前回に引き続き、笠井さんの追悼記事のスクラップである。日経新聞本誌は言うに及ばず、東洋経済、ダイヤモンド、日経産業新聞など、およそ一流紙と言われる各紙が大きく取り上げている。笠井さんの死去が、通常の上場企業の一平取締役の死亡記事の扱いではないことがよくわかる。

ソフトバンクにあっては、オーナーである孫社長と宮内、笠井といった重役陣の報酬は同等で、みな年俸1億円を超える「1億円プレーヤー」であったことは本ブログでも取り上げたことがあるが、それだけ同社にとって「キーパーソン」であったということであろう。





ソフトバンクの大勝負を支え続けた孫社長の後見役、笠井和彦さんを悼む

日経ビジネスオンライン(大西 孝弘 2013年11月18日)より



1118日午後1時から、ソフトバンク前取締役、福岡ソフトバンクホークス前代表取締役社長兼オーナー代行の笠井和彦氏のお別れ会がホテルニューオータニで催される。

笠井さんは1021日、肺カルチノイドで急逝した。無理な取材にも親切に応じていただいたのが今も心に残っている。印象に残っている言葉を紹介させていただきたい。


「孫さんが実績を重ね、銀行や市場の信頼を勝ち得たんだよ」

昨秋、ソフトバンクは米携帯電話3位のスプリント・ネクステル買収を発表。正式に融資要請してからわずか1週間で、みずほコーポ銀などメガ3行とドイツ銀行は、総額15000億円規模の融資を決めた。

昨年ソフトバンクによるスプリント買収が明らかになると、株価は急落。株式市場はリスクに敏感に反応していた。しかし、ほどなく株価は回復し、1116日の時価総額はおよそ9兆円。日本の上場企業でトヨタ自動車に次ぐ2位だ。

その背景を尋ねると、笠井さんはこう答えてくれた。「孫さんが実績を積み重ねて、銀行や市場の信頼を勝ち得たんだよ」。笠井さんは1959年に富士銀行に入行し、同副頭取から98年に安田信託銀行(現みずほ信託銀行)会長に就任した。2000年に孫正義社長から三顧の礼でソフトバンクに迎えられてからは、その人脈をフルに生かした。決算など節目の度に、親子ほど年の離れた孫社長を旧知や後輩の金融機関の幹部に紹介して回っていた。そして、計画通りに有利子負債を削減するなどして、信頼を積み重ねていったという。大勝負の裏には地道な取り組みがあった。

2000年頃のソフトバンクは携帯電話事業も手掛けておらず、「まだフラフラしていた」(孫社長)。20003月期の営業利益は83億円で、20133月期の100分の1ほど。周囲には反対の声があったが、笠井さんは熱心に誘う孫社長を信用し、転身を決めた。それは結果的に、ソフトバンクに信用力を与えることにもなった。


「安倍首相やブレーンの発言を注意深く聞いていた」

スプリント買収後の財務戦略でも切れ味を発揮した。昨年末のアベノミクスが始まる前に、早めのドル調達に動いた。1ドル=8220銭で買収資金を集め、今年1月の発表時には2000億円程度の為替差益が出るとの見立てだった。

その後さらに円安が進み、結局3000億円の為替差益をもたらす。市場関係者は「絶妙のタイミング。見事だ」と感嘆した。

今から振り返れば、円高修正は必然に見えるが、昨秋の段階でこれだけの決断ができる人は少ない。その理由を問うと、「安倍首相やブレーンの意味を注意深く聞いていた」と答えてくれた。マクロデータと政府首脳の発言を丁寧に分析していたようだ。

笠井さんは富士銀行で為替ディーリング部隊を率い、数々の伝説を作った。相場を読み切って多くの収益を同行にもたらし、副頭取まで上り詰めた。古参の金融業界では「為替の神様」として知られている。


「公平な記事を書いてよ」

お目にかかると毎回、野球の話になった。2012年のシーズン、ソフトバンクホークスはなかなか調子が上がらない。活躍できない大物外国人の話題になると、「日本に合う合わないがあるからね。見極めが難しいよ」と現場をかばった。

 「公平な記事を書いてよ」と言っては笑い、日本経済新聞で特定の球団の扱いが大きいとお叱りを受けた。証券部記者だった筆者がプロ野球の記事を書くことはできないが、「公平に」という言葉にいつも身が引き締まる思いがした。

笠井さんが公の舞台に現れたのは、今年6月の株式総会が最後だった。「(ソフトバンク入社後)の13年はあっと言う間だった。赤字の中で資金調達するのはたいへんだったが、今や金融機関から絶大な信頼を得ている。(孫社長は)ユニークさが通常のレベルを超えていると同時に、非常にヒューマンな方だ」と総会の最後に話した。


1031日の決算説明会の冒頭で孫社長は笠井さんへの思いを語った。「胸が苦しくて大泣きに泣いた。今朝、スーツのネクタイも黒っぽい色を着けて家を出ようとしたが思い直した。沈み込んでいたら本当に笠井さんは喜んでくれるだろうか、と。それよりも夢を追いかけ続けている方がきっと喜んでくれる。だから一緒に歩んできた明るいネクタイでここに来た。ソフトバンクの夢を追いかける冒険はまだまだ始まったばかりだ」。




【本年3月の参考記事】

日経WEBより:

ソフトバンク、2000億円コスト減の陰に為替の達人:

為替の神様の御利益があるのかもしれない」。ソフトバンク幹部はこう言ってほほ笑んだ。

ソフトバンクの財務戦略が奏功している。

昨年11月中旬に野田佳彦首相が衆院解散を表明してから円高修正が急速に進む。1ドル=80前後だった為替は、一時94円台となり、3月1日は92円台で推移した

ソフトバンクは今年半ばに米携帯電話3位のスプリント・ネクステルを201億ドル(約1兆6900億円)で買収する予定。昨秋に82.2円で為替予約を締結したため、1月末の時点(1ドル=91円台)の為替レートならば、買収資金を約2000億円削減することになるという。買収は今年半ばの予定でその際の為替レートは読めないものの、今の水準で為替が推移すれば、買収の負担を減らすことができそうだ。

その財務戦略を支えているのが、笠井和彦取締役だ。富士銀行を経て安田信託銀行会長から2000年にソフトバンクの孫正義社長に引き抜かれた。富士銀行で為替ディーリング部隊を率い、相場を読んで多くの収益を同行にもたらし、副頭取まで上り詰めた。古参の金融業界では「為替の神様」と知られた人物だ。ソフトバンク幹部は「笠井さんの見解も踏まえた為替予約だ」と語る。当の笠井取締役は「安倍首相のブレーンの浜田宏一(エール大名誉教授)さんが金融緩和と円高修正が必要だって言ってたしね」と多くを語らないが、市場関係者は「絶妙のタイミング。見事だ」と評した。

今から振り返れば、円高修正は必然に見えるが、昨秋の段階で万人に確信があったわけではない。多くの輸出産業が現在の為替レートより円高で為替予約をしていたこともあり、本格的な寄与は来期以降とタイムラグがある。その半面、円安を想定したソフトバンクは円高によるデメリットを最小限に抑えることができそうだ。

「運がいい」(市場関係者)との声もあるが、大型買収を決断したタイミングも絶妙だった。ソフトバンクがスプリント買収を決めた昨年10月は、円高と低金利がそろった抜群の金融環境だった。0.7%台の低い長期金利が、巨額の資金調達を後押しする。正式に融資要請してからわずか1週間で、みずほコーポ銀などメガ3行とドイツ銀行は総額1兆5000億円規模の融資を決めた。1ドル=80円という円高の追い風もあった。2006年に約2兆円で英ボーダフォン日本法人の買収を決めた際は長期金利が1.7%台、円相場は1ドル=116円台であり、金融環境が大幅に改善した。

為替だけではない。2月22日、事業会社としては過去最大となる3700億円の普通社債の発行条件を決めた。期間は4年で、利率は1.4%台。巨額買収で財務の悪化が懸念されたが、日本格付研究所(JCR)が「好調な既存事業のキャッシュフロー創出力を考慮すれば、格下げするとしても1段階程度にとどまる可能性が高い」と発表したことが社債発行を後押しした。

17年に満期が来る社債のスプレッド(国債利回りに対する上乗せ幅)は、スプリント買収発表前は0.5%台だったのが発表後に1.8%台まで上昇。その後は徐々に改善し、足元では1.4%台まで回復した。野村証券の魚本敏宏チーフ・クレジット・ストラテジストは「クレジットのモメンタムは改善基調にある。個人投資家にとっていい社債だ」と評価する。

実際、個人投資家向け社債3000億円の発行が明らかになると予約が殺到。機関投資家からもソフトバンクに直接要望が舞い込み、急きょ機関投資家向けの起債も決める。これも始めは500億円程度の予定だったが、需要が旺盛なため700億円まで増額した。それでもソフトバンクは「超過需要があった」という。市場関係者は「個人からすると銀行預金の利率と比べて魅力的な投資になる」と指摘する。

昨年、本紙の取材に対して孫正義社長はこう語ったことがある。「私に1つだけ長所があるとしたら、ボールを見極めて絶好球を待ち、ぎりぎりまでひきつけて全力で振り抜いてジャストミートすること」。大きな経営判断に対する自信を、野球でいう「好球必打」に例えてみせた。財務戦略でもその言葉を証明している。

ただ、それはホームランなのか、大ファウルなのか。市場はジャストミートした後のボールがどこに飛んでいくか、軌道を読み切れていない。実際、PER(株価収益率)は約13倍と、競合他社と大きな差はない。今後は米政府による買収審査などをクリアして着実にスプリントを買収し、業績が低迷する同社の立て直し策を示すことが必要になる。