エリトリアの首都アスマラには1週間ほど滞在した。アスマラはバンコクと同じくらいの緯度(北緯15度)ながら、標高2000メートル以上の高地にあるため、私が滞在した10月下旬ともなると初春のように朝晩はやや肌寒いが昼間はまことに過ごしやすい。

 

最初の3日ほどは街の真ん中のやや大きなホテルに泊まった。といっても、4-5階建てで、各フロア10部屋くらいといったところか。シャワー・トイレ付であったが、お湯は出なかったと思う。エレベーターなど気の利いたものもない。部屋に入ると家畜の糞の匂いが強烈にした。ただ、これはホテルの不備ではない。実は、アスマラへはバスで到着したが、バスの最後の2時間ほどは家畜の糞の匂いが終始していた。ニオイの源がかなり近かったので、きっと隣に座っていた田舎の青年が糞でも踏んでしまったのではと思い、臭い思いをする自身の不運を嘆いたが、隣の青年は隣の青年で、顔を突っ伏して鼻を抑えたりして「誰だこんな臭いニオイをさせていてるのは?」のような顔をしている。が、ホテルの部屋に入ってみて、ニオイの原因は私が家畜と思われる糞を踏んでいたことが分かった。泣

 

アスマラは人口40万人ほど。市内には高い建物がほとんどなく、唯一の繁華街は市街地の中心にある大通りである。大通りといっても辛うじて片側2車線ずつ。車の通りは少ない。ただ、路の両側には15メートルほどはあろうかと思われる立派なソテツが街路樹として植えられ、歩道もゆったりと広く、イタリア風のカフェやレストラン、映画館などが並ぶ。(前回書いたように、エリトリアは戦前の40年間イタリアの植民地であったことがあり、イタリア風のカフェやレストランなどにその影響が少し残っている)。乾いた大地の道なき道のようなルートを何日か辿ってやっと着いた街であるだけに、この大通りはなんだかホッとする素敵なところである。

 

家畜の糞がついた靴を洗い、気を取り直して街に出ると、高地の太陽がまぶしい。まずレストランでイタリア風の仔牛のカツレツを食べた。イタリア風のカツレツは、日本の分厚いとんかつとは違い、薄く延ばしたハムカツのような感じである。良く憶えていないが、きっとビールも飲んだだろう。スーダンからエリトリアに入国して初めて食べた食事で、エチオピア地方名物のインジェラ(テフという穀物から作られたクレープのような食べ物)とおかずを初体験し、その食欲をそそらない強めの酸っぱさの洗礼を受けたのであるが、アスマラの仔牛のカツレツで気力が湧いてきた。(ちなみにインジェラは2000年前くらいからこの地方で食されているようで、タンパク質、アミノ酸、鉄分、カルシウム、食物繊維と栄養豊富なスーパーフードであるらしい)。

 

↑アスマラの目抜き通りにあるイタリア統治時代の大聖堂。築約100年。

 

↑目抜き通りの大聖堂。車も人も少ない。

 

アスマラでは、次に訪れるエチオピアのビザを取得したり、映画館でハリウッド映画を観たりしてすごした。3日くらい滞在した後、翌日にはそろそろエチオピアに南下しようかと思いながら、夕飯を食べる食堂を探しながら大通りをブラブラしていると、偶然にもエジプト・カイロで長逗留していた時に同じ宿で交流したSさんと出会った。私がカイロに来た時に、すでに何週間もカイロに滞在していたSさんは、ベッドが私と隣であったことや、ほぼ同世代(私より2年だけ年上)であったことなどもあり、いろいろ情報交換したり、例の賭けトランプに興じたり、仲良くさせてもらった。私がカイロからスーダンへ発った後、Sさんはしばらくエジプトに滞在し続けたが、カイロから150ドルくらいの格安チケットが入手できたとのことで、アスマラまで飛行機で飛んできたらしい。道端で偶然出会った我々はすぐ意気投合して近くの食堂で食事。その後、カフェで深夜までしこたま酒を飲んで、再会を祝した。結局私は予定を変え、翌日Sさんの泊まる安宿へ移動し、さらに4日ほどアスマラに滞在し毎晩のように酒を飲み、一緒にエチオピアへ南下することにした。カフェでは音楽を聴きながら酒が飲めるのが大変良かった。音楽も我々がカセットテープを持ち込むとそれを流してくれた。12時過ぎにはバーも閉店となるが、涼しいアスマラの街をほろ酔いでブラブラと宿に歩いて戻るのは大変気持ちが良かった。ちなみに深夜になるとアスマラは静寂に包まれるが、大変治安が良く、全く危険を感じることなく宿まで帰った。ほろ酔いで歩いて帰るのは旅に出て以来初めての、久しぶりの感覚であった。

 

(つづく)