飛行機飛行機飛行機
マニラ
とーますブログ-マニラ空港ターミナル3搭乗

これまでに
何度も訪れたフィリピンですが

フィリピンの島の数は日本の島数6,852を越え
7,109もあり世界で二番目に島数の多い国で

その最南地方に位置するミンダナオ諸島の中心都市ダバオは

フィリピンでもマニラ、セブについで第3の都市です

このダバオを知る日本人は少ないのですが
これまでの歴史のなかで日本と深い関係にあります

とくに20世紀太平洋戦争の最中
2万人以上の日本人が
この地で 麻 づくりやバナナやパイナップル、ココナッツを栽培していたのです
そして太平洋戦争が終焉を迎えつつあるなか

この地は最激戦地はとなりました

この地に移り住んだ日本人は反日感情を恐れて

日本人ということを隠し記録を抹消し
フィリピン人として生きてきたのです

今この地には
日本人会という組織もあり
そこに今回面接をするNPO法人のダバオ支店もあります

とーますブログ-フィリピンダバオ空港

ダバオに到着しました

とても自然豊かな

でも日差しの強さは
暑さ以上に
人間と自然の力の差を
思い知らされる
力強さを感じます

ダバオ市は人口約140万人に対し面積は2400km2もあります

名古屋市が人口約224万人に対し市の面積が326km2ですから

いかに市の面積が大きいか
世界でも最大級の行政地区面積を誇る市なのだそうです

暑さに自然への無力さを感じながらも
太陽の恵みを受けて信じられないくらい力強く育った植物を見ながら

タクシー乗り場につくと

おかしなモニュメントを発見しました目

とーますブログ-フィリピンダバオ空港タクシー乗場

日陰から出たくないので遠目からパシャリカメラキラキラ

どうやら巨大なドリアンの中に人間がいます

まるでキングスライムならぬ

キングドリアンに人間が食べられているようなーシラー

ダバオはドリアンの名産地のようです

あの臭いというフルーツショック!

あれを倒さなければ

この地に来た意味がないでしょう

ダバオの滞在時間は約24時間時計

これから8名を面接しますかたつむり
ビルビルビル
マニラでは3家族を面接します

面接した結果

1番目と3番目の家族を採用することにしました

二番目の家族は
介護職としてはたらくお母さんよりも

息子さんの問題が大きく

不採用にしました

なぜなら日本ではすでに高校生の年齢でありながら
フィリピンの学校を十分通えていないのです

日本の小中学校は
完全に出生年月日で決められており

一年留年扱いで高校一年生のこを中学三年生からやらせてください
なんてことは
病気などのよっぽどの理由がない限り認められないのです

しかも
高校受験には満9年以上の就学実績あるいは見込みがないと

受験資格すら得られないのです

ということは

9年以上の就学がなく
かつ
中学校の年齢を過ぎた子はどうしたら高校に行けるのか?

それは中卒認定試験
という
1年に1回しかない試験に合格するしかないのです

その中卒認定試験は国語算数理科社会英語の5教科有り

その5教科それぞれに合否判定がされ
すべてに合格しなければならないのです

ひとつでも不合格だと
高校の受験資格は得られません

不合格の科目は
来年再チャレンジするしかないのです

いままでに
16才の新日系フィリピン人の子供たちが何度か受けましたが

合格できるのは
英語と数学のみ

そりゃそうか
問題はすべて日本語ですから
わかるわけがありません

高校への進学はあきらめ
16才、17才という年齢で

働くという選択しかできないのです

しかし

日本語もままならない子供たちに

これまた好きな仕事が選べるわけもなく

結局は

外国人労働者があつまる
ブルーワーカーしかないのです

このまま10年、20年と日本で生きていくことが

はたして子供たちの幸せだと言えるのでしょうか?

日本語をわれわれ日本で生まれ育った日本人が話すような「ネイティブ」な日本語を話すには

だいたい10才までに日本で生活しはじめる必要があります

それを過ぎると

どれだけ日本語を勉強しても
ネイティブな日本語を身に付けることはできないそうです

言語の一番の問題は
文法や発音ではなく
イメージでとらえる言葉なのだそうです

車、ごはん、学校 などの名詞は形あるものなので
いつから勉強しても身に付くのですが
形のない言葉

尊敬、多少、できれば~、義理、哀愁、信頼、責任、まかせる、ゆっくり、…

とくに日本人独特の感性が強いものはなおさらです
もちろん翻訳できる言葉はあるのですが

その外国語が日本語のそれとまったく同義とは言えない場合が多いのです

すなわち

言葉とは

その土地、環境、時代に応じてその意味合いを微妙に変化させながら作られたものであり、そしてこれからも変化していくものなのです

その時代にその場所で生きてきた人たちにしか共感できないニュアンスが

言葉には含まれているのです

日本にもたくさんの方言があるように

ましてや国が違えば…

です

10才を過ぎた子供たちを日本人として受け入れるときには

細心の注意を払い
見極めなければなりません

でないと

その子は

日本では日本人として生活することもできず
フィリピンでもフィリピン人として生活することができない

自分自身が何人なのか?
自分のアイデンティティーが揺らいでは
心の拠り所を失ってしまうのです

それは幸せだと私は思えないのです

そう、採用しない理由を説明しても

それでも困ったことに

フィリピン人は

「日本に行きたい」

というのです

それほど
この国の経済情勢は
深刻な問題を抱えています

私は

フィリピンを訪れるたびに
出会いたくない光景がありますショック!

それは

おさない子供たちが
物乞いをしてくることガーン

今回の渡航で
その光景を目にすることはあるでしょうか

そう思いながら

今日のホテルへ向かいます

明日は朝7時の飛行機で移動します
朝5時にはホテルを出発するので

早めに休むことにしましょうぐぅぐぅ

晴れ晴れ晴れ
マニラに到着しました

あいにくの快晴ですかたつむり

わかってはいましたが
常夏の国です

冬から夏への急激な気温の変化に

体がびっくりショック!して

玉のような汗がふきでてきます

現地のNPO法人さんが迎えに来てくれました

そのマニラ事務所で今日は3家族の面接を行います

ついたその日に面接するのもハードですが

介護士をいちはやく確保したいのです

誤解があるといけないので少し説明を加えますが

このNPO法人では
2005年くらいまで盛んだった日本のフィリピンパブへエンターテイナーと称して来日したフィリピン女性たちが
お店で日本人男性と知り合い

子供ができて

子供とフィリピンに帰国

日本人男性と連絡とれない↓
子供は日本国籍取得できてない

など境遇はさまざまですが

いわゆる日本人男性とフィリピン女性との間に産まれた子供たちの
日本国籍取得から
日本の学校への通学
日本での生活
を実現するために
活動されているのです

もちろん子供だけでは日本では生活できず

かといって日本人の父親は連絡とれず
養えるのはフィリピン人の母親だけ

というわけで
日本人の子供を養育するために
特別に母親に定住者ビザを認めてもらい

母親が働きながら子供が学校へ通うという

支援をしてるのです

私はその母親の就労先として

介護施設を斡旋しているのです

これがなかなか簡単なようで難しくガーン

母親の性格、体力、健康状態はもちろん、こどもの年齢や日本語レベルなど
いろいろな視点で考えながら
受け入れ施設にとって有益な人材と評価できると共に子供にとって日本で生活修学することがフィリピンに残るよりも幸せだと判断できるかどうかがポイントなのです

そんなわけで

とりあえずマニラでは3人面接します