思い出しても懐かしいようなおぞましいようなTAの経験であるが、悪いことばかりではない。

 

アメリカの社会問題のディベートのようなアクティビティはたじたじであったが、社会問題の調査の方法論を教えるパートでは、少しは先生らしい言動ができた。アメリカの学生は論理的と思っていたが、実際はそうでもなく、調査の方法論のようなテーマでは、突っ込みどころ満載で、たくさん指摘したり教えてあげることもあった。

 

私は英語も上手でなく、テーマにも精通しておらず、学生から見ればかなり頼りないTAではあったが、教員の端くれではあるとはギリギリ見なされていたようで、テストの前になると、「あと何点取ればAを取れるのか」とか、「どうすればAを取れるのか」とか、果ては「なんでもするから必ずAを取れるようにしてほしい」とか、いろいろ相談された。

 

アメリカでは大学院進学を早くから目指して、進学の決めての一つとなる好成績の維持に腐心する学生も少なくない。授業の後、積極的に声をかけてきて、相談しやすい良い関係を作ろうとしていた学生もいた。成績へのあまりに強いこだわり故、好成績のためには賄賂のような金品を支払いかねないような学生もいた。大学院生のアルバイトとはいえ、それなりに責任と誠実さが求められる仕事であるといえる。

 

TAは自身の執務部屋も与えられる。机二つ置かれたシンプルな相部屋であるが、それなりのステータスはないこともない、ということかもしれない。

 

また、アメリカでは進学や就職など何かと他者からの推薦状が求められることがあるが、ある学生からはインターンの応募か何かにあたって、推薦状を書いて欲しいと頼まれた。自分の生活で手一杯出会ったが、頼らないTAの罪滅ぼしとばかり協力したこともあった。きっと文法のミスなどもあろう私の推薦状がどれだけ有利に働いたかわからないが。。

 

いろいろあったTAであったが、泣いても笑っても最初の1学期が終了した。最後の補講では学生からアンケート評価を受ける。先生を生徒が評価するのはアメリカでは極めて普通のことである。結果を見るのが怖かったが、見た。学生も子供ではないので、それほど酷いことは買いてなかった。が、褒められた結果でもなかった。何人分かの結果を見てあとは見るのをやめた。最後の補講が終わった時、あなたは良い人だね、と握手をしてきた学生がいた。メガネで背の高いクラスのムードメーカーのような男の子である。

 

全部終わって教室を出た時の解放感は忘れがたいものがあった。苦笑

 

↑アメリカン川でのジョギング

 

(つづく)