今年の夏は暑い。いや、もう熱いでいいんじゃないかというくらい暑い。
異常気象なんて言葉は聞き飽きるほどテレビから流れてくるし、水不足で取水制限なんてのも各地で当たり前、
コンビニではアイスクリームが売り切れ、氷が売り切れ、ミネラルウォーターが売りきれた。
ジュースはかろうじてあるが、残っているのはどれも甘ったるい甘味料満載のヤツばかりで、
飲み終えたあとに逆に喉が渇くようなのばかりだった。
俺は開け放った窓からかろうじて吹き込んでくる熱風と、年代物の扇風機の前にパンツ一丁で横たわり、
天井と水の出てこない水道を交互に眺めながら傍らのテレビから流れてくる音をぼんやりと聞いていた。
「気象庁では、この事態を重く見て異常気象特別対策班を設立、今回の・・・」
設立・・・ああ、あいつら表向きはいないことになってるんだっけ。
俺があいつらに、いや、あの子に出会ったのは6月の始め、梅雨に入ってすぐの大雨の日だったっけ。
その日はすごい大雨で、天気予報というものを見ない俺は傘を持たずに家を出たことを心底後悔しながら、
このボロアパートの目前まで走ってきていた。
やっとのことで軒先に入って、まず手にした上着を絞る。ジャバジャバと豪快な音を立てて水が上着から流れ落ちる。
「うひー、こりゃすげえや。まあこれだけ濡れたら一緒だけど、っと、靴とズボンも何とかしねえと大家がまたうるさい・・・」
と、眉を吊り上げ床を拭いている大家を脳裏に描いたとき、自分の視界の右下に見慣れない物が映っているのに気づいた。
「あれ、女の子?」
見ればいつからいたのか、いや数メートル先も見えないような土砂降りだから、おそらく最初からいたのだろう。
小さな女の子が膝を抱えて座りこんでいた。今どき珍しく、薄い水色の着物で、おかっぱ頭の日本人形みたいな格好だった。
雨が降り出して帰れなくなったのか、着物はほとんど濡れておらずスンスンとすすり泣いている。
「えっと・・・迷子・・・か?」
女の子は目をこすりながらゆっくりこっちを見た。
ひっくひっくとしゃくりあげる彼女に俺はもう一度聞いた。
「君、迷子かい?お父さんかお母さんは?」
「おかあさん・・・死んじゃった・・・」
そう言ってすすり泣きが号泣に変わった。一段と雨が強さを増したので、俺はその子を連れてアパートの階段を上がった。
その子を自分の部屋にあげて、あったかいココア(もちろんお湯に溶かすだけの簡単なヤツだ)を飲ませたが、
彼女はずっと泣いたままだった。両の目から涙がこぼれる。こんなちっちゃい体からこんなに水分を出してしまって
この子は干からびないのだろうかと思うほど、彼女は泣き続けていた。
あれから俺は根気強く彼女の家に連絡しようと質問を繰り返したが、返ってくるのは
「おうち・・・?」「おかあさんしんじゃった」「おとうさんてなに?」「うわーん」
これだけ。2杯目のココアを飲み終えた頃、ようやく彼女は涙を止め、しかし泣きつかれて眠ってしまった。
俺は頭を抱えた。親切心から部屋にはあげたが、このままこの子の家に連絡がつかなければ、
そうだな、ヘタをすると近々ワイドショーがうちの大家から
「いつかやると思ってたんです」
ってなコメントを引き出すだろう。仕方がないので、彼女が起きたら一緒に近くの警察にいこう。
ちょうど彼女が寝入った頃から雨は止んでいる。
「へっくしょん!」
まの抜けたくしゃみ一発。そういや着替えはしたがびしょ濡れになった頭も乾かしていないのだった。
脱衣所からバスタオルで頭をガシガシとやりながら出てくると、俺の携帯がまの抜けた着信音を響かせていた。
「はいはいはい、っと。ん?誰だこの番号」
ディスプレイには知り合いでもなければ到底携帯でもない番号がうつっていた。
「いたずらか?でもいたずらなら番号だすかなあ」
まだタオルで頭をガシガシとしながら足元で寝ている少女に目をやる。
ま、まさかもう警察が・・・
別に悪いことをしているわけではないが頭から誘拐だといわれたら反論しきる自信はない。
でももしそうならここで電話に出ないのはあとあと心象が悪くなるんじゃないか?
俺の頭は普段しないようなフル回転の後、留守番電話に切り替わる直前、着信のボタンを押させたのだった。
「あの、もしもし?」
「あ、加藤?オレオレ、島田ー」
「違いますけど・・・」
「あっれ?あ、やっべ、スンマセーン」
ピ、と音がして通話が切れる。
なんだよ全く、と思いながらも胸をなでおろす。
決めた、今すぐ警察にいこう。俺の経歴に前科一犯ロリコン誘拐魔がつく前に早く。
そう思い少女を揺り起こそうとしたとき、玄関のチャイムが鳴った。
今度はなんだよ、新聞ならいらねえぞ、とドアスコープを覗くと不思議な格好の男が目に入る。
黒服にサングラス、おいおいMIBかよとツッコミながら一応丁寧な対応。
「どちらさまですかー、新聞ならまにあってますよー。セールスもお断りでーす」
俺の最高に丁寧な対応は相手の返事によってカウンターを食らった。
「気象庁異常気象特別対策班の者です」
「はぁ?」
彼らの話はこうだった。
今俺の家でよだれを垂らして寝ているのは人間ではなく「雨女」なのだと。
彼女たちは1年で代替わりをし、その地域(だいたい日本なら3つに別れる程度)の天気を司るのだと。
気象庁は彼女らを管理し、できる限り災害の起こらない、作物などに悪影響が出ないようにする機関なのだと。
彼女たちが笑えば晴れ、泣けば雨が降るのだと。
「だから、代替わりの起こる梅雨の時期はいつも先代のことを思って泣く娘が雨を降らせるのです」
彼らはそう言って、俺の後ろでふてくされている少女を見やった。
「ええと、よくわかんないですけど、つまりこの子はあんたらのとこの子なの?」
彼らはええ、そうです。我々が今年管理する雨女です、と事務的に言った。
「んで、拒否権は?」
俺はなんとなくそう言ってしまった。
「それがですね、雨女次第なのですよ」
彼らはバツの悪そうな顔をした。
「この子次第?」
「ええ、雨女は気まぐれですが神の一種です、ですから強制的に、ということは出来ません
彼女が我々と来ると言えば来ていただきますが、どこかに行くといえば止めることはできないのです」
「もし無理やり連れていったら?」
「異常気象、いや、もう天変地異と言っていいくらいのことには、なるでしょうね」
そう言って黒服の男は頭をかいた。
「ずいぶん前の代から気象庁で隔離していたので、雨女たちは外と言うものを知らずに過ごしました。
だから管理も比較的出来たのですが、実は数年前の雨女が脱走しまして」
それ以来監視するくらいしかできないのが現状です。と男は下を向いた。
なるほど、近年異常気象だとは思っていたが雨女が社会に出たらそりゃいろいろ激しく思うこともあるだろう。
「というわけで、ですね」
男が俺の後ろに座って俺のとっておきのチョコレートをかじっている少女に詰めよる。
「私と一緒に気象庁に帰ってきてもらえませんかぁ?」
泣きそうな声、サングラスでわからないが多分顔もそんなであろう男が雨女だという少女に問いかける。
少女はひとしきり悩んだ(ような顔をした)あと、ぷい、と横を向いて言った。
「みう、ここのこになる」
「たろー!チョコアイスかってきたー!」
すっかり聞きなれた声がアパートの入り口から飛んでくる。
窓から下を見て、おーおーよかったなと手を振る。
先日越してきたお向かいのおばさん(実は今朝も快晴だと気象庁に連絡していた気象予報士なのだが)が
あらあらみうちゃん元気ねえと笑ってはいるが内心この状況にひやひやしているのはよく知っていた。
本来ならポカンと一発やってでも雨の欲しい立場のはずだ。心の中でごめんなさいをしながら俺は駆け上がってくる足音を待った。
あれから俺は黒服の男が持ってきた「雨女と暮らす」を読みながらこいつとの同居生活をしている。
雨女は神の一種なので回りに影響を及ぼすらしい。たとえば駄目大学生の俺とこんな少女が同居していても不思議がられない。
雨女は泣くと雨になり笑うと晴れになる。たとえば今目の前でチョコアイスをほおばるこいつが満面の笑みであり、
外の気温は34度を超えた。
雨女は座敷童のようなものなので、ささやかだがいいことがある。たとえば今食べたチョコアイス、偶然こいつがコンビニに行くときだけ残っている。
そして、今目の前であたりの棒に目を輝かせている少女は、冬には大人、雪女になり、春には子供を残して消えるという。
まだ実感が持てないが、これから一年、こいつの泣き笑いに日本が一喜一憂するらしい。
多分俺はすごいことをしてるんだろうが、ああ、ひいきの球団が試合する日は機嫌をとらにゃあ、とおもう程度の無関心だった。
重苦しい着物を押入れにつっこんで、半袖短パン麦藁帽子でキメた彼女があたりの棒を片手に猛然と家を出た。
「美雨ー!車に気をつけるんだぞー!」
まぶしいほどの笑顔で駆けて行く少女の背中を見送る。
今年はもうしばらく猛暑が続くだろう。