今後の可能性とかは分からんが
初めて会えそうな女性との約束、
2日前に用事入ったかして断られる。
その程度の優先順位ってのが悲しい。
2名で予約した店のブッキングは
ここ含め多方面で誘いをかけてみたが
誰一人現れることなく1人に変更した。

こうして僕の行動意欲は削られていくんだね… 下心とか無しに会って話してみたい
っていう導入の願いすらキャンセルされるんだ。
会う話になったら避けられたり既読スルー、
会えたと思ったらアムウェイ含め勧誘の類、
パパ活の面接みたいな回もあった。
出会いのある場所でも何も起こらないし、
誰かに紹介してもらえるわけでもなくて。
押しても引いても地獄、
そんな生き様を今更どうすればいい?

自分からすれば、
キモいと思われながらでもめげずに
行動力発揮してる裏垢の男たちや
ここのヤリモク男が心底羨ましい。
自分の価値観と道徳と倫理と羞恥心では
到底不可能なことだから。
生きるってことそのものへの
バイタルから弱ってる人間には想像すらつかない。

自己に対して加虐的かつ自戒が激しいだけで、
人に対しては悪しく言われたことは幸いにもほぼない。
むしろある種の無関心さと表裏一体やもしれぬ
人当たりの良さこそが問題なのか?
特に異性に対して我を出した瞬間に
引き潮のように離散するあの感覚を、
これからあと幾度経験することになるのだろうか。

変えようがなかったり困難な部分は諦めて、
そうじゃない箇所で黙して語る人生だった。
それが何の価値も有さず、
実効性に乏しいことをおいおい学んでも
固着化して変えられない程度には不器用であり、
一方では自己が確立されているとも言えるのは間違いない。

習慣化した行動が全てが義務になり、
いつしか心の中で飽和する。
そうやって自分の人生は離合を繰り返してきた。
風俗もまたその例外では無かったのだ
ということを、近頃は身を以て学んでいる。

感情が抜け落ちて消えていくような喪失感、
それに付随する惰性感というものが、
日に日に心の中で大きな容積を
占めるようになっていく。
情熱や意欲なんてものが薄れていく。
人はそれを屍と呼ぶのだろう。
私は器でしかなく、
何にも満たされていないし漏れさえする。
そしてそんな自分の空虚さを自ら嗤う…

終わりだ、終わりだよ。
ホントは全てを投げ捨てて
長旅にでも出た方がよほどいい。
ストレスが何もかもに撥ね返る
私の身も心も限界を告げている、
ここに居たくないと。
一方で独りで生きていける
才覚も適性もまた無いのだ。
導き出されるあるべき未来が
消滅であることは日を追うごとに蓋然性を増していく。
自分自身の進歩や順応・適応に期待することはもうやめた。
愚直で不器用で古典的な男には負荷が大きすぎたんだ。


そうだよ、私は基本的に面倒くさい男なんだ。
自分もすぐ億劫がるし、
他人からも面倒くさがられる。
それを含めて私のアイデンティティなんだ。
人から大切にされたり愛された経験でもあれば
他人を顧みる人間になれてたかもしれないね。
今からでも経験さえ得られれば
そうなるかもしれない。
無論そうなってみないと分からないけど。

感情と経験の欠落、
それを頭脳で補おうとした末路がこの仕上がりさ。
目の前の現実にコミットして
生きてきただけだというのにね、
気付けばマイノリティだったし
振り向けば誰もそこには居なかったんだよ。
独りでトボトボと俯いて
考えだけ膨らませて誰も歩かない道を歩いてる。
手を引っ張ってくれる人も、
肩を叩いてくれる人も、
横に立ってくれる人も、
ましてや共に歩いてくれる人なんて
今も今までも、そしてこれからも現れそうにない。
その道は光に照らされたものでもなく、
狭隘な獣道のようなものであって、
そして先が続いているのかすら定かではない。
整備されてもいない、
誰も確かめたわけでもない。
むしろ、孤独に歩む者にとっては
断崖絶壁でも待ち受けていないか、
と乞うていたりすらする。


やはり死ぬ自由もセットで認めてくれないと
今の社会はホント生きにくい。
生きたいとずっと思えるやつと、
そうじゃないやつは生きたいと思えてる時間だけ生きて、
終わりたい時に人生終わらせてくれたら、
もう少し生を大事にするかもしれない。

どんなに希望に溢れてても、
絶望だけに苛まれてても、
生きてなきゃいけないっていう重りが人を苦しめる。
今時、事故や事件、大病でもない限り
70年80年生きないといけないのは分かるし、
途中で自ら死ぬのは罪とか言われて
責められてしまうのも理解していて、
それが今という生をきっと希薄にしてる。
だから逆にいつ死を選んでもいいですよ、
望む時にいつでもどうぞ、くらいの方が
目の前の生を少しは楽しもうとか、頑張ろうとか、
意欲が湧いてくるんじゃないかって。
失敗も恐れないだろう、
致命的にダメだったら諦めて
そこで自分の存在自体を消せるんだから。

生きることに辛さとか絶望、
疲れを感じてる人は沢山いる、自分もそうだ。
それはこの状態が終わらせることもできず、
変える術もなく、でも基本的には◯年も
続けざるを得ないっていう現実に
辟易としてるからに違いない、と私は思うし、
その前提が異なりさえすれば少しは軽減されると推察する。

まぁこんな話するとすぐに、
生きたいのに生きられない人も〇〇とか飛んでくるけど、
その人の生きたいっていうバイタリティが
逆に羨ましいまであるよ、それ。
一面的にモノ語ることだけはしたくないね。
あくまでオプションとしてあった方がいい
と言ってるのであって、死を賛美してるわけじゃない。