったと思われる。


  そして一般国民や企業からの預金が増え、つまり国民が豊かになり、日銀から貸出し資金源としてのお金を借りなくてもよくなった(自前の信用創造だけで十分になった)

  そのため、政策金利は公定歩合でなく 短期インターバンク市場の金利である無担保コール翌日物レートを調節することに変わった。


  民間銀行は日銀に当座預金口座を持っていて、この預金は 法定準備金と決済用の資金に分けられる

  当座預金には利子がつかないので 決済用資金残高を可能な限り少なくしているのだが、それでは ときに足りなくなることがある。

  このときは足りない分を他行から1日だけ借りることになり、この銀行間で貸し借りする市場が短期インターバンク市場であり そのときの金利が無担保コール翌日物レートと呼ばれた。


  日銀は ごく少量の国債の買い/売りオペレーション(後述)によって民間銀行の当座預金を増やす/減らすことで 間接的にこのコールレートを下げ/上げることができるので、オペレーションを行うことで政策金利を調節することができる。


  日銀法によって決められた日銀の役割は、国内に流通する通貨の量をコントロールすることによってインフレ率を(1〜3%くらいの)適正な水準に保つことであり、これを行うもっとも効果的効率的な方法 今まで述べてきた 「政策金利による市場金利の調節」 である。


  現在の日銀は、主に公開市場操作(オペレーション)によって市場に流通する通貨量をコントロールしている。

  公開市場操作とは、日銀と銀行間で国債を売り買いすることにより 民間銀行の当座預金量(法定準備金)を変化させて貸出し可能量を増減させ、それによって市場の貨幣量を調節する仕組みである。


(日銀が国債を買い入れる)買いオペ国債を買って その代金を売ってくれた銀行の当座預金に入れて法定準備金を増やすことで 銀行の貸出し可能額が増えて、その結果 企業が借りてくれれば通貨の流通量が増える金融緩和)という仕組みである。

  売りオペレーション、この逆(金融引き締め)である。


  そして 公開市場操作の在り方は、そのときの政策金利の状況によって以下の二つに分かれる。

  ① 金利がある(0%でない)ときのオペレーションは、前述したように ごく少量の国債の売買によって 無担保コール翌日物レートを変化させることで 金利の調節を行う(**)ことが目的なのだが、

  ② 金利がない(0%の)ときの買いオペの目的は 金利調節ではなく、通貨供給量の増大そのものに変わる。


  そして、②のときに購入する国債量は ①のときと比べると格段に大きくなり金融を調節する効率は 投入する資金量に比してかなり落ちてしまう


  ②は副作用が大きいために 非主流非伝統的な方法であり本来は あくまでも緊急時に・できるだけ少量 しかも一時的にするために短期の国債を買い そして少しでも早く売ることが想定されていた。

  それは元々、国債の発行が少額に留まるように設計されていたことの裏返しでもある。


  ところが 日本では 2001年から欧米では 2008年のリーマンショック以降、この手法の方がメインに使われるようになってしまった。


  本来 金融政策のメインは ①の政策金利による通貨量の調節であり サブが ②のより直接的な通貨量の増大なのだが、これが逆転して ②の金融緩和がメインになったものを 量的緩和政策と呼ぶ


  これは、各国で国債が大量に発行されたため それに対応して取られるようになった金融政策であり、量的緩和政策とは 中央銀行による国債の 間接引き受け 政策であるとも言える。


  後述するように、いったん この量的緩和政策で民間銀行の当座預金量が増えてしまうと コールレートを政策金利とすることができなくなり、政策金利を変化させるためには 中央銀行の負担を著しく増やす方法しかなくなってしまい、この状態は過剰な当座預金がなくなるまで続くことになる。

  これが もっとも大きな副作用だろう。


  日銀が各銀行から国債を買い上げるときの資金無から生みだしたもので、銀行の当座預金口座にただ書き込むだけである。

  公定歩合で銀行に元手資金を貸していたときも 同じように信用創造を利用して無から生みだしていた


  つまり、日銀は 民間銀行に対して信用創造を行い民間銀行は 企業と国民政府に対して信用創造を行っているという構図である。

  しかも中央銀行が行う信用創造に民間銀行の法定準備金に相当するものがないので、「完全に」 無からお金を生みだすことができ、だから それは無制限なのだ。

  経済の実務上では無理であっても、原理上はいくらでも 「無限に国債を買い続けることができるということだ。



  景気が悪くなると 企業の(投資のための)資金需要が減り、さらに それが経済活動を抑制してしまうという悪循環ができてしまう


  それに対して中央銀行は まず政策金利を下げて対応するのだが、金利下限があり 原則として 0%未満には下げられない

  0%に下げても景気が回復しない場合は、次の手法として 政府が大量の国債を発行し、中央銀行が量的緩和としての買いオペを行うことになる。


  政府が国債を発行するのは、上記の悪循環を断つために 一時的に政府が民間の代わりに需要を創りだして景気を改善させ、その後に民間需要が増大して経済が回復する(好景気になる)のを待つためである。


  世の中のお金を創りだすためには 企業が投資のために借金するのが資本主義経済の本来の在り方であり、企業は(借金による)投資で 「技術革新を起こして剰余価値を生みだし それで借金したときの利子を返す ことができる

  これが 経済成長するということである。


  その代わりに 政府が一時的に借金してお金を創りだすのが 国債発行という方法である。


  建設国債の場合はインフラ整備に使われ、それは税収の増加に結びつくの、それで借金の利子を返すことができる

  しかし ただ単に国民にお金を配るだけの赤字国債では 税収を増大させることは難しく、利子を払うためには増税するしかないのだが、赤字国債を発行するときは景気が悪いときなので、結局増税もできず 利子を返すことはできない


  つまり、

  企業は 利子を返せるアテのあるときにしか借金しないのに対し、

  政府は 利子を返せるアテがなくとも借金してしまう


  だから 赤字国債の発行は原則として禁じられているのであり、例外的に発行するとしても緊急時に少量だけと限定し、それが上手くいけば すぐに国債発行を止めなくてはならないのだ。


  一方で 中央銀行は、投資(需要)のために企業が銀行からお金を借りやすくするために 国債を買い入れて民間銀行からの貸出しを促す


  これも上手くいけばすぐに国債を手放して 金融引き締めをしておかなくてはならない

  ずるずると持ち続けると、後で述べるように 金利を上げるコストが莫大なものになり、中央銀行の財務が危機に晒される(***)からだ。


  そして、これでも上手くいかなければ 甘んじて不況を受け入れるしかないのだが、

  受け入れたくない国民は 政治家に圧力をかけ国債を発行し続けさせ、

  その政治家は 中央銀行に圧力をかけ国債を買い続け(お金を増やし続け)させることになる。


  国債をどんどん発行し続ければ 債券市場はこれを受け入れにくくなるので、市場原理に正しく従うなら 国債の金利を高くしなくてはならないのだが、その国債を中央銀行に買い取って(間接的に引き受けて)もらえば 金利を安いままで維持できる


  これが量的緩和政策であり、この政策を採用している間は 政策金利を上げるために当座預金残高の利率を上げるしかないという異常な事態になっている(後述)


  金利のついた国債は 銀行に(信用創造によって)買い上げて貰うことで貨幣に変わり、政府は それを政策行使のために使う(国民に配る)

  日銀は 銀行の持っている国債を(信用創造によって)買い取り、その代金として銀行の当座預金( ≒ 準備金 ≒ マネタリーベース)が増える

  

  このような形で 銀行が(預金による)信用創造で買った国債が(日銀の信用創造で)法定準備金に化けることで 銀行の貸出し能力が飛躍的に増えるというメカニズムは、

  つまり(預金でなく 日銀による)信用創造で法定準備金を賄うことであり、

  これは(元手の100倍のお金を生みだす)信用創造の過程を もう一度繰り返すことになるのだから、理論的には10000倍の信用創造を可能にする(お金を創りだす能力を与える)ことになる。


  日銀が国債を買い上げる(つまり国債の間接引き受けとは 100倍の信用創造を10000倍に変えることであり、これは とんでもなく異常なことだろう。

  信用創造の 「信用の担保は、創造されるお金の量が元手の100倍までに限定されることで保たれていたのであり、したがって 「信用が かなり損なわれていると言える。


  つまり、中央銀行による国債の直接引き受けは無限のお金を生みだすが、間接引き受けでも無限に近いお金を生みだすことができる。 

  無限に近いお金を使い切れなければ、「無限無限に近い量とは実質的に同じことになるだろう。


  国債の間接引き受けは、信用創造のための法定準備金率を 1%から その100分の1の 0.01%に引き下げることに相当する。

  これでお金がジャブジャブにならないワケがない。

  金融が自由化された現代では このお金は日本という一国にとどまらず、世界中に(特にアメリカに)供給されている


 財政政策も金融政策も上手くいかずそれが積み上がった結果が今の状況であり、これが民主主義国家の実状なのである。

  中央銀行が政府から独立しているの本来このようなことを避けるためなのだが、結局は 政府(=大多数の国民)の言いなりになるしかないのだ。



  以上のことを踏まえれば、ここまで赤字国債を発行し続けてきたことが(そして それを中央銀行に引き取らせてきたことが)どれほど異常なことなのか理解できるだろう。

  国債を発行するのが当たり前と思っている政治家や国民(自分)が どれほど愚かなのか理解できただろうか?


  不況になったときに一時的に政府が支出を増やし(=財政出動し)有効需要を創りだすというのは ケインズ経済学の考え方であり、その流れをくむMMT(現代貨幣理論)、財政赤字の場合でもインフレにならない範囲であれば 政府が国債を発行して積極的に支出するのが正しい姿であると説明する。


  この理論を持ちだして、日本ではデフレが続きインフレになっていないので もっとどんどん国債を発行すべきだと主張する人たちがいる。

  しかし、過剰な国債発行とインフレは同時に起きるワケではなく、過剰な国債発行の歪みが溜まって限界に達した後に」 インフレが起こると考えるベキだろう。


  インフレにならなかったのは、黒田日銀総裁時代の量的質的異次元緩和政策によって 国債を日銀が間接的に引き受けることで 市場金利の低下を引き起こして、インフレの発生を無理ヤリ抑え込んで 延命させていたからだ。


  実は 3年目以降の異次元緩和の目標は、銀行の当座預金を増やすという量的緩和から10年国債利回りを0%付近に誘導するイールドカーブ・コントロールという質的緩和に変わっていて、これは まさにインフレを力づくで抑制する方法でもあり、金利を低く抑えることで国債を発行しやすくする意味もあった


  2%のインフレを創りだす宣言しながら 長期金利を0%にすることは 明らかに矛盾していて、3年目からの緩和政策は 矛盾に満ちたムチャクチャなものになっていたのだ。


  そう考えれば、2年間で2%(のインフレ)を実現するという公約が果たせなかった黒田異次元緩和政策は その時点で(つまり 2年後に)止めなければならなかったのであり、それを10年間も続けてしまった愚かさが分かるだろう。


  この量的緩和を10年も続けた結果、民間銀行の当座預金口座の残高はとんでもない額に膨らんでしまった

  この当座預金口座にあるお金は 民間銀行が貸出す(信用創造する)ための法定準備金であるから、銀行は超莫大な貨幣創造能力を手にしたことになる。


  しかし その100倍ものお金を貸出せる相手がいるワケはなく、現在は 集めた預金分の金額さえも貸出せていない。

  つまり 潜在的な貸出し能力の100分の1以下の量しか貸出せていない


  これは、国債として発行したお金国民の資産となって、この預金量を押し上げているためでもある。

  国民の預金は1000兆円、国債の買いオペで増加した当座預金は600兆円弱であるが、銀行が日銀に実際に預けている当座預金は500兆円ほどであり、これが法定準備金に相当する。

  とすれば、この100倍の貸出し(信用創造)能力は 5京円という気の遠くなる量になる。


  何度も同じ言葉を使うが、この異常さは ヤバいだろう。

  まともな方法でこの準備金を適正な値に戻すことは もはや到底不可能であり、異常に積み上がった国債残高の処理と同様 大インフレによって是正するしか方法は残されていない


  そして 日銀の買いオペによる 節操のない量的金融緩和政策(=国債の間接引き受け)、民間銀行の貸出し能力をはるかに超える準備金の増加を引き起こすとともに、債券市場から莫大な量の国債を買い上げる(吸い上げる)ことで 本来自由であるベき債券市場の姿を歪め、長期金利は不当に低いままにされた。


  これもまた大きな副作用であり、この低金利が安易な国債の発行を続けさせる元にもなり、こうなってしまうと もはや健全な資本主義とは呼べず、大きな問題を孕はらんだものとなり果ててしまった


  現在、量的緩和政策によって 信用創造のための(日銀にある民間銀行の)当座預金量は莫大なものに膨れ上がっている。

  適正な当座預金量は 30兆円程度と想定されるが、現在の当座預金量は 500兆円を超えるレベルなのだ。


  本来 一般の預金によって充当されるべき当座預金(準備金)が これほど有り余っているのだから、新たに預金を受け入れる必要はなく、したがって 国民が預ける預金の金利は(インフレが続いて、仮に政策金利が 数%高くなったとしても)量的緩和状態が解消するまでは 低いままだろう。


  すなわち、インフレで物価が上がっても 預金金利は上がらないので 預金はどんどん目減りしていくということであり、これに気づいた人は 預金を降ろして投資に回すことになる。

  こうして資金逃避が起こり、大きな円安要因となる。

  この行動は 早いもの勝ちとなり、遅れるほど 被害は大きくなるだろう。


  後で述べるように、日銀は 債務超過を防ぐために政策金利を上げたくとも上げられないのだが、仮に政策金利を上げれたとしても 預金金利は上がらないということだ。


  民間銀行のビジネスモデルは お金を貸して(信用創造して)利子を得ることであるから、無理やりにでも誰かにお金を貸そうとする

  そのお金は モノやサービスを生産する実体経済に収まり切らず、溢れた分は(虚構の)金融市場に向かうことになる。


  そのために今、史上最大の株バブル不動産バブルが発生している。これは、1991年に日本のバブルが弾ける直前とまったく同じ状況ではないか。


  前回は 経済成長がピークに達したときのバブルであり、今回は 経済が衰退し続けている最中のバブルなので、世間の雰囲気はずいぶん違うようだが、起きていることは 金あまりというまったく同じ現象である


  あのときは バブルが弾けてあんなにも後悔したのに、30年も経てば 皆んなすっかり忘れてしまっている

  今度のバブルだけは弾けないとでも言うつもりなのか? 

  人間はいつも同じことを繰り返してしまう存在なのだ。


  バブルその崩壊、そして 大インフレ

  これらは すべて不健全な資本主義の歪みが溜まった後に 時間差を持って引き起こされる異常事態である。

  日本のバブル崩壊やリーマンショックで起きたことは バブルの発生と崩壊だけだったが、今回はそれに大インフレまで加わることになる。


  資本主義は、いつもこのように不健全なものだったのだろうか? 

  それとも資本主義とはこの不健全さをも包含するものなのか

  この不健全さは 資本主義のせいでなく、それを操る人間のせいなのか

  


  銀行の当座預金口座残高が有り余っているのだから、インターバンク市場も無担保コールレートも不要になる。

  そうなると市場金利を操作する手段としては、この当座預金(の一部)に金利をつけることしかなくなる


  そうなれば 日銀が金利を払ってくれるので、企業に貸出すときの金利は これ以上のものになる

  これが、過去のコールレートに代わって 現在の政策金利を決めている方法である。

  

  ついこの間まで 日本の政策金利はマイナス0.1%であると言われていた。

  実は 法定準備金としての当座預金には 元々金利がついていなかったが、量的緩和により当座預金が溢れるほどになってからは、マイナス金利の部分と金利の部分とプラス金利の部分の三つに分かれていた。


  マイナス金利というのは、このマイナスの部分だけを取り上げたものである。

  そして 買いオペで増えた余分な当座預金には金利がついていて、それは 0.1%であり、こちらの方が マイナス部分よりはるかに多い。


  7月31日の政策決定会合で政策金利が 0.1%から0.25%に引き上げられたというのは、このプラス金利部分の当座預金金利を引き上げたということなのである。

  このとき何の説明もなく唐突に 0.1%という数字が出てきたのだが、それは 上記のようなカラクリがあったからだ。


  政策金利がこのようになってしまうと、金利を上げるためには 民間銀行により多くのお金を払わなくてはならなくなる

  このお金は信用創造によっていくらでも生みだせるとはいえ、会計上ではどんどん日銀の出費が増えて、日銀の財務状況が悪くなっていく


  日銀の場合 国債を600兆円近く抱えており、その金額に近い530兆円分の当座預金に金利をつけざるを得なく、政策金利を1%にするためには 1年間で5.3兆円の支払いが必要になる

  そのために 1.1%以上に金利を上げてしまえば、1年で債務超過に陥ると言われている。

  だから 金利を上げるとしても、債務超過にならないように、せいぜい 0.50.75%まで上げるのがやっとだろう。


  これは買いオペによって銀行の法定準備金が増えて貸出し余力も増えたにも関わらず、実際の貸出しはそこまで増やせないために 準備金がダブついてしまったためである。

  準備金がダブつけば、もうコールレートの操作ではどうにもならない。というか、インターバンク市場自体が不要になる。


  だから 公開市場操作は、準備金がダブつかないように あくまでも緊急時に少量だけ一時的に行うものだったのである。

  そして、この状態は過剰な準備金がなくなるまで続くのであり、過剰な準備金をなくすこと(出口戦略) とても難しい


  モノやサービスを生みだす実体経済での貸出し量が増えないなら 買いオペをしても何の意味もない(実体経済が良くならない)こと、つまり 今までやってきたことには意味がなかったことが、理解できただろうか?


  そして、実体経済ではなく金融経済市場に過剰なお金が流れ込むことでバブルを発生させてしまったことが、理解できただろうか?

  

  債務超過になってしまえば日銀の中央銀行としての信用は著しく低下するので、これ以上 金利を上げることができない

  これが、(大予言シリーズの中で言っていた)日銀が利上げできない真の理由である。


  このために 日米の金利差が大きくなり、円安になりインフレになってしまったのだ。


  日銀が利上げできない(しない方がいい)のは、

  利上げすると やっとデフレを脱して成長過程に戻れそうになりつつある日本経済の逆風になるからだ、もしくは 

  利上げすると 長期金利も上がり、その結果 国債を発行する際の金利が上がってしまい 国債が発行しにくくなるからだ、と 説明されている。


  確かに そのような側面もあるが、もっとも大きく 決定的な 本当の理由は ここにあったのだ。

  もう一つ付け加えるなら、短期の政策金利を上昇させれば長期金利も上昇し、長期金利の上昇は新規に発行する国債の金利を高めてしまうので 政府にとって不都合である、という側面もあっただろう。


  これが、私が 大インフレが起こるが 日銀は何もできない と言っていたワケである。

  こんな酷いことになっていれば、大インフレが起こることは避けられないだろう。

  膨大に膨れ上がった国債残高を減らすにはこれしか方法がないのだ。


  そして、おそらく欧米でも(中央銀行の債務増加という)事情は同じだと思われる。

  欧米より日本の方が 中央銀行の国債保有量は圧倒的に多いが欧米の5%ほどの金利もまた 日本と比べれば圧倒的に高いと言える

  その欧米では これだけ政策金利を上げているので、すでに債務超過になっていたとしても すぐに破綻するワケではないのだろう。


  とすれば、それを 一時的な問題としてこれから処理するということなのではないか?

  では、それは一体 どんな処理なのか?

  それが、大暴落と大インフレという処理なのではないか?


  日欧米の中央銀行の多くが すでに債務超過になっている なる直前にあるとすれば、それは 今まで経験したことのないとんでもない事態であり、それが どれだけ異常なことなのか理解できるだろう。

  これが「中央銀行バブル」 の正体である。


  さらに もう一つの理由として、日銀が利上げできないのは このバブルを膨らませるための資金源として DSに利用されていた(命じられている)ためであろう。

  今までも アメリカが株式市場に資金供給できないときは、いつも ヨーロッパか日本の低金利の資金が キャリートレードという形で利用されてきたようだ。




  大恐慌の後 欧米の金利は下がるだろうが、同時にインフレも再燃するので、政策金利は依然として日本よりは高いままであろう。

  こうしてある程度の金利差が継続するので日本は円安が続き、輸入物価の高騰によって欧米よりさらにインフレになりやすい状況が続く。

  この金利差は もはや金融政策の問題ではなく、日本経済のファンダメンタル(国力)によると言っていいだろう。


  日本の生産年齢人口が減りだしたのは1995年からであり、この年から需要減少によるデフレが始まっている

  1995年には8700万人だったものが 2023年には7400万人と なんと1300万人も減ってしまった

  これは 毎年50万人ずつ減少したということであり、これからしばらく先も 毎年50万人ずつ減っていくということである。


  生産年齢人口(15〜65才)の減少には、労働力の減少による生産の低下と 活発な購買者の減少による需要の低下という二つの側面があるが、需要減少の影響の方が大きい


  産業革命以後、経済成長の決め手は 生産でなく需要の大きさにシフトした。

  したがって 日本の需要減少は致命的なものなのだ。

  人口ボーナスがいかに経済を成長させ人口オーナスがいかに経済を停滞させるか。

  この要因は 経済にとってたまたまなどと言うものでなく、決定的なものである。


  いずれの国においても 著しい経済成長は、衣食住を満たそうとする若年者人口の増大(人口ボーナスによってなされた

  一方、高齢化を伴う少子化(人口オーナス)による需要減少の対策は とても難しい


  現在の日本の経済は 製造拠点の海外移転によって 外需(輸出)でなく内需が主たるものになっており、この内需の担い手である生産年齢人口が減っているのだから 経済成長できないのは当然なのだ。


  日本経済停滞の原因はデフレにあると言われてきたが、そのデフレの根本的な原因は この生産年齢人口の減少だったのだ。

  生産力の減少は生産性を上げることによって克服できるが、人口減少に伴う需要の縮小を補うことは極めて難しい


  したがって日本経済を立て直すには、異次元緩和のような金融政策でなく、生産年齢人口を増やすような政策が必要だったのだ。


  労働力の減少に対しては 高齢者や女性の労働参加率を高めたものの それでもまだまだ労働人口は足りないので、好むと好まざるに関わらず これから移民をもっと増やさなくてはならない

  2017年には 外国人労働者とその家族を合わせて250万人ほどの規模であったが、今後間違いなく この人数はどんどん増えていく


  毎年減っていく50万人の生産年齢人口を移民で補うためには、同じだけの人数の移民を招き入れなくてはならず、その家族も入れれば膨大な数になってしまう。

  現実的に そんなことは無理だと思われるので、人口問題の解決策はないということだ。


  つまり 今後 移民の数が増えて日本社会の単一性が損なわれ 大いに混乱するにも関わらず人口問題が完全に解決することはない

  一方ヨーロッパの国々やアメリカでは 莫大な数の移民により人口が増加しているが、社会の混乱は すでにはるかに酷いものである。

  一体 どっちの方がマシだと言えるのか?


  また 高齢者が労働力になっても、生産年齢の人たちと比べると 購買者としての需要はあまり増えない

  需要を増やす点では 移民労働者とその家族の寄与が大きいだろうが、そのための公共サービスや福祉の費用負担も大きくなるため、国全体の経済にとってどれだけ有用なのかを判定するのは難しい。


  そして 女性の労働参加率の上昇により 女性の権利意識が高まり、さらに少子化が進行するという循環も起きている。

  これは 日欧米韓国中国でも共通の現象であり、欧米で人口が増えているのは ひとえに移民の増加によるものである。

  人口ボーナスの果実をいつまでも味わい続けることはできないのだ。


  日本の生産年齢人口が減りだしたのは1995年からであるが、それに応じて 30年かけて女性や高齢者の労働参加率を増やしたり、労働者を多く抱えていた工場を海外に移転させることで対処してきた。

  しかし、その対処が限界を迎えつつあったタイミングでコロナショックが発生して 労働市場から人が去り、コロナ・パンデミックの収束とともに経済活動が再開したところで 人手不足が一気に明らかになった


  だから この労働力不足は一時的なものでなくこれからますます酷くなり、AI化されたロボットが労働力となったり、日本の在り方が大きく変わるまでは 延々と続くことになるだろう。


  最近 急に起きたように見える人手不足はこのように準備され 発現したものである。

  そして この状況に輪をかけたのが働き方改革による労働時間の制限である。

  このタイミングでの働き方改革の実施には 何か意図があるように思える。


  また 経済成長のためには国外の企業による(日本に対する)対内直接投資も必要なのだが、この労働力不足と日本人の英語力の弱さにより、これもなかなか難しい

  現在 日本に対する対内直接投資は ほぼ世界最下位である。


  国内企業による対内投資が 海外に逃げて行ったにも関わらず、外国の企業による大型の対内投資は TSMCの熊本工場以外ほとんど見当たらない

  国内企業が 安い労働力を求めて海外に移転せざるを得なかった大きな理由もまた、国内の労働年齢人口の急速な減少による人手不足であった

  

  さらに 本来 不況のために倒産すべき企業を、補助金や低金利や不良債権に手ごころを加えたりすることで 無理ヤリ延命させてきたことも問題である。

  これらは主に 雇用の大半を占める中小企業であった。


  これらのゾンビ企業が 日本経済の足を引っ張っているのだ。

  ゾンビ企業などという酷い言葉を使ってしまったが、これらの企業の経営者の中には 徳のある優しい方もたくさんいるだろう。

  だがそれとこれ(人間性と経営力)とは 別のことなのだ。


  これは日本人の優しさからでた補助金政策であり、日銀の異常な量的緩和政策が引き起こした低金利のせいなのだが、それが資本主義経済システムに反することだと気づいていない。

  冷徹な経済の問題に 感情を持ち込んではいけない


資本主義経済を駆動するものは利子の力による頑張り」 であり、それが技術革新を生みだし 付加(剰余)価値を創りだしてきた

  この能力がなくなり 頑張れなくなった企業は この経済システムから退場しなくてはならず、それを促すものが不況だったのである。


  だから 不況によって競争力のなくなった企業が倒産するのは当たり前のことであって、このプロセス(新陳代謝)を阻害してはならないのだ。

  それを阻害してきたのが 共感性による感情に基づく日本という国の優しい政策であり、この間違い・この心性(日本人の共同体意識が 日本経済のファンダメンタルを低下させ続けてきた



  以上、日本が いまのままでは経済成長できない理由を説明してきた。

  もちろん、逆に経済成長の可能性を示唆する要因をいくつも上げることもできるだろう。

  しかし問題は どっちの数が多いかではなく、トータルとしてどちらの要因が強いのか ということである。

  私は、経済成長を阻害している要因の方が はるかに強く 優勢であると思っている。


  それを 国債を大量に発行することでゴマカシ続けてきたのがこの30年の本当の姿なのだ。

  つまり 借金で食いつないできただけなのだから、いつか破綻するのは当然のことである。


  これだけ溜まってしまった国債を、国家が 適正な方法で返済することなど 現実的にはできやしない

  そして、500兆円を超えるほどまでに膨らんでしまった当座預金量を、中央銀行が 適正と思われる30兆円に減らすことも 実際にはできやしない


  つまり、国家財政も金融システムもともに もう正常に戻すことは不可能であり、すでに潜在的に破綻しているのである。


  国債を発行し それを中央銀行が買い入れる(中央銀行による国債の間接引き受け)ということ いかに麻薬的なやり方であったか、理解できただろうか?


  信用創造という打ち出の小槌システムが いかに危険と隣り合わせなものなのか、理解できただろうか?


  DS(ユダヤ人) いかに巧妙な経済システムを創り上げたのか、理解できただろうか?


  今までのやり方は、延命効果しかない ただ嫌なことを先延ばししているだけのことであり、したがって いつかかならず破綻する

  それが 今まさに このときなのだ!



  そもそも金融政策によってインフレ率をコントロールしようとするときの大前提は 経済が成長している ことであり、過熱した経済を冷やして インフレ率を2%ほどに下げるために政策金利を調整するのが中央銀行の仕事である。


  経済が成長していないときに 中央銀行の政策によって(金融政策で)経済を成長させることなど、はなっからできやしない

「逆は真ならず」 なのだ。


  そして同じく 経済が成長していないときに 政府がお金を使って(財政政策で)経済を成長させることもできない話なのだ。


  金融政策や財政政策が経済対策として有効なのは、潜在的に(民間の・国民の)経済の活力があるときに 一時的にキッカケを創ったり その活力を適正な方向に誘導するからであり、もとになる経済の力が失われているときに 無理やり経済を活性化させることなど、どうやってもできやしない


  経済を成長させるエンジンは 唯一(民間の)企業の力(リスクを怖れないチャレンジ精神と それによる革新力)だけであり、それは 国民の旺盛な需要によってのみ支えられる

  公的な政策が一時的に経済を成長させたように見えても それは幻であり、いつかかならず そのツケは払わさせられるのである。


  そして 国の経済が成長する状況とは衣食住が満たされていないときに それを満たすことのできる条件が整ったときである。

  だから 衣食住を満たすために頑張り、その結果として成長するのが経済の正しい在り方であり、そのときに見られる現象が人口ボーナスなのだ。


  そして これが長く続くことはなく、衣食住が満たされて余裕ができると 出生率が減少して 人口は減少しだす

  つまり、人口ボーナスが人口オーナスに変わる

  これが、日欧米の先進国に共通して見られた現象である。


  もしも 人口が減るときにも経済成長しようとすれば、それは身の丈を超えた贅沢をするということであり、そんなことのために大事な地球資源を使うワケにはいかないだろう。

  しかし その贅沢のために大量の国債を発行してきたのが この20〜30年の先進国の姿であった

  贅沢をしているつもりはないと言うだろうが、途上国の人々と比べれば贅沢であることに異論はないハズだ。


  衣食住を満たす以上の経済成長は不要であり害悪であるとさえ言える。

  人口が減りだしたときは 経済も縮小すべきであり、一人当たりのGDPが維持され 衣食住が満たされていれば それで十分なのだ。

  その認識を持てず それができなかったことが、ここ数十年の誤りだったのではないだろうか? そして それは国単位で経済を考えていたから起きたことだったのではないか?


  先進国と呼ばれている日欧米の国民たちは、贅沢に慣れきってしまい その贅沢を奪われることを恐れているだけではないのか?

  もちろん これは元々その国に住んでいた平均以上の国民の話であり、元々の国民の中にも貧しい人たちはいるし、新たに移民してきた人たちの大半はそうではないだろう。


  人口構成が変わらずに人口が減るだけでも 国全体の経済は縮小していく。

  そこにさらに 少子高齢化という人口構成の変化も伴っていれば、お世話される人が増えてお世話する人が減るということなので、一人当たりのGDPを維持することさえ難しいだろう。


  資本主義経済が適切に駆動されて皆んなが頑張り 技術革新を起こし続けることができれば、何とか一人当たりのGDPを維持できるというくらいのものではないだろうか?

  しかし 衣食住が足りてもなお 頑張り続ける意思の力は 一体どこから出てくるというのだろう?


  かつての私も そうだったのだが、皆んな 難しい経済のことは専門家に任せておけばいい、素人が口出しをしてはいけないと 考えているのではないか


  経済の実務は難しいだろうが、原理は限られているので、頑張れば何とか 今まで述べてきたような理解に到達できる(できた)

  そして正しく理解できるなら、国民は政府(他者)に無理な要求をしなくなるだろう


  そうではないだろうか?  それは無理なことなんだろうか

  そんなことは無理に決まっているだろう、賢くて優越感に浸っているDSなら ニヤニヤしながら言いそうだが…


  世界全体で その中の一人ひとりの衣食住が足りていれば 経済の問題はもうそれでいいだろう。

  その上で 一人ひとりの個人が 自分らしい幸せを追求すればいいのではないか? 

  経済の問題を包含しつつ、個人の生き方の問題として 幸せを目指すことのできる世界システムをどう構築していくのかという視点が大切だろう。



  今回は、バブル崩壊以降の日本 およびリーマンショック以降の欧米におけるお金の在り方(財政・金融)が いかに異常なものだったのかについて説明した。

  当たり前だと思っていたことが 実はとんでもないことだったと 分かってくれただろうか


  これだけとんでもない状況なのだから大暴落が起きて、さらに大インフレが起きなければ 経済は正しい在り方に回復できず、回復できなければ 新たな発展も望めないだろう。


  今のままでは イケナイ。  変わらなくては ナラナイ




[2024年9月27日:追記]
* 政府が民間銀行でなく中央銀行から直接借金をすること(日銀による国債の直接引き受け)は 財政ファイナンスと呼ばれ、これは財政法の5条で禁止されている

  政府と日銀は事実上一体なので、財政ファイナンスとは 自分が自分からお金を借りることであり、政府がお金を発行することと同じだからだ。


[2024年10月1日:追記]

** 国債を売って民間銀行の当座預金量が増えても、この当座預金には金利がつかないので これを法定準備金として貸しだそうとするが、すぐには増やせない。

  そのため インターバンク市場で運用しようとするので、コールレートが安くなる。


[2024年9月24日:追記]

*** 量的緩和を行う場合、購入する国債は短期のものであることが基本であり、これは 満期に借り換えないことで 長期の国債保有を避ける智恵である。

  それなのに、異次元緩和政策時代の日銀は 長期国債の買い入れがほとんどであり、10年以上の国債も購入していた。

  これでは 満期で手放すために10年以上かかることになり、長期国債の残高を早く減らすには中途売却するしかないのだが、売却は債券市場を混乱させる(これも 量的緩和の副作用)ために簡単にはできないし、含み損が実損化することもあるので、国債の長期保有を解消することは極めて難しい。


  さらに 日銀は、ETFやJ-REITという 株のようなリスク資産までも買い入れていて、その時価は 2023年末で76兆円であった。

  これは おそらく日本の株価を支える(上げる)ためでもあったのだうが、それは つまり 中央銀行がギャンブルのようなとんでもなく危険なことをしていた(いる)ということである。


  日銀の自己資本は10兆円強であり、現在 株の含み益は38兆円、一方 保有国債の含み損は(今の金利が 0.75%なので)10兆円弱である。

  そして 長期金利がこれからさらに1%上がれば31兆円・2%だと58兆円ほど 損失が増えることになる。

  その損失は日銀が引き受けるしかなく、金利が1.3%以上あがれば(10年国債の金利が 2%以上になれば)時価会計上では実質債務超過に陥おちいってしまう。

  株価が半分になっても やはり債務超過になる。

  しかし 日銀の会計は簿価なので、中途売却しないで保有し続ければ(会計上は)債務超過にはならない。


  実質的に債務超過になるのは、政策金利を上げざるを得ないときである。

  1%の金利では まだ2.5兆円の資産超過であるが、1.1%以上になれば 債務超過になってしまうようだ。


  日銀は 信用創造により無からお金を創れるので 資金繰りに困ることはないが、上記の理由で 中央銀行の信任が失われてしまう可能性がある。

  私は この国債残高問題を解決する筋道として 5〜10年かけて3〜5倍の大インフレが起こると予想したのだが、そうではなく中央銀行の不信任によって もっと短い期間で大幅な円相場の下落と物価の上昇が起こるのかも知れない。



  私は経済の専門家ではないので、細かい点では間違いがあると思う。

  しかし 大きな視点から見れば 概おおむね正しいだろうと思っている。

  そして 逆に、経済の専門家でないからこそ観えてきたものがあるような気がする。


  これから先の近い未来に、日本と世界の経済が大変な困難に見舞われることに間違いはないだろう。




[最終改訂:2024年10月2日]