カトマンズに戻った翌日、私は日本への帰国便が発つデリーへ向けて、可能な限り早く辿りつく方法を調べた。飛行機で飛ぶという手もあったが、やはり貧乏旅行にこだわる当時の私の身としてそれはできなかった。どうやら夕方の夜行バスでインドへ向かい、鉄道を乗り継いでデリーに行くのが良さそうだった。

 

私は夕方までのんびりと過ごすことにした。宿は夕方まで無料で部屋を使ってもらって構わないと言ってくれた。ありがたい。お昼には日本食レストランでトンカツを食べたのを憶えている。そして夕方、すっかり日が暮れて、また街に煌々と灯りがともり始める頃、私は喧騒のバスターミナルへ向かった。

 

デリーまでの2泊くらいの道のりは良く憶えていないが、インドに入国後、鉄道がかなり遅れて夜明けの駅のプラットフォームで寒さに耐えながら待ちくたびれていたのを憶えている。日本を出発したのは10月の中旬であったが、もう11月の下旬になっていた。北インドの11月の早朝は10℃近くに冷え込む。ザックの中からマウンテンジャケットを出すかどうか迷っていたが、底の方にしまっておいたのを引っ張り出すのが面倒だった。

 

 

 

デリーは朝晩は冷え込むが、日中は30℃近くになる。デリーに到着すると、私は鉄道駅の近くにある一泊300円くらいの安宿にチェックインした。デリーではまず帰国便の予約(確か2-3日後くらいの出発)をしてしまうと、今回のトレッキングで撮り溜めたフィルムを近所の写真屋に現像に出した。外国人旅行者である私はインド(特に北インド)ではどこへ行ってもぼったくられないように警戒しなくてはならないが、写真屋や医者のような、職人気質のプロはそのような警戒は無縁であることが多い。自身の高度な専門性を恃んで生業としている人たちは、少なくとも他人の作ったものを仕入れて売っている小売りの商売人とは全く違う人種である。

 

フィルムは7本あったのを憶えている。良い写真をたくさん撮ってやろうと意気込んでいたので、フィルムの持ち運びには注意した。バスの屋根に荷物を積み重ねられても潰れてしまうようなことのないように、使用済みのフィルムはタオルなどで巻いて慎重に取り扱った。

 

写真屋では半日くらいで現像を仕上げてくれた。私は一度宿に戻って、写真を確認して、引き延ばして大きくする写真と、白黒で現像する写真をあらためて選び、また写真屋に戻った。写真屋のおじさんは、白黒での現像に若干難色を示したような気がしたが翌日には対応してくれるとのことだった。インドなどの物価の安い国では、写真は現地で現像するに限る。値段は1/10くらいではないか。品質は日本と全く遜色ない。

 

(つづく)