午後7時を回った頃、ブラスバンド部はこの日の合奏練習を終えた。下校時刻を過ぎているので、皆急いで片付けをしている。管楽器は楽器の掃除をしてからケースに片付けなければ管内に汚れが溜まってしまう。面倒ではあるが、毎日のメンテナンスが大事なのだ。寮生は自室に帰ってからゆっくり手入れが出来るが、通学の生徒で自宅が遠い者も、家に帰えるまでに時間がかかりすぎ、楽器に悪いのでこの場でしっかり掃除をしておかないとならない。必然的に帰る時間に差が出る。
部長である飛鳥は戸締りをしなければならないので、最後まで残らなければならないし、どちらにしろ自分の楽器も片付けに時間がかかる。他の部員の様子を覗いながら、ゆっくりと自分の楽器を片付けて窓や備品ロッカーの施錠を確認する。一緒に変える葉助も当然手伝う。
「部長~。打楽器の片付け終わったで」
声をかけてきたのは頭にバンダナを巻いた生徒だ。
「ありがとうナカさん。じゃあ打楽器倉庫の鍵閉めるね」
「お願いしま~す」
バンダナの生徒は打楽器パートリーダーの中井圭一だ。会議の前に飛鳥が電話をしていた相手である。打楽器は各楽器のメンテナンスの必要はないが、ティンパニーや太鼓類などの大型楽器の倉庫への出し入れがある。打楽器部員全員でそれを行うのだが、それなりに時間はかかる。曲によって使う楽器も違ってくるのでおのずと数も増えからだ。
「明日は合奏ないけど、個人練はできるから。倉庫の楽器使うときは先生に言って出して使ってね」
「りょ~かい。でも俺、明日はバンドの練習やから、おらんで」
「そうなんだ?まぁ明日は俺がいるから……他の誰かが来たら開けるよ」
圭一は頭のバンダナを巻き直しながら応えた。バンダナの下は綺麗なスキンヘッドだった。背が高く細身なのでマッチ棒のような風貌である。細くてタレがちな目が優しい雰囲気を出していて、明るくユーモラスな性格は後輩からも慕われている。葉助や飛鳥とは同じクラスでもある。出身は関西で、今は寮で暮らしている。バンドとは、掛け持ちしている軽音部で組んでいるバンドのことだろう。こちらも学園祭でのステージ発表があるので、この時期は毎日どちらかの練習があり、圭一は多忙な放課後を送っている。ちなみに、学内コンクールに出る気は全くなく、部活の練習だけに勤しんでいる。
「おおきに。ほな、先に帰るわ。寮の夕飯何やろな~」
カバンとドラムスティックの入ったケースを持ち、部室から出て行った。
室内を見回すと、他には誰もいなくなっていた。
「じゃあ俺達も帰ろうか」
「あぁ」
飛鳥は葉助を促し、教室を出た。いつも通りに施錠をし、東棟へ向かう。
「設備が良いのはありがたいけど、こうだだっ広いと移動が面倒だな」
葉助は愚痴っぽく言った。
「毎日これだけ歩いてたら、運動不足にはならないよね」
「楽器も思いしな」
「ラッパなんかまだマシなほうだろ」
実際、トロンボーンとトランペットではケース付での重量にはかなりの差がある。しかもトロンボーンはスライドの分だけ長さがあるので持ち運びは少々面倒だ。
「まぁそれはお互い選んだ楽器の差ってことで。ほら、楽器持っててやるから、鍵返してこいよ」
「はいはい。じゃあ昇降口で待ってて」
いつもの如く飛鳥は職員室に、葉助は昇降口へ向かう。飛鳥が部長になってから、部活の帰りは毎回このパターンだ。葉助は自分と飛鳥の楽器を抱えて昇降口へ向かった。
その途中、特徴のある後ろ姿を発見した。男子部では多分ただ1人しかいないであろう背中にかかるほどの長い髪。桜井候二だ。隣りにいるのはあまり覚えのない顔だ。と云っても、葉助は基本的に興味のない人の顔を覚えることはないのだが。
「あ、三高先輩」
前を歩いていた候二が振り返った。葉助の気配に気が付いたのだろう。
「この時間まで残ってたって事は部活ですか?」
「あぁ」
候二は立ち止まって、葉助が追いついてくるのを待った。当然、一緒に歩いていた生徒も立ち止まる。それは勿論、隆弘だ。これから寮に向かい、練習をするのだろう。
「それ、飛鳥先輩の楽器ですね?職員室ですか?」
「あぁ」
意識してはいないが、どことなく素っ気ない応え方になる。
葉助は何となくだが、候二が苦手なようだ。愛想も良いし悪い感じはしないのだが、何かが受け付けない気がした。いや、受け付けないと云うより、ウマが合わないような気がするのだ。会話をしたことも数えるくらいしかないが、そう感じる。
「仲良いですね。確か幼馴染みなんですよね」
「よく知ってるな」
「飛鳥先輩から聞きました」
葉助が追いつき、三人並んで歩きだす。状況的に、候二が真ん中になる。隆弘と葉助は、会議で顔を合わせたことはあるが、言葉を交わしたことはない。隆弘としては、葉助の事はいくつか噂を耳にしたことがある。天才トランペッターとしても、素行の悪い生徒としても、有名人なのである。しかし葉助にとっては隆弘は「大勢の後輩の1人らしい」程度の認識だろう。
「良いなあ。俺って中学から一緒のヤツっていないから。幼馴染みっていないんですよね」
「別に付き合いが長けりゃ良いってもんでもないだろ。お前友達多そうじゃん」
候二のように愛想が良くて可愛ければ誰とでも仲良くできるだろう。現に生徒会では同級生とも上級生とも仲が良さそうだ。今日の会議前の様子を思い出す。そこで、隆弘が候二の隣りに座っていたのを思い出した。
「あぁ、お前、生徒会の役員か。どっかで見たことあると思ったら……」
隆弘の顔を改めて見つめた。
「三高先輩……今頃気付いたんですか?今日の会議で顔を合わせたばっかりじゃないですか」
候二が大袈裟にため息をついたが、何となく予想はしていた。候二のことも覚えてなかったのだから、隆弘のことも当然覚えてないのだろうと。
「一年の佐藤です。生徒会会計で、ピアノ科です」
隆弘は簡単に自己紹介をした。隆弘も葉助も平均より少々身長が高いので、間に挟まれた候二の頭上で視線が合うような構図だ。
「人の頭上で会話しないで下さい……」
候二は面白くなさそうに抗議の声を発した。
「お前が小さいのが悪い」
「小さくない!」
確かに平均よりは少々小さいが、そこまで小柄なわけでもない。が、この二人に挟まれるとどうしても見上げることになってしまうのが、男子としては悔しい。可愛い女顔も本人にとってはコンプレックスでもあるのだ。
「仲が良いんだな」
さっきの候二の台詞をそのまま返した。