院内感染というと病院内でおきるすべての感染を含んでいるように聞こえるし、また一般にはそう思われている。しかもこうした院内感染がおきると病院側が非難される。 しかしこれは一概に正しいとはいえない。院内感染には防止可能なものと不可能なものがあり、可能なものに限って病院の責任が問われるべきだからだ。みそもくそも一緒にして謝罪会見をさせるマスコミの大雑把な態度には我慢しかねるところがある。


 それゆえ、私は院内感染のなかから防止可能なものだけをとりだして医原性感染と定義することを提唱する。では防止可能な院内感染にはどんなものがあるかから見ていこう。


まず、血行感染は明らかに防止可能であり防止すべきである。その代表的な例としては古くは注射筒や注射針の共用、不適切な消毒があり、最近まで共通バイアルからのインスリンやヘパリンの利用があった。これらは特に免疫低下のある透析クリニックなどでおきていた。さらには作り置き点滴バッグにおける、汚染した酒清綿を原因とする混合注射薬による感染も報告されている。いずれも消毒抵抗性の高い肝炎ウイルスや弱毒性細菌が多かった。


つぎの防止可能なカテゴリーは経口感染である。たとえば食中毒、ノロウイルスの感染、これは第一例に病院の責任があるとはいえないまでも、その拡大は手指消毒、手洗い、糞尿の消毒等を徹底すれば原理的に防止できるものである。


 しかしながら、空気感染や飛まつ核感染はマスクや一般的な隔離で完全に防止できるものではない。したがって、禁忌と不同意を除いて患者・職員にワクチンが接種された医療機関におけるインフルエンザや水痘の流行(小児科病棟)は院内感染であっても医原性感染ではないことになる。


最後に微妙なカテゴリーにあるのは、実は院内感染という言葉の生みの親ともいうべきMRSA(メチシリン抵抗性ブドウ球菌)である。というのは、MRSAは抗生物質の多用によって出現した医原性細菌ではあるが、MRSAがすべて当該病院由来とは限らず、そのすべてが医原性感染とはいえないからである。実はB型肝炎ウイルス同様、MRSA感染は内因性の再活性化が多いのである。そうした再活性化は免疫低下や手術的侵襲に引き続いておきるから、医原性感染のように見えるだけである。同じことは抗生物質耐性の腸球菌や緑膿菌、セラチア菌などにもいえるが、こちらのほうは外因性のほうが多い。


現代日本社会は医療界に限らず、極度に個人や組織の責任を追及し、結果として組織はいかに免責されるかに文書とエネルギーを費やしているが、これはゆゆしき事態である。社会に生きるすべての人間がその立場と知識に応じてできることを行い責任を分担することが肝要である。けだし、有熱者や咳くしゃみのあるものが入院患者の見舞いをしないことは、クラシックの音楽会で咳をしないことよりはるかに重要なことである。最近、マスクにかわって咳エチケットが強調されていることは好ましい傾向といえる。


一方医原性感染の撲滅のためには、ユニバーサルプレコーションや滅菌技術の進歩もさることながら、不必要な医療行為をしないことである。私が35年前に医学部を卒業したとき、すでに感染症の専門教員が抗生物質の乱用を嘆いていた。今は不必要な観血的検査や手技の乱用を嘆くかもしれない