ヒッチハイクでの移動は間違いなく素晴らしい時間であったが、エチオピアの旅の生活は厳しい面も多々あった。食事や水などの問題は前回触れたが、もう一つ挙げておくべきはダニの襲来である。

 

ダニの襲来についてはエチオピアに入国する何ヶ月も前に他のバックパッカーから噂を耳にしていた。ただ、具体的には聞いていなかった。私や同行のSさんの場合は、毎晩寝ている間に30箇所ずつくらい刺されたと思う。3日もすると100箇所を超えて、痒くてどうしようもなくなるわけであるが、このあたりから、どうやら以前噂に聞いたダニの襲来に自分も遭遇したらしいと気づいた。気づくと気になってしょうがなくなる。毎晩寝る前に、ベッドのマットレスやシーツをくまなく、それこそ目を皿のようにしてダニがいないことを確認するのであるが、それにもかかわらず、夜中にプチプチと刺されるのである。どこから現れるのか。本当に不思議であった。ある時Tシャツを太陽に干していると、首の後ろにあるサイズが記載されているタグにダニがガッツリとしがみついていて、周囲に白い小さな卵を産んでいるのを発見した。こんなものと数日一緒に過ごしていたとは、アフリカは容赦ないと思った。Sさんは痒さのあまり寝ている間に掻きむしってしまい、足の甲あたりがジュクジュクに膿んでしまいそうだった。私は見かねて赤チンを塗って差し上げた。ちなみに、地元の人たちは、全くそのような被害に遭っていない。むしろ我々の虫刺されを見て一様に驚かれ、心配された。我々だけに免疫がないのか?最終的には全身数え切れないほどの虫刺されだらけになった。エチオピア滞在中の3週間だけであったが、とても痒く、そして膿んでしまったり病気にかかる心配もさせられた経験であった。

 

ダニと同列に引き合いに出すわけではないが、エチオピアでは子供たちの襲来もあった。開発援助などの関係なのか、どのような田舎でも外国人は未知の珍しい存在ということはないらしい。が、娯楽や変化の少ない田舎のこと、我々を見つけると本当に多く子供が一斉に集まってきて、話しかけられたり、観察されたり、意味不明の言葉を投げかけられたり、とにかく囲んだまま放してくれない。小さな村に滞在すると、宿の外に出たその瞬間から囲まれてしまうこともあり、おちおち散歩もできない。これも異文化交流だとばかり、最初こそ相手にしていたが、結局は子供たちに騒ぎ立てられるだけでまともなコミュニケーションが成立することはなく、すっかり外出が嫌になってしまった。ゴンダルという少し大きな街は、そのようなことはなかったが、それ以外は、首都までずっとこのような感じで、なかなかしんどかった。同じ場所に何日も滞在すれば子供たちも落ち着いてきて、そこからまっとうな交流かあったかもしれないが、毎日移動を繰り返すようだと、毎日熱狂の洗礼を受け続けることになる。

 

そんなこんなで、エチオピア入国後、最初の一週間は極上のヒッチハイクにテンションが上がったものの、だんだんと早く出たくなった。次の区切りはケニアの首都ナイロビであった。ナイロビはアフリカ有数の大都市だ。居心地の良い安宿や、安くて美味い食事もあるだろう。水の心配も要らないだろうし、病気の不安もないだろう。ダニや子供達に悩まされることもなかろう。ただ、ナイロビまでは順調に移動し続けても10日はかかる。仮にアスマラまで戻るとしても一週間。一週間もかけて戻るのは気が進まないので、進むしかない。ここは脱出に時間のかかるアフリカの僻地なのである。首都のアジスアベバまで行ってそこからナイロビまで飛べば多少は早く脱出できるが、さすがにそのような高コストの選択肢はありえなかった。ということで、エチオピア入国後一週間もすると、あと何日でナイロビに到達できるか、頭の片隅に思いながらの旅となった。

 

↑村に到着し子供たちが大変な勢いで押し寄せてくる様子

 

↑トラックの屋根に乗っている我々を見上げる子供たち

 

(つづく)