ユーラシア大陸の片隅で生きてます。


いやもうこのブログをやめるって書いたのにどうしてまた記事を上げようと思ったのかというとですね、


あ、いや仕事はまだしてますよ。たぶんまだ大丈夫です。


私のことではなく、ブックマークにあげていた「がけっぷちニートのこれから」さんの記事をいまだに読んでいるから。

で、彼女がいますごく頑張っているのを見て応援したくなったからです。


といっても別に交流があるわけじゃありません。私が勝手にブックマークに入れているだけで。

でも本当に「がんばっているなあ」とおもうのです。


私のような海外住まいという生き方は見る人によってはそれなりに面白いものに見えるでしょうし、今は生きてはいけます。でも日本に帰るととたんにまた転落する可能性が高いのです。日本って厳しいところだから。


でも「がけっぷちニートのこれから」さんは今日本で頑張って仕事を始めようとしています。私のような生き方はある意味邪道で逃げでもあるわけですが、彼女は真っ向から困難に立ち向かおうとしている。


・・・なんてかくとプレッシャーを感じてしまうかもしれませんが、たぶん向こうはこっちを読んでいないので問題ないでしょう。


何が言いたいかというとですね。

間違ってうちに来てしまったニートの皆さん、ぜひに「がけっぷちニートのこれから」さんに足を運んでみてください

ということが言いたいわけです。

ほら、自分と同じようでも頑張っている人がいるというのがわかるとちょっと勇気をもらったような気分になるでしょう?

私もいま異国で生活しながら、たまにHPを拝見させていただいて勇気と力をもらっています。

「俺も頑張らないとなあ、ってね」


ということで、「ぷちさん頑張ってね。」と言いたくてこの記事を上げました。

それでは、今度こそ本当にさようなら。

久しぶりに自分のブログにやってきてみれば、

しっかり順位が下がっていました。


見てくれていた人がいたのかもしれませんね。

なんかバイトを始めたら、急に書く気がなくなって

しまいました。



でも、今はもう海外にいます。

一応就職できたってことです。

まあ任期はたったの二年間で

その後のことは全くわかりませんが。


まあこうやって生きて行くのも良いじゃないですか。

今回は半島ですが、次は世界の屋根のふもと

あたりを狙ってますよ。

シェルパ族の女の子と結婚したい。


って、まずはこの半島から無事脱出できるかどうかですね。





ニート海外移住計画。


どうですか。

私には出来ましたよ。

成り行き任せでしたし、これからすごい苦労しそうですけど、

でもとりあえず「ニート」からは抜け出ましたよ。


このブログ的には、

はっぴいえんど

ってことにしておきます。


「ニート」で生きるより、

世界の果てで鳥のえさになるほうが

私にはあっていると思います。


・・・マイナス思考が抜けないのは

ま、ニートの性ってやつですよ。


では、また。

世界のどこかで。

/BGM:はっぴいえんど「風をあつめて」

ここ二日スーパーへバイトに行ってます。


「もうニート脱出かよ。早いよ!」というのはまだまだ早いです。ひきこもりの人にとってはバイトの面接に行くだけでも大仕事だと思いますが、私のような挫折型ニートの場合それ自体は大変ではないのです。おそらく一ヶ月ぐらいたってからが山場だと思います。


「スーパーのバイト程度で山場って何事?」というあなた。あなたはニートの実態をわかっていません。


始めは良いんですよ。「はい」「わかりました」っておとなしく返事してもくもくと仕事すればいいんですから。でも問題は仕事を覚えられるかってことです。


「そんなのわけないじゃん!」というあなた。あなたは挫折型ニートの精神構造をわかっていません。


そうなんですよ。スーパーのバイトなんてたいしたことないんですよ。頭悪そうな女子高生だって出来ますよ(女子高生の皆さんすみません)。バイト募集の記事だって「誰にでも出来る簡単な仕事です」って書いてありますよね。


でももし出来なかったら?品物の名前だって覚えるの大変ですよ?バーコードつける機械だってけっこう複雑なつくりしてますよ?「そんなのPCに比べたら簡単じゃん」って、PCは家で毎日使ってなれることが出来るけど、バイト先の品物や機会は仕事中にしか使えないし仕事中にしか教えてもらえないんですよ?それが簡単ですか?中学の部活で先輩の真似しただけでサッカーが出来るようになった人はいないと思いますが、どうですか?そうです。全てを失った我々挫折者には、「誰でも出来る」仕事しか残されておらず、それすらもまともに出来なかった者は生きる意義を失い、後は富士の樹海一直線なのですよ。



失敗はするんですよ。誰でも転ぶことはあるんです。

でもそこでいろいろ無駄なことを考えてしまうのが挫折者の性なのですよ。森田さんが言っていたように、我々は「転ばない方法よりも、人は転んでも何度でも立ち上がれるということ」を学ぶ必要があったのです。しかしどこかでそれをスキップしてきてしまった。なまじ優秀だったりした人ほど、一度挫折すると立ち上がるのが大変なのです。転んで出来た傷よりも、転んでしまったこと自体にショックを感じてしまうのです。


でも、終わりのないトンネルはないし、明けない夜はありません。

我々は尻尾の折れた猫達のように気高くのさばらなければなりません。


首輪につながれたいけ好かないペルシャには目もくれずに、ね。

ニートひきこもりJournal でここ二回「やりたいこと見つけることが仕事探しの第一歩」という話が出ました。私はカウンセリングとか受けたことがないのでわかりませんが、そんなアドバイスで仕事が見つかるんですかね?


「てめー!前回『それぞれの勝ち方』とかいっていきまいてじゃねーか?てめーもそういうことを言いたいんじゃねーのか!こら!」という人はいるでしょうね。でもやりたいことって漠然としすぎですよね。小説家になりたい人、アーティストになりたい人、国際舞台で活躍したい人、安定第一公務員の人、夢はでっかくヒルズ族の人、そして研究者になりたい人。カウンセラーはこういう人にはどう対応するんですかね。「現実を見ろ」「年齢制限で無理ですよ」「残念ですが才能ないです」・・・「頑張ってください」とは言わないでしょうね。やりたいことはあるんですよ。でも届かないから困っているわけでしょう?


特に私みたいにそれなりに努力して結局ダメだった人はどうすればいいんですか。時間も金も投資しましたよ。24ぐらいまではそれなり評価もされました。でもダメだった。ダメなのは他の誰でもない自分のせいです。努力が足りなかったのです。努力する能力がないのです。それにもう努力したってどうせ追いつけないのです。



ほかを探せというのですか?他にやりたいことはないか?と挫折者に聞くんですか?


「あったら挫折なんてしてねーんだよ」



背に腹は変えられませんから、私だってバイトぐらいはしたことありますよ。でもいつも「俺が存在するのはこんなことのためだったのか?」とか「こんなことも出来ないなら生きていく価値はない」とか悲壮な思いでやってました。私はもともと自分の好きなことはほっておいてもやるタイプです。逆に言えば好きじゃないことは強制されてもどこかで反発してしまいます。金のため、って割りきりが出来ないのです。それは切羽詰ってないからなのですが本当に切羽詰ったら隣国に行って凍死するだけだと思います。でも冬まで待たないといけないですね。渡航費もためないと。


やりたいことを仕事に出来る。ほんの一握りですよね。どこかで妥協しないといけないです。でも妥協するとやる気もかなり目減りしちゃうんですよ。


でもありますよ、「夢」じゃなくて、やりたいこと。私は農家がしたいです。土からモノを育てるのって人間の根源的な営みですからね。「ジャーヤリャーイージャネーカ」といわれると確かにその通りですが、私体力に自信ないんですよね。あと車の運転とか苦手なんで、トラクターとかもうまく使えないんじゃないかと心配なんですよ。


農業関係の人、こんな私でよければ使ってください。北海道だろうが離島だろうがどこへでも行きますよ!

でも部屋はバストイレつきの個室がいいです。


・・・あれ、海外移住はどこへ?



私の好きな隣国の俳優が出ている映画で、主題歌の差し替えが問題になったものがあります。配給会社の担当者もいろいろとしがらみがあるのでしょう。或いはやる気がないのでしょう。いろいろあってオリジナルどおりには行かなくなってしまった映画でした。ちょっとだけ出てくる日本人俳優が主役扱いされてましたしね。サラリーマンはつらいですね。


と、好きであるが故に厳しいことも言いたくなるこの映画ですが、良かったところもあります。何というんですか?あの映画のうたい文句みたいなもの?コピーでいいのかな?


「これが俺たちの勝ち方だ」



映画の結末を簡単に説明。主人公の格闘家は試合中に毒入りのお茶を飲んでしまいます。で、相手の格闘家は試合をやめようという。でも主人公は血反吐を吐きながらも立ち上がり、相手に向っていく。それは国と民族の威信をかけた試合であり、殺し合いである。だから主人公は毒を盛られた・・・しかし主人公は最後の一拳を寸止めする。相手は自分を殺すために来ている、しかし彼は殺し合いの愚を知っており、格闘家の闘いは殺し合いではないという己の信条を最後まで棄てなかったのだ。・・・試合後主人公は死ぬ。毒を盛られた上に試合を続けたため治療が間に合わなかったのだ。映画は彼の開いた武術道場がその精神を受け継いで世界中に広められたことを伝えて、幕。


隣国はこの映画の時代の後、実際には列強の食い物にされてしまいます。今でこそ大国ですが、当時はひどかった。隣の島国に半ば占領されかかっていたぐらいで。

劇中の主人公だって、勝ったといえるかどうか?毒で真っ黒に変色した血反吐をぶちまけ、志半ばで卑劣な謀略によって命を失ったのですから。


でも「勝ち」だという。

そこにはいろんな理由が考えられるでしょう。民族の精神を救ったのだとか、己の信条を守りきったのだとか、彼自身は死んでしまったがその精神は受け継がれ世界へ広がる普遍的な思想になったのだとか。見る人によっていろいろと解釈できると思います。国は負けたが心は屈服しない、みたいな見方もあるでしょう。そういう意味での「勝ち方」を彼は選んだのだ、このコピーの意味はそんなところじゃないでしょうか。



ニートの我々には遠い話です。場所も遠けりゃ時代も腕力も地位も規模も精神性もぜんぜん遠い。ただそんな我々にも我々なりの「勝ち方」があるはずだと思うのです。


私は外国にいたとき日本は価値観の多様な国だと思っていました。皆カネカネ言わないし、職業に貴賎はないなんて言葉もある。俳優だって美男美女だけが成功するわけではなくて、個性派とか演技派とかいろんな人がいる。早く結婚した女性をうらやましいという人もいれば、恋愛なんてどこ吹く風のキャリアウーマンを羨望の眼差しで見つめる人もいる。


でも3年ほど海外にいて帰ってきたらいつの間にか「勝ち組」だの「負け犬」だのとたった一つの価値観でその人が判断されてしまっている。政治も声の大きいほうが勝つみたいだし、わかりやすいことが一番みたいに言われている。


なんかもうダメそうですね。日本も。

太平洋の向こうの大国みたいになっていくんですね。


いや国のことなんでどうでもいいです。自分を何とかしなければ!


皆さん、「それぞれの勝ち方」を見つけましょう。

私の勝ち方は海外に行って先生をすることです。旅行もしますよ。老人になって旅行をするよりまだ若いうちに旅行をしたほうが感動の度合いが違います。これは絶対です。地元の人とも仲良くなりたいですね。今度行く国の人が皆親切ならいいのですが。いやけんかするのも一興ですがね。


もう一度言います。我々ニートこそ自分の「勝ち方」を探すべきだと思います。

そしてそこへ向って走りましょう。旧友に再会したら言うのです。「いろいろあったけど、今は充実してるよ。そっちはどう?」と。



村上龍の『盾』、まだ読めてません。

二人の主人公の設定が安易っちゃ安易ですが、私自身も似たようなものなのでしょうがないか。龍さん、実は一冊も読んだことないですが、これは読みたいです。

理想の死に方ってありますか?


まあ改まって考えたことのある人は意外に少ないかもしれませんが、「出来れば長期入院とかしないでぽっくり逝きたい」ぐらいのことは誰でも考えたことがあるんじゃないでしょうか?


じゃ、理想の自殺って考えたことありますか?


こちらはあんまりいない、というか考えたことのある人は精神的に病んでいるので気をつけて。ちなみに私にはあります。理想の自殺法。


「貴様、ニートだって言うだけでも害悪なのに、自殺教唆だとう!」というお怒りはもっともですが、別に自殺を勧めたいわけではないです。そりゃよく生きてよく死ぬに越したことはありませんから。


でも我々には既にそんな贅沢はいえないのかもしれませんよ。死に方を選ぶというのは私のもっている数少ない権利の一つです。それに我々日本人は自殺の形式にとことんまでこだわった武士達の末裔です。自決の美学を持つことは美しい日本人として生きるために必要な覚悟だといったら言い過ぎでしょうか?


すみません。言い過ぎました。

そんな理由はどうでもいいのです。ただ私には本当に「自殺するならこれしかない」という理想形があります。死因としては凍死です。読んでませんが某失楽園もそうですよね?あと映画『風花』で小泉今日子さんが演じたヒロインも凍え死にしようとしましたよね。でも私が直接に影響を受けたのはこんなに最近の作品ではなりません。

夢野久作『氷の涯』。これが私が十代から持ち続けてきた自殺の理想系です。


場所は隣国、最北行政区域中の最大都市、というかその郊外。冬はマイナス30度近くになります。主人公は過ちを犯します。そして死ぬしかなくなる。かれはなじみの娼婦を連れてきて、都市郊外まで馬車(だったと思います)を走らせ、二人で酒を飲みつつ一緒に死ぬ。娼婦はある意味オプションですので落としてもかまいませんが、その場所と死に方だけは絶対に譲れません。


実は私はその都市で暮らしていたことがあります。

前にも書きましたが私は留学に行っていました。二年間。その最後の半年そこで過ごしたのです。そしてある意味でここが私の転落の始まりでもありました・・・そこに行くまでは留学もそれなりにうまくいっていました。確かに当初の目的からは離れてしまいましたが、それでも頑張って勉強し、それなりに順調に成果を挙げていたのです。ですがその都市に行ってから何かが変わってしまった・・・特にこれといった原因はないのです。勉強する環境が悪かったとか友人が悪かったとかそんなことはありません。当時の友人達は今は皆当時習得した語学を使って着実にキャリアを伸ばしています。


理由はわかりませんが、私の中でとにかく何かが狂ってしまった。それが偶然にも私の中に在った自殺の理想形を作った『氷の涯』の舞台と同じ場所だったのです。その街は非常に美しいところで、私もその街自体が嫌いなわけではないのですが・・・「私の中で何かが狂ってしまった場所」であり「理想の自殺の舞台」でもあるその街に奇妙な執着を感じているのです。


「どうせ死んじまうなら、どこだって一緒じゃねえか」という人もいるでしょう。でもそんなことはありません。人は死期を自分で決めることは出来ませんが、自殺者なら出来るのです。その神のごとき権利を行使せずに死ぬのだとしたら、自殺に何の価値があるでしょう!


「自殺しようなんて人がそんなことを考えている余裕はないんじゃない?」という人。ビンゴです。何にせよ、理想を持つということは困難に立ち向かうということなのです。だから私はまだ自殺をしていません。


この自殺の理想系を実現させるには隣国に行かなければなりません。私は下戸ですので上等な酒じゃないと悪酔いして、死ぬよりひどいことになるでしょう。また遺書の準備も周到にしておかないと家族に迷惑をかけることになります。


ということで今の私では自殺することさえ出来ないのです!その街までの片道切符すら買えないのですから!



集団自殺なんて何の美学もない、情けない死に方はやめませんか?生きている時は人の顔色ばかり気にして下ばかり見てきたのですから、死ぬ時は前を向いて逝きませんか?もちろん人に迷惑をかけるようなやり方はダメです。前回も書きましたが、我々は既に周囲の人たちに迷惑をかけ、悩ませているのですから。リストカットもやめてください。私は他人の手首の傷を見たことがあります。もちろん理由なんて聞けませんでした。ただそれを見たら涙が止まらなくなり、逆に相手に「もう大丈夫だから」と言われました。


自殺は我々の持っている最後にして最大の権利です。でも人が一人死ぬということは一つの世界がなくなることでもあり、未来を変えることでもあります。古典的な時間旅行SFで、向こうの時代のものを何一つ持ち帰ってはいけない、というプロットがありますよね。持ち帰ったのがたった一握りの土だったとしても、この世界は崩壊してしまう。SFの中の話とはいえその理屈は判るような気がします・・・ならば今この世界から一人の人がいなくなったとしたら?その世界への影響は想像もつきません。言うことがオーバー過ぎますか?私はそうは思いません。あなたが自殺したら、家族や友人達の未来は大きく変わってしまいますよ。天涯孤独だと思っている人でも死骸を残さず死ぬことが不可能な限り発見者に大きなショックを与えてしまうことに変わりなく、それが彼の人生にどんな影響を与えるかは計り知れないのです。


「生きろ!」なんて立派なことは言えません。「死ぬ気になれば何でも出来る」なんて無責任なことを言うつもりもありません。


ただ良く生きられなかった者は、良く死ぬ努力をするべきです。

良く死ぬために、かっこよく逝くために。

もうちょっと頑張ろうと思います。

このサイトを読んでむかついている人はいますか?


いやどう検索してもここにはたどり着かないはずですので、そんな人はいないと思うのですが念のために。普通の人、普通に仕事したり学校いったりしている人は数に入れません。むかついているに決まっているのですから。真昼間から仕事もせず家にいてネットしている、親の脛を齧っている三十歳。

俺だってむかついてるよ。自分に。冬になったら沿海州まで行って、アムール虎の餌にでもなったほうがよっぽど地球に貢献できるだろうさ!



・・・いやそういうことはどうでもいいんです。ただ私がここにこういうものを書いていて気を悪くするニートの人がいたら、それは良くないなあと思うのです。




某おばさん占い師の番組で、スタジオにニートを自称する人を集めて番組をやりましたよね。もちろん私は見てません。でもCMは目に入ってしまいました。嫌悪感ですぐに目を背けましたが「俺は働かねえ、ぜってー働かねえ!」みたいなことを叫んでいるのが聞こえました。

思うにあれはテレビ局に金を渡されたバイトですよ。狂言です。社会の底辺にいるサイレントマイノリティである我々を笑いものにするための芝居です。


・・・でももしかすると本当にニートの人かもしれません。彼はニートだけど自己顕示欲があって、カメラの前で駄々をこねてかまってもらいたがっているだけなのかもしれません。ニートにはいろいろな人がいます。自己顕示欲の強い子供がどこかで徹底的に挫折したらあんなふうになってしまう可能性は否定できません。私もニートというには妙な経歴とかなりひねくれた人間ですから、そういうほかのニートの存在に対して寛容でなければいけないと思っています。


でも私は正直むかつきました。


彼がそういう考えを持っているというのは彼の問題ですのでどうこう言うつもりはありません。でもテレビであんなことを言えば、立ち上がろうとしているニートたちの妨げになるのではないかと思うのです。「ニートをやってたやつらは根本的に働く気なんかない、救いようのないヤツラだ」、きっと彼の言動を見た普通の人々はそう思ったに違いありません。

私は番組を見ていないのでわかりませんが、番組には或いは真剣に立ち直ろうとしている人が出演していて、自分の意見を述べたのかもしれません。でもそういう全うな人の声というのは往々にしてテレビの視聴者には届かないのです。テレビ局だってそんな面白くもないコメントは採用しないでしょう。多数派は常にスケープゴートを欲しているのであり、テレビはほとんどの場合多数派に迎合するしかないのです。現にテレビCM を聞いただけの私は「俺は働かねえ、ぜってー働かねえ!」という彼の声しか聞いていないのです。


ニートにはいろんな人がいます。でもニートだって道徳心のある人間です。人の邪魔をしたり、迷惑になったり、気に触るようなことをするのは極力避けませんか?唯でさえ家族のお荷物なんですよ。だったら普通の人よりももっと人に優しく、もっと人に気を使っていきませんか?世界には理由もなく人を貶めたり、怒鳴り散らしたりする人がいて、そういう人のために会社にいけなくなったニートだっているでしょう?だから我々自身はそうなってはいけないと思うのです。




というわけで、私は気になるのです。

このブログを読んで気を悪くしたニートの人はいますか?

もしいたら、それは私のせいです。

直せるところは直します。

直せないところは、許してください。

このブログをはじめた時に私は三つのブログから影響を受けたと書きました。今日はそれらのサイトの紹介というか感想を書いてみたいと思います。我ながら偉そうですが、どうせここを見ている人なんていないのですから、多分先方にも伝わらないと思いますよ。甘いかしら?隠れリスペクトってことで。


ニートひきこもりJournal

ニートに関する知識はここで得ました。いや情報量が多いので、読み込み不足です。すみません。私は英語が極端に苦手ですので、独学でイギリス等の関係記事を翻訳しているというのはすごいなあと思います。教育学や社会学方面の研究に進んでいたら成功していたんじゃないかな?とか思ってしまいます。研究ってやつはやっている間に自分が何をやりたかったのかわからなくなったり、能力的に追いつかなくて妥協してしまったりしますが、自分自身に戦う理由をもっている人は本当に強いと思うんですよね。とらが字伏よりもぜんぜん強いのと同じ理由です(?)

でも研究者になってしまったらニート問題には取り組めないような気もします。富氏さんにはぜひ我々ニートの政策面でのまとめ役になってほしいなあとか勝手に思っています。


例えば誰かニート問題に関心を持ってくれている作家とかジャーナリストの人にアクセスするわけです。ネット上にアドレス等を上げている人も多いんじゃないでしょうか?そのつなぎ役を富氏さんにやってもらう。すると識者たちはニートひきこもりJournal を見て「これはよく調べている。話が出来そうだな」と感じてくれるんじゃないかと思うんですよ。だってニート研究において富氏さんのサイトは最前線にあり、なおかつニート自身の手によってそれが為されている貴重な存在だからです。

一度パイプが出来ればいろいろなことが可能になると思います。静かなる少数派である我々ニートも著名な識者の力を通じて何かを社会に発信できるかもしれませんし、単純にニートが識者の主催する座談会に参加するとかそういうことだけでも有意義だと思うんですよね。


そのまとめ役を富氏さんにやってほしいです。遠慮しないで、自信を持ってやってもらいたい。税金だって使わせましょうよ。我々ニートが復活できるか否かがこの国の未来を決するかもしれないんですよ。復活できればいくらでも社会貢献できます。


我々ニートは牢獄につながれています。鎖も檻もない、心の牢獄です。

「その牢獄を開ける鍵は知力にあるのでは?」


ニートひきこもりJournal


読んで、知識を増やしましょう。

そして、考えるきっかけになるサイトだと思います。


ニー海の「勝手にリスペクト」(←いつの間にか名前が)、

次回は私と同い年、崖っぷちニートのこれから さんです。

よろしくお願いします。(だから見てもらえてないって)

ついさっき思いついたことがあったので書いておきます。

人間30年も生きていると物忘れがひどいですから。


数日前の某新聞に「退職した学校教師が、塾にいけない子供達のためにボランティアで勉強を教える」という記事がありました。よね?



これと同じ仕組みで、私たちニートの職業訓練やってもらえませんかね?


団塊世代は今田舎で暮らそうとか、海外へロングステイとか優雅なことを言っていますね。いやこれまで数十年間日本と会社と家族のために頑張ってきた団塊世代が豊かで有意義な老後をすごすのは当然の権利です。


でもそういうのんびりとした生活になじめない人もいるんじゃないでしょうか?あるいは今の日本を憂いて若者のために何かしてやろうと思ってくれる人がいないとも限りません。退職後の技術者が隣国やその隣国に技術指導に行ったりしてますね。そういうのを我々のためにやってもらえないでしょうか?

(技術指導は今まで自分が勤めた会社の発展のためにやっていることで報酬も得ていると思いますから、ちょっと違うとは思いますが)


団塊世代と私たちでは考え方がぜんぜん違うと思います。だから衝突もあるでしょう。団塊世代は物を知らない私たちを見て怒ります。「いい加減にしろ」「脳みそはいってんのか?」「死んでしまえ!」と怒鳴るかもしれません。でも仕事の伝承とは本来そういうものでしょう?

まあ我々ニートはそれから逃げたり、挫折したりした人間です。だから今度もダメかもしれませんけど。


でも「もう一回チャンスをくれたら、今度こそ逃げ出さないぞ」と思っているニートもいると思うんですよ。大人たちも「もう一度国のために、若者達のために働こう」と思ってくれるかもしれないし。


企業の職業訓練みたいなものじゃなくて、徒弟制度というか人数の少ない学校のような形でやるのもいいかもしれませんよ。授業のない日でも気軽に親方(?)の家を訪ねたり、お茶ご馳走になったり、めったに帰ってこない子供の愚痴を聞いたり。ニートは家で家事をしている人も多いと思うので、家事を手伝ってもいいかもしれません。そして就職出来たら、報告に行くんです。そこで

「親方、今までどうもありがとうございました。俺、親方に拾われていなかったら今頃どうなっていたか・・・」

「三太郎、お前まさかこれで修行は終わりだなんて思ってねえだろうな?もしそうだったら墨田川に飛び込んで頭冷やしてきな。・・・いいかお前の頑張りどころはこれからよ。これから何年も頑張って一人前になるんだよ。わかるか三太郎。」

「あんた、三太郎が仕事を決めた目出度い日にまで説教することないじゃありませんか」

「いや菊よ、お前に男の仕事の話はわからねえ。すっこんでろい」

「親方、おかみさん。俺、頑張ります。頑張って、きっと恩返しに来ます」

「・・・恩返しだあ、一丁前の事いいやがって、コイツ・・・」

みたいな会話が交わされるわけですよ!三太郎がんばれよ!


ね。

どうでしょう、杉村太蔵議員。(ってここで書いても見てもらえねえよ)

もちろんランキング上位に入りたいとか思っているわけではないのですが、なぜか順位が上がっているのはどうしてなんでしょうね?たぶんブログになれていない私が何度も失敗して繰り返しこのページを開いてしまうので、順位が上がってしまうのでしょう。それにこのブログよりランクが低いものはきっともう打ち棄てられてしまったのでしょう。私もめんどくさくなってやめてしまったブログが二つあるし。


さてのこのサイトの「海外移住計画」ですが、決してニートひきこもりJournal さんの記事に影響を受けてはじめたわけではありません。(挨拶に行ったほうがいいのかな?と思いつつまだ行ってません。すみません←こういうのを社会性がないと言うのです!)


私は海外で三年間暮らしていました。二年は語学留学、一年は日本語教師です。

語学留学は親の脛を齧っていきましたが、日本語教師は自分で探してその在職期間中は自力で生活していました。私は専門が日本語教育ではないせいかボランティアで日本語教師をやっていたように思われることがあって非常に心外です。試験だって独学ですがしっかり合格しましたし。・・・いやでも全部独学で体系的な知識は全然ないので、やっぱり専門でやってた人にえらそうなことは言えません。すみません。


しかしまあそこそこうまくやっていたんですよ、当時は。今じゃニートですが、当時は先生ですから、生徒達にはかなり良くしてもらってました。帰ってくる時にお土産でトランクの半分が埋まりましたから。


「じゃ、どうして辞めたの?」って聞かれると素で困ります。

この歳で現実を見ろって話ですが、夢があったんですよ。

で、その夢が破れたのでニートに身をやつしているわけで。


まあ昔のことはいいです。

潰えた夢は暫くは胸のうちに仮埋葬しておきましょう。

で、「海外移住計画」です。



ニートの人にもいろんなタイプがあると思います。

ひきこもり型ニートの人には「日本でも怖くて家から出られないのに海外なんて無理に決まってる!お前に俺たちの苦しみはわからない!」と怒髪天(?)で怒るかもしれません。確かに私はひきこもり型ではありません。一時人目を気にして出歩きたくないと思ったこともありますが、家にいても母の目があり居心地がよい訳ではないので、図書館などに行っていました。最近は開き直って近所の人にも最高の笑顔(?)で挨拶しています。


・・・

ひきこもりになる人は人とコミュニケーションをとるのが苦手、と言いますが、それは正しい見解ということでいいでしょうか?

じゃ、ちょっと考えてください。

普通の人はいきなり海外に行って現地の人とコミュニケーション取れますか?

答え:ムリ

英語が得意な人は?

答え:ほとんどの場合ムリ だって英語圏以外では通用しません。


つまり、海外に行きゃ皆ダメダメだってことです。

NHK「英語でしゃべらナイト」の東大卒松本アナだって、最近はかなりうまくなったけど、初めのほうはダメダメだったじゃないですか!いや、「ダメダメだ~」、って言ってるだけじゃどうしようもないのですが、少なくとも自分だけがコミュニケーションが苦手という劣等感はなくなると思います。


劣等感。

我々ニートの前に立ちはだかる大きな壁の一つだと思います。躓いて自分を信じられなくなった私たちはこの劣等感というやつに追い討ちをかけれらて、どんどんと深みにはまっていくのです。


もちろんリスクは大きいですよ。経済力のないニートですから資金の調達だって大変です。でも一発逆転のチャンスでもあります。もし一年間その国で生活できたら自分に自信がつくような気がしませんか?そこで仕事をしたり、帰国後仕事につながるスキルを身につけたり出来ると一番いいのですが、それほど気負わなくてもいいんじゃないかと思います。日本で一年間ニートするなら、海外で一人で買い物して、ご飯食べて、友達作って、ちょっと頑張って一人旅に行ったりして。楽しいですよ。騙されたりもしますけどね。

努力はいります。覚悟も必要です。

でも本当に切羽詰っているなら、ある種のショック療法にはなるんじゃないかな?

「具体的にどうすりゃいいのか、ぜんぜんわかんねえじゃねえか!」という意見もあると思いますが、それこそ個人差があるような気もします。上にも書きましたが覚悟は必要です。「しっかり学びたい」と思うなら日本人のいない国・地域・学校を選択すべきでしょうし、「それは怖い」と思うなら日本人がいるところでもいいでしょう。海外にいる日本人は基本的には優しい人たちが多いです。あと私のように日本語教師を目指すのも手かもしれません。まあこれはこれで大学に専攻があるぐらいですから簡単ではないし、飽和状態にあることも確かですが、自立のための第一歩にはなると思います。


私は挫折者ですが、今は留学や日本語教師時代の楽しかった思い出をエネルギーに変えて何とか前に進もうと思っています。留学中に遊んでしまったことが、今の境遇の発端でもあるので複雑でもありますがね。