モヤレを出発した一日目の午後、トラックは泥にハマったまま動かなくなってしまった。運転手がトラックの下にもぐって作業をしていたが、どうやら故障してしまったらしい。運転手は近くを走っていた別のトラックの運転手と話をつけて、私や他の乗客をこのトラックに預けた。このトラックは10メートルを超える荷台に人を満載している。(ただし荷物は積載していない)。ただし、足の踏み場もないほどではないので、座っていけるのは嬉しかった。他方、イタリア製の古いトラックとのことで、終始時速20キロほどのノロノロ運転であるのが残念であった。

 

結局この日は、順調に進めば一日目に辿り着ける村まで届かなかった。陽が沈むと、街道沿いに一軒だけポツンとある掘っ立て小屋の茶屋に停まり、乗客はトラックに乗ったまま一夜を明かすことになった。茶屋で何か食べたのかは覚えていない。おそらくあまり食欲もなく、ビスケットのようなものを入手してボソボソと口に入れた程度ではないだろうか。月夜だったこともあり、日記帳と万年筆をリュックから取り出し、トラックの上で月明かりで日記を書いたことを覚えている。日記はどのような日でも毎日欠かさずに書いていたので、ここで切れなかったことに安堵した。他の乗客には「トラックの上でなく地べたで寝た方が気持ちが良いぞ」と言われたが、虫がいそうでもあったので止した。その乗客は「虫さされくらいなんだ。これも旅の良い思い出ではないか」などと言っていた。英語が堪能なおじさんで、多少インテリだったのかもしれないが、ケニア人はちょっとした苦労やアクシデントを旅のエピソードとして捉える、文化的に成熟した人たちなのだなと思った。

 

昼間の蒸し暑さとは打って変わり、夜のトラックはけっこう寒かった。リュックから母親手製の綿の寝袋を取り出して縮こまりながら被って寝たが、少し身体が冷えた。太陽が地平線から昇って、かすかに熱を感じたときは安心した。そして日の出が合図なのか、トラックのエンジンがかかり、やがて舗装されていない赤土の路面をゆっくりと動き始めた。相変わらず遅い。

 

それから2-3時間ほど経過しただろうか。気が付くと私が乗っているノロノロのトラックに、はるか後ろから近づいてくるトラックがある。それは昨日私が乗っていた牛のトラックであった。どうやら修理できたらしい。牛のトラックの運転手は再びノロノロトラックの運転手に話をつけて、私や他の乗客に戻るように言った。再び檻の格子を握りしめながらの移動はつらかったが、速いほうがよい。私は牛のトラックに飛び乗った。

 

この日は午後4時頃には街道沿いの村に到着し、今晩はここで泊まることになった。どうやらトラックはまだ本調子ではなく、ここであらためて修理し、場合によっては明日再びイタリアのノロノロトラックに乗り換えてもらうかもしれないとのことだった。なかなかうまくいかないなと思いつつも、この村には小さいながらも宿が一軒ある。どうやら今晩は食事やベッドにありつけそうだ。電気も来ている。かなり嬉しかった。

 

宿に入るとエジプト・カイロのホテルで同室だった日本人バックパッカーがベッドの上で本を読んでいた。この人は私より3歳ほど年長で、「隊長」というあだ名で呼ばれていた。なぜ隊長なのかはわからない。私がカイロの宿に到着した時にはすでに周囲から隊長と呼ばれていた。私は驚きかつ嬉しくなって「隊長じゃないですかー!」と呼びかけると、「おおー」と元気な返事が返ってきた。詳しくは覚えていないが、隊長はカイロからナイロビまで飛んで、そこからこのケニア北部の村まで来たとのことだった。隊長はこれまでもマダガスカルなど動物王国的な国に好んで旅をしていたのであるが、この近くにあるトゥルカナ湖という琵琶湖の10倍くらいある大きな湖に珍しい動物を観るために来たらしい。(フラミンゴの大群と言っていた気がする)。一緒に動物を観に行かないかと誘われたが、私は一刻も早くナイロビに辿り着きたかった。隊長のような人に出会うと、私は旅を修行のようなものとして捉え、自分を成長させるような経験をすることや、もっというと旅をすること自体が目的のようになってしまっているなと感じることがある。隊長は旅自体は目的ではなく、世界にある色々な珍しいものを観てみたいという純粋な意欲だけがあるように思えた。そういえば、以前隊長はサウジアラビアのメッカに行くためにイスラム教になったと言っていた。正確には、イスラム教に改宗したわけでなく、モスクに行って、「アラーは最も偉大な神である」のような決まり文句をアラビア語で言うことができると、イスラム教の信者であることを証明するモスリム証明書を交付してくれるのである。これがあれば、イスラム教徒だけしか行くことのできないメッカに訪れることができる。そんなこと倫理的に良いものかと思うし、本人も逡巡するところもあるようで、少なくとも私と会った時は実行に移していなかったが、これも隊長の旺盛な好奇心の現れではないかと思う。せっかく再会した隊長と翌朝にさよならしてしまうのは大変寂しい気持ちであった。この日の晩は話も楽しく弾んだし、何もない街だが宿の居心地は悪くない。隊長はあと数日はこの宿に逗留するとのことで、私も2-3日滞在したくなったが、やはりナイロビへの移動を急ぐことにした。

 

↑エチオピア南部の部族の集落の近くで出会った水汲みに行く途中の女性たち。

偶然だが皆さんの衣装のカラーリングの順番が美しい並びになっている

 

(つづく)