一国の中央銀行の総裁が辞任を表明したというのに、ポジティブに捉えて暴騰する日経平均の不可思議さ。それを笑顔で、リーマンショック以来の高値だと騒ぎ立てる、キャスターやアナリストの気味悪さ。アベノミクスの正体は、馬鹿騒ぎの相場に高額投資できる金持ちと、既得権者が儲かる、彼らだけに都合のいい政策なのは見え見えなのに、それに期待する一般人が余りにも多い事は理解不能。円安・株高で得をするのは、輸出関連の大企業のみ。公共事業で儲かるのは、元請けの大手ゼネコンだけ。あとは、利権絡みの官僚と、献金をたんまりと受ける政治家くらい。たとえ雇用が増えたって、経団連の動きを見ても分かるように、ベースアップがなければ消費なんか増えやしない。それに以前にもブログに書いたが、デフレ、デフレというけれど、日々主婦と同様の買い物をしている立場で言わせてもらえば、日用雑貨も食料品も、もう何年も前から、値段は変わらなくても一箱・一パック・一本の量が減らされて、実質的な値上げが繰り返されている。例えば、マーガリンは、昔はどのメーカーも一パック450gだったが、今では320gだ。シャンプーやリンスの詰め替えパックもしかり。安くて旨いから、酒のつまみによく食べた、某チョコチップクッキーが、どれだけ小さくなったのか、消費者なら気付かないはずがない。しかも最近は、あらゆる商品でその度合いが増している上、野菜などの生鮮食料品も値上がりしているものが多い。これで、どこがデフレなんだ!多くの人にとって、今金融市場で起こっている事は、テレビ画面の向こうの遠い世界の夢物語なのだ。何度でも書くが、この先待っているのは、増税とインフレによる物価高騰と社会保障の切捨ての三重苦だ。しかも、給料は増えないのだ。更に、参院選で捻じれが解消することになれば、憲法などの改正が、人権の不平等を招き、教育格差により、権力や富が固定化され、明治憲法下のような階級社会に向かう危険性も十分考えられる。まさか、徴兵までは行くまいが、そう感じている人は、かなりいるのではないか?このままでは、いかん。
日本の柔道界で起こっている問題は、根が深い。既に語られていることだが、全柔連の体質が腐りきっているようだ。閉鎖的な縦社会の中で、かつて隆盛を極めた頃の名残からか、一部の幹部には、間違った特権階級的な意識があるらしい。会長や、辞任を発表した前・強化委員長の記者会見の様子を見れば、内部の自浄作用には全く期待できないことは明らかだ。この二人の発言は、脅しそのものでしょう。僕には、「俺にこんな会見をさせやがって、訴えた15人が誰だか分かったら、どうなるか覚えていろよ」って言っているように聞こえた。少なくとも、謝罪というより、高圧的なものしか感じられなかった。これだけ大きな問題になっているのに、公の場での対応がこれでは、15人の女子選手は、怖くて名乗り出ることができないのは当然だ。それなのに、残念なことに、あの橋本聖子氏までが、条件を整えて、名乗り出られるようにすべきであるとの趣旨の発言をしたとはがっかりだ。前・世界選手権覇者の山口香氏が、「公表しても選手の不利益にならないと保証されておらず、時期尚早と思う」述べたらしいが、その通りだろう。こうなったら、山下泰裕氏に期待したい気もするが、とにかく動きが遅すぎる。未だに15人に聞き取り調査を行なったという報道はされないし、第三者機関の調査という単語ばかりが踊っていて、実際に着手したとの話は聞こえてこない。ロンドン・オリンピックで日本・柔道が惨敗した時に、男子で今回の件と同様の事を感じてブログに書いたが、まさか女子でここまで深刻な事態に陥っていたとは驚きだ。このままでは、いかん。
今の僕の生活状況も、このままではいかんのです。以前のブログに書いた理由で、相場から一時撤退しなければならなくなってから、もう1年2ヶ月も経つのに、徐々に厳しくなる介護と家事労働に時間を取られ、自分の本分にはまったく取り掛かることが出来ず、暗澹たる気持ちで、先の見えない毎日がただ過ぎていく。今日などは、開放されたのが午前3時。命令と、罵倒恫喝の中で、自分の生活と心を犠牲にしているのに、感謝の言葉を聞いた事は、まだ一度もない。打開すべく割り切って、僕に全てを押し付けている連中と戦うにしても、準備や相談は必要だ。でも、目が離せないので長時間の外出は不可能で何もできない。ネットや電話で調べることはできても、行動を起こさなければ、何も始まらない。あるのは、焦りと、ふて腐れた気持ちだけ。諦めと絶望がないのが、唯一の救いかもしれない。もうしばらくは、我慢して、嵐の過ぎ去るのを待つのみか。この間、何回このような愚痴とも嘆きとも言えるようなことを書いてきたか。全く進歩していない。世の中は動いている。書きたいネタは沢山ある。自分の生活に中身があれば、それについて書くこともあるのだろう。でも、今日の時点では、自分なりに調べて考えてから文字に起こす作業ができる状況ではない。今日書いている内容は、浮かんだことを、何も考えずにキーボードを叩き、読み返すこともなくこのままアップするしかない。このままでは、いかん。
今日の一曲は、「遠くへ - 1973年・春・20才」 浜田省吾 1986年
アルバム 「J.BOY」 より
先日、なうに書いた、謎が解けたというのがこの曲です。
オリジナルがどのバージョンなのかは2つの説があるようですが、リンク先(その1,その2)を参照してください。
ボビー・ブラントの曲は、こちらです。
この曲の謎が解けるきっかけとなった2つのバージョンは、こちらのブログ(その1,その2)で聴くことができました。
ロッド・スチュアートの方は、子供の頃に聞いたことがあるような気がします。
浅川マキのバージョンは、なんだか胸に染み込むようで、すばらしい。
こういう曲を、しっかりと受け止められるような人間になりたいものです。
さて、なぞの種明かしですが、今日アップした浜田省吾の遠くへ~は、題名に1973年と入っている事からも、アレンジは加えているものの、これも 「It's Not The Spotlight」 のカバーだったんですね。
僕は、そう思いますが、いかがでしょうか?
では、また。