中日ドラゴンズファンと言うよりも野球ファンのカリスマ的存在だった山本昌投手(50)が本日
引退の記者会見を行った。
数日前に報道はされていたものの、こうして記者会見を開くと、やはり引退なんだなと実感する。
小生が最も好きな投手だったので、寂しい想いでいっぱいだ。
甲子園のスターのように鳴り物入りで球界入りした訳ではない。
球も決して速くない。コントロールもあまり良くない。
小生も入団の頃の印象は全くなかったけど、1988年ドラゴンズ優勝した年の夏ごろ、
厳しい優勝争いをしていた時、米国留学から帰ってきた山本投手。
小生にとっては彗星のごとく現れた選手に見えた。
当時のドラゴンズは苦しい投手陣だったので余計衝撃があった。
スクリューボールを武器に、突然現れて、一気に5勝を積み上げた。
血気盛んな鬼の星野監督が監督となって初めての優勝に大きく貢献した。
入団からドラゴンズ一筋で引退するまでに219勝を挙げ、ドラゴンズどころからセリーグ、球界を代表する大投手になった。
50歳になるまで現役と言うこんなに選手寿命が長い投手になるとは思いもしなかった。
これだけの大投手だから、昨年記録した最年長勝利記録をはじめ沢山の記録を残したが、
唯一小生が作ってほしいと願いながら見れなかった記録がある。
日本シリーズでの勝利が見たかった!!
6回登板機会があったが、0勝4敗。
1回でいい 勝たせてあげたかったと思うファンは多いのでは。
いつかドラゴンズの監督になって、日本シリーズ勝利という記録を是非とも
勝ち取ってほしいものである。
彼が付けていた背番号「34」は中日ドラゴンズの永久欠番するそうだ。
小生も一生忘れない背番号だ。
まずは長い間とお疲れ様でした。
そしていつかまたドラゴンズのユニフォームを着て戻ってきて下さい!!