連覇へ(1)】連続日本一は不動のエースが引き寄せる——内海投手
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日本一の歓喜からはや3か月、球春は早くもすぐそこまで迫りました。あの感動を
再現すべく、G戦士は「躍進」をスローガンに連覇に向けて新たなスタートを切りま
した。来月1日に始まる宮崎キャンプを前に、選手たちの今年に懸ける決意をご紹介
します。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「今年のチームは阿部キャプテン、投手陣は内海。この2人を中心に力を一つにし
て戦った」。昨年11月3日、日本一を決めた直後の優勝監督インタビューで、原監
督はこう内海投手を激賞した。ベンチ前で聞いていた内海投手は思わず、感激で涙を
こぼしそうになったが、周りはみんな笑顔。ぐっと我慢した。「今まで頑張ってきて
本当に良かった」とこれまでの苦闘をかみしめた。
巨人の絶対的エース——。この言葉は昨季の内海投手にこそふさわしい。巨人の左
腕投手として史上初となる2年連続最多勝を達成し、日本シリーズでは日本ハムの勢
いをそぐ2勝を挙げて、最優秀選手に選ばれた。記録だけでなく、味方に試合の流れ
を呼び込むピッチングでエースの地位を不動にした。ただ、ここまでの道のりは決し
て平たんではなかった。
2003年入団。巨人OBの祖父、五十雄さんが現役時代に付けていた背番号「2
6」を受け継ぎ、2年目には早くも先発ローテーション入り。06年に12勝を挙
げ、翌07年には初タイトルである最多奪三振賞を獲得した。当時は、上原浩二、高
橋尚成、工藤公康らそうそうたる好投手たちが先発陣に名を連ねていたが、「絶対に
エースになってやる」と気負いたった。
ところが、09年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が大き
く立ちふさがる。予選第2ラウンドの韓国戦に先発。7試合目でようやく回ってきた
出番だったが、三回に相手打者に頭部死球を与えてしまった。日本なら危険球として
強制降板させられるところだが、WBCでは危険球降板がないために続投となり、次
の打者を打ち取ったところでお役御免となった。「何も考えられない状況だったので
代えて欲しいという気持ちしかなかった。どうやって抑えたのか覚えていない」と振
り返るほどの緊張感。日本は連覇を果たしたものの、「自分は何もできなかった」と
いう思いが残った。
この年はシーズンに入っても、9勝11敗と負け越し、翌シーズンは11勝を挙げ
るも防御率4.38。原監督は伸び悩む内海投手に「これではニセ侍だ」「論ずるに
値しない」と厳しい言葉ばかり投げつけた。
「あそこまで言われると今までやってきたことを根こそぎ持って行かれたという気
持ち。絶対に見返してやる」。内海投手の闘争心が再び燃え上がった。帽子のひさし
に、黒ペンで「柱」と書き入れた。しかし、「エースにならなくては」と自分を追い
込むことはやめ、「僕らしい投手陣のリーダーを目指そう。やるべきことをやればみ
んなが付いてきてくれるはず」と気持ちを切り替えた。気負う自分を「柱」の文字を
見て落ち着かせた。
2年連続で最多勝を獲得したが、昨季は開幕戦、クライマックスシリーズ(CS)
の初戦と大事な試合で、勝ち切れなかった。そして、再び先発したCS第5戦。初回
に2四球を与えるなどして二死満塁のピンチを招いた。何とか切り抜けたものの、ベ
ンチに戻ると、原監督から「おまえは最多勝投手。ジャイアンツのエースなんだか
ら、もっと自信を持って投げろ!!」と叱咤された。いつものように言葉は厳しかっ
たが、監督に初めて「エース」と呼ばれた。中3日の強行登板で体はきつかったが、
気迫の投球で、チームにサヨナラ勝ちを呼び込み、チームは一気に日本一へ突っ走っ
た。
宮崎市で27日に始まった一軍合同自主トレでは、初日から先頭に立ってランニン
グしたり、誰よりも早くブルペンに入って投げ込んだりして、チームを引っ張ってい
る。オリックスから移籍してきたばかりの香月投手と筋力トレーニングをともにした
り、練習の合間に若手投手たちのピッチングをのぞくなど、気配りも忘れない。
「エースというのは監督やファンが決めること。堂々とマウンドで投げることが皆
さんへの恩返しになります」。謙虚ながらも、連続日本一への強い思いは誰にも負け
ない。


予防接種したのに




