心を寄り添わせる
という表現がいつごろからか目に留まるようになった。

同情されることを極端に嫌う人々が多いのは分かる。
でも、この「心を寄り添わせる」というのは
同情とどうちがうのか、
正直なところ、私には未だに分からない。

誰かに欠けているものがあり、それを自分が持っていて、
明らかに「無いと不便だろな。気の毒に」という
状況は、これはどっちなんだろう。
心を寄り添わせて、、、どうするんだろ?
自分もそれが無い生活をする?
その人が居る時にはあたかも自分も持ってませんよーという顔をする?
同情したらダメなのかな。
無くて可哀想に、はダメなの?
その結果として何か手伝える事があれば、じゃ不足なのかな。
気の毒ねー、可哀想に、って陰で言って何もしないのはヨシとされるの?

誰かが不幸な目に遭った時、
可哀想に、と思うのは確かにちょっと”上から目線”かな~という
気はするけれど、やっぱりこの時も心を寄せるというのが
分からない。その人の気持ちを汲む事が大事なんだろうけど、
そもそもその気持ちを汲む行為自体が、同情しているからこそ
来る作業なんじゃないのかなぁ、と思う。



人の気持ちが分からない人なんだね

と言われれば、あぁそうなのかなー、と思う。



自分がそういう状況になったことが無いから、人の気持ちに鈍感なんだよ

と言われれば、んーそうかもね、と思う。



自分に余裕があるからそんな上から目線になるんだよ

と言われれば、
あら?あなた私のあれやこれやの余裕の無い状況や
一生付き合う事になるであろう悩み事やコンプレックスについて
なにかご存知でしたっけ?
あなただって私の心に寄り添う事なんて出来ないじゃんと
心の中で毒づいてしまう。


自分に余裕が無いから
「心を寄り添わせる」
のも難しいのかな。

まぁ、本当に分からないので、
自分で気の毒にな、と思った相手には
自分の出来る範囲内の事で、
お手伝い出来る事があるならば
やっていこうと思う。



何と言うか、決意表明っぽいアレでした。