これから猫を飼おうとしている
飼いたい品種はスコティッシュフォールド(以下スコ)
この品種、知ってる人も多いと思うが、先天的に病気持ちの品種である
スコは折れた耳が特徴で、なんとも可愛らしい容姿だ
アメショーやベンガルのようなスマートさとは違い、かわいい系(もちろん猫はみんな可愛い)
この猫は、実は突然変異で生まれた個体だそうなのだが、生まれてから数ヶ月で足が痛む病気を発症するそうだ
骨軟骨異形成症と言うらしい
関節にコブができて固くなるのだとか
そうして痛みと十数年付き合い、天命を全うする
(寿命は他の猫同様12、3年は生きるそうだ)
ということで、この品種(とマンチカンも?)は猫界では物議を醸しているそうだ
某日本一のYouTuberも飼っているし、某ギネスのネコもこのスコである
前者は折れ耳、後者は立ち耳である
前者は特に影響力が強いためか、炎上したそうだ
この品種を飼うこと、そしてブリーダーをされている方々にはとても厳しい言葉が集まっている
否定派としては
「生まれてくる子に一生辛い思いを強いることを分かっていながら産ませるのか」
「可愛いというだけで飼うとはなんたるエゴだ」
「海外ではすでに繁殖禁止になっている」
肯定派としては
「折れ耳×立ち耳で交配すれば、立ち耳が生まれ、その子は症状が軽い」
「人間で考えると、生まれる子が奇形の可能性があるから産むなとでも言うのか」
なるほど、どちらのいい分ももっともである
なのでこの議論に絶対的な答えはないだろうし、何百年続こうと決着しないと思っている
仮にスコの病気を治す特効薬ができたとしても
「奇形であることに変わりはない。腕がない子が確実に生まれるのを知っていながら、産んだら義手をつければいいだろ、とでも言うのか」
というような反論になりそうなので、結局同じかもしれない。
非常に難しい問題だ
そもそもペットとして飼う、という行為自体、人のエゴなのかもしれない
そうなってくるとどうだろう?
例えば水族館
人の見せ物にするために、狭い水槽に閉じ込めておくなんて、冒涜だ
例えば猫カフェ
動物で金儲けとは、人道的とは思えない
ペットショップ
これも同じようなものだろう、人に考えたら奴隷に他ならない
と、まあ批判的な目で見れば叩くところは幾つもある
人間で置き換えて考えるのは論点ずらしだと言う意見もある
が、子供は自らが望んで生まれたわけではない
これは、親が子供が欲しいから、というエゴ以外の何物でもないという点で同じよう気もする
何より、子供は生まれる環境を選べない
ペットは我が子と同じなのだ
だからペットを飼うというのは、子供を授かるのと同じで、完全にエゴであるというのは前提として必要なのだろう
じゃあこのエゴの良し悪しについてはどうだろうか?
エゴとはいろいろ意味があるが、この文脈では、「自分本位の考え」ということになる
人はエゴがあったから増えて、社会を形成し、発達してきたのではないのだろうか?
ペットを飼うのはエゴで悪だ
というのなら、人が子供を授かるのも悪だ、と言わざるを得ない
じゃあエゴは善かと言えば、他に迷惑(影響)を与えるので、善とは言えないと思う
この問題、100人100通りの回答があると思うので、私見を述べると
エゴであることはまず間違いない
だがそれでも一緒にいたい、という気持ちで、生きているうちは精一杯お世話をして、隣にいて、生まれてきたことが辛いと思わせないように全力を尽くすのが、飼い主や親としての責務なんじゃないかと思う
話をスコに戻す
ブリーダーは金儲けのためだけにやっているのか、可愛い猫たちを最後までお世話してくれる方に巡り合わせるためにやっているのか
それは側から見ても判断つかない
ブリーダーから買うのなら、その人間性まできちんと見た上で判断するのがよいのだろう
転売ヤー撲滅手法と同じで
そんな人からみなが買わなければ、不幸な猫がこれ以上増えることはない、と信じている
ただし、そういう人から買った人を、「買う方も人間のクズだ」と批判するのは、それもエゴという物な気がする
ここまで結局どちらの肩も持ち、どっちつかずの話をしてきた
上でも話した通り、この問題に模範解答はない
結局は、自分の意志と責任を大切にすべきだ
が、俺の答えである
ということで、俺は立ち耳スコを頂いてくるつもりです
初めは一人暮らしの寂しさを埋めたいなんて自分本位だったけど
俺の隣でずっと餌くれ、構ってくれという可愛らしくも頼もしいパートナーとして
我が家に迎えたいと思う