しばらくは、書くことにせんねんする。ほんとうは写真沢山あるんだけどっ時間がない一区切りついたら、公開。
一日16時間ものを書いているのでお許しください。 ゴメンナサイ
それでは本題。
ぼくは東京へでた。体育会系だったので、もちろん合宿所生活。ありがたかったのは、朝飯が和食だったことだ。
それも、ゴハン・味噌汁・納豆・卵・小魚・海苔・沢庵の純和風。つまり正しい日本食だ。
3年そこにいたが、体調はよく、毎日朝が楽しみだった。でも同級生や後輩達はすぐ飽きてパンやインスタント
ラーメンに嗜好がかわりのこった和食は僕が後始末する役割りだlった。
「こんなうまい物をなぜ食わんのか・・・・・」不思議だった。昭和41年ころだったが、思えばあのころから
日本が変わり始めたのかもしれない。
つまり「軽くなった・・・・」ジヤンクフードの言葉もはやりだしていた。
ただし僕は相変わらず日本風で当時学食へいくと金がないので、イモ・カボチャのスープとゴハンが定番
だった。これがマタウマイ。季節になると、サツマイモのスープもウマかった。70円だった。
ただし夜はだめだった。皆とのみにいくからだ。
そんな僕らも43年に韓国遠征があった。いまから40年前だ。当時韓国は発展途上国で当時の日本
より20年は遅れていた。でも日本人が絶対勝てないことが身体で2つあった。
男性の骨格と女性の脚の美しさだ。すなわち骨が美しいのだ。ナゼ?・・・・・僕は聞いた。
「どうして韓国女性の脚はきれいナノ・・・?」「幼いころからお母さんが骨がまっすぐになるように夜さする。」
ということを。なんという優しさだろ。日本のお母さんも優しいけどそこまでは・・・・
横道にそれた。
試合は接戦だった。ワザ・チームプレイはこちらがはるかに上なのだが到着した次の日から
チームの大半が原因不明の下痢となり交代がいないのだ。僕はなんでもなかったから6試合すべて
でた。が最終戦はバテてころんだら起き上がることはできなかった。帰りのバスまでハッテいった。
子供達に笑われた。それでもまだいいほうで、2~3にん失神した。翌日の新聞に「日本人は弱い」
と書かれていた。たしかに、当時から韓国人には肥満や太った人はいなかつた。唐辛子=カプサイシン
を知ったのも其のときだ。
卒業してサラリーマンになった。花の営業マンだった。夜討ち朝駆けはいまの人は分からないだろが
当時常識だった。だから立派な上司・先輩がたくさん病で亡くなった。それでも働いた。
今の繁栄を思うとき先輩達に泣けてくる。
今の人は本当にいい時代にいきている。
ブログも自由にかける。おいしいものも食える。
このいい時代を大切にしてほしい。
こんなことを書くつもりはなかったが先人の気持ちがわからぬようでは日本の明日はない。
「人はいつかかならず死ぬこのブログだって必要ないかもしれない。でも大切なものは社会にのこして
行きたい」からだ。そういう点ではアメーバはふさわしくないかもしれない。もっと地味な場所でいいのかも
しれない。自分の性格を考えるとき「なんてくだらない文章だ。こんなのやめて楽しいものにしたら」
と別の自分がいっている。
でもやり始めたことだ。もうすこし、ガマンして
かきます。
伝えなければならぬときは人生あるものです。
合掌