ボクシングと言葉2
今日は、ジョイス・キャロル・オーツの「オンボクシング」から引用したいと思います。
「ボクサーたちは、その中で、自己の存在の極限を公衆の眼前で証明する、という絶対的な経験を生きる。
彼らは知ることになる。自分が、どれほどの体力と精神力を持っているか、どこまでやれるか、あるいは、どこまでしかやれないか――自分についてそれを知ることができる人間は、ごくわずかしかいない。
ボクサーたちは、この闘いに、自分の存在のすべてを込める。そして、すべて――自分でも把握していない自分自身についての秘密も含めて、すべてが、白日のもとにさらされる
例えば、1ラウンド、また1ラウンドと続く試合、ジャブ、当たらなかったパンチ、クリンチ、何も決まらない、またゴングが鳴る、あなたと、そして、あなたの対戦相手、二人はあまりによく似ているので、あなたの対戦相手があなたなのだと思わずにはいられない。
なぜ、闘争するのか?
ライトが容赦無く照りつける檻の中、ロープで囲まれたこの高い壇上で、今か今かと待ち受ける群衆を前にして、なぜ闘うのか? ―といった忌まわしい文学的暗喩。
人生は多くの点でボクシングに似ている。
だが、ボクシングは、ボクシングにしか似ていない