ばあちゃん
俺には、4日前までばあちゃんがいました。
何で過去形かと言うと、もうこの世にはいないからです。
俺は高校卒業して、上京するまで18年間ばあちゃんと暮らしていました。
俺が悪くて親に怒られていても、いつもばあちゃんは俺の味方でした。
俺はばあちゃんが大好きでした。
寝ているばあちゃんの鼻を舐めると、俺が寝ている時には仕返ししてきます。
ばあちゃんがソファーに寝てたら膝枕してもらいます。
ばあちゃんが寝る布団に入って隠れてると、困った顔しながら笑ってくれます。
ばあちゃんが寝ている布団に入っていくと、「かなんなー。」と言って笑ってました。
親に甘えるのは恥ずかしいですが、ばあちゃんに甘えれました。
こればっかりは他人に何と言われようが気にならない気がします。
高校卒業後、大学に受かるまで実家には帰らないと決心して上京したら、会いに来てくれました。
80歳を越えているし、駅の乗り換えだって、都内の電車だって楽ではありません。
毎日毎日、仏壇に向かって合格のお願いもしてくれました。
大学に受かったらまるで自分の事のように喜んでくれました。
入学式も東京まで来てくれました。
大学生になって毎月小遣いを仕送りしてもらってるのに、実家に帰ると必ず、「お母さんには内緒な。」と言って小遣いをくれました。
電話しても「ちゃんとご飯食べてる?」「お金足りる?」って心配してくれました。
趣味の俳句にも俺の句をたくさん書いてくれました。
癌と分かったのは、俺が高校卒業する頃でした。
年齢的なものもあり手術も告知もしていませんでした。
その時はあと2,3年だろうと言われました。
日ごろからばあちゃんは、俺が「大学を卒業するまでは生きたい。」と言ってました。
毎日毎日、牛乳飲んで、家の中を万歩計付けて歩き回ってました。
俺を生きがいにしてくれてました。
調子が悪くなったのは、癌と分かって6年程経った今年の春先でした。
腹水が溜まり、下肢が浮腫になりました。
日課の運動もできず、ベッドの上で過ごす時間が多くなりました。
夏前に、1回入院したんですが、家が良いとの事で家で様子を見ることにしました。
ベッドから起き上がることもできなくなり、「何でこんななってしもたんやろう?」「早く歩けるようにしやな。」と言ってました。
しだいに食欲も無くなっていき、ゼリーやポカリスエットぐらいしか口にしなくなりました。
8月過ぎには、また入院することになりました。
その頃には、本人も自分の体の異変に気づいており「何でこうなったん?」と聞きました。
俺は、「何でやろなぁ。」とごまかしました。
自分を一番に大事にしてくれたばあちゃんに嘘をつきました。
9月になると痩せて明らかに元気がなくなっているのが分かりました。
週末は本人の希望で家に帰って来ており、俺も週末には実家に帰りました。
大好きなばあちゃんと少しでも一緒にいようと思いました。
それからのばあちゃんはほとんど話す事もなくなりました。
薬の影響か寝ている時間も多くなりました。
亡くなる2週前の週末、また東京に戻る前にばあちゃんに会いに行くと寝ていました。
俺が「今から帰るわな、また来週来るからな。」と言うと、「おじいちゃんみたいになってや。」とその一言を言ってまた寝てしまいました。
ばあちゃんが俺に掛けた最後の言葉でした。
俺のじいちゃんは医者でした。
俺がじいちゃんのような医者になる事をばあちゃんは願っていました。
次の週は会話もあまりできに状態でした。
亡くなる当日、いつものように週末なんで実家に帰って、ばあちゃんに合うと酸素マスクを吸って、意識があまりないような状態でした。
俺がばあちゃんと呼ぶと、少し反応したような気がしました。
その後、家に帰ってしばらくすると、病院から危ないとの知らせがあり、病院に着いた時に亡くなりました。
まるで俺が帰って来るのを待っていてくれたかのようでした。
今まで一緒にいた人の死というものを改めて感じさせられました。
後悔だけが残る気がしています。
もっとばあちゃにしてやれた事があったはずです。
ばあちゃんが俺にしてくれたほんの何分の一しかできてないです。
願いが一つ叶うなら、ばあちゃんに「ごめんね。」と言いたいです。
まだ実感がわきません。
でも何も無かったかのように時は過ぎて行きます。
その波に飲み込まれてはいけない。
ばあちゃんはどこに行ってもまた俺の事を見守ってくているような気がします。
医者になった時に一番にお墓に報告に行きたいと思います。
