人生ゆっくりと今を生きる ~Lives Life No Matter -2ページ目

人生ゆっくりと今を生きる ~Lives Life No Matter

ガンになって死というものと向き合った。
人間である限り、遅かれ早かれ平等に訪れるもの。
幸福か不幸か関係なく、物理現実の先にあるもの。
終わりを見据えて、今生が老後だと答えが出た
そんな一片の備忘録


ある人は言う、人生は無限の可能性と
ある人は言う、人生は限られた世界で生かされている

誰が言ったかは知らないが、巷でよく言われている
というか、何となく私の記憶に残っている言葉だ

結局、どっちが正しいのかということだが
よくわからない

でも、これらはただのポジショントークではないかと思う

無限の可能性、イメージは無限に描くことができるし
世界中の人を自分の携帯の電話帳に入れることもできるし
お金も無限に稼ぐ可能性もあるだろう

でも、片方で有限の要素もある
現代の科学では生物には寿命が存在する
でも昨今クローン技術もある、が
例えば60歳で自分の若いころのクローンを生成しても
寿命遺伝子テロメアは60歳時点でのコピーになるので
いくら見た目が若くても残念ながら限界がある

体は死んでも脳は生き続けられるか?
残念ながら寿命があり、コピーもいずれ途絶えてしまう

生きていくためには、酸素も必要、食べ物も必要、睡眠や適温の環境…
人間が生きていくには様々な制約があるのは事実であり
もし無限であれば宇宙空間でも生きれるということになるが、
それはできないので制約の中でしか生きられないことになる

でも制約の中でなら、思い描くものや欲しいものは得られる可能性がある世界、とも言える

人は生かされているのか、と言えば生かされているのかもしれない
私的には生かされていると思っている
生まれたいと思って生まれてきたわけではない
死にたいとは思えても、生まれたいとは思えない

となると、人生は制約だらけの中である程度の自由に采配がある世界である
ということになるだろうか…

どんな権力者でも、あるいは私のようなアングラでも
コロナにかかる可能性はあり、そこは平等である
制約とはどんな人でもほとんど同じで平等だと思う
ただ不公平もある、上級国民か否か、とか
大きく不公平感を感じることもあるが
だが果たして、上級国民が全員幸せかと思うと、そうではないとは思うので
私個人的にはあまり憧れない
アングラならではの多幸感もあるので、それを謳歌すればいいと思う