思えば僕が銀杏BOYZに傾倒し始めたのはいつごろからなのだろうか。

 



 

銀杏BOYZという存在を知った2015年頃だろうか



深夜ラジオから流れてきた「エンジェルベイビー」に発狂したあの時だろうか



あんなによだれを垂らす峯田がNHKの朝に出てたあの時だろうか



飛田新地に行って童貞を捨てたあのときか



川崎CLUB CITTA'で初めて銀杏BOYZを観て汗と涙まみれになったあのときか



死に物狂いで追いかけた夢が幾度となく消え去ったあのときか…いまか…

 

 



このアルバムを聴いてふと自分の銀杏BOYZの原点、着火点が知りたくなった


たまーにこういうことがある 



腐ったニオイを嗅いだ時 

不気味な夕焼けを見たとき 



「あれ、これ夢でみたことあるかもしれない」 



既視感やデジャヴとは違った



自分も知らない 思い出そうともしなかった情景を呼び起こしてくれるものがある



いわば記憶の引き出しをあけるトリガーに近いものなのかもしれない

 


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どうでしたか、みなさんこのアルバム?

僕の第一印象は

 








「峯田、俺も好きだぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁぁぁぁ」

 






ですよ!こんなもん最高以外の言葉が出ないんですよ

 


アルバムの最初から最後まで愛を歌い通している


そこらへんにある薄っぺらいラブソングとは違う


銀杏BOYZのラブソングは愛するか、死ぬか


LOVE or DEADだ


ラブソングってこんなにもうるせぇんだ!うるさくていいんだ!


「DO YOU LIKE ME」なんてまさにそうである




いまの日本では到底受けないノイズまみれの爆音


MVに至ってはもうめちゃくちゃである


でも求めてたラブソングってたぶんこれなんだなー


ロックと愛の濃厚接触 

舌が入りそうで入らないあのアクリル板





”夢のままじゃ遠すぎて 小指と小指が届かない 今のままじゃ求めすぎて”





この絶妙な距離感こそが峯田にしか成しえないラブソング

 



また全編にわたった峯田節ともいえるカタカナの使い方もめちゃくちゃうまい



フレンチクルーラー サッドボーイ 

ライオットガール ブルーハーツ ニルヴァーナ

ビートルズ リバーズエッジ ポンヌフ 

ストロベリーフィールズ セブンティーンアイス 

メタモルフォーゼ 

アーメン ザーメン メリーチェイン



こういったカタカナが僕たちを最短距離で記憶の泉に連れてってくれる

 



ノイズまみれの最初の2曲で駆け抜け、GOING STEADYのセルフカバーである「大人全滅」、銀杏BOYZ史上最高のアンセムといっても過言ではない「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」、シングル時とは大きくアレンジを変えた恋とロックの三部作、いちごの唄と続き、最後の3曲がきつくのしかかると同時に傷つきながらやさしく包み込む…

2014年までは未完成だった(というよりも未完成の状態で発売せざるを得なかった)ノイズやシュゲイザーの要素を銀杏BOYZらしく解釈しつつ、大好きなUKロックを存分にかまし、なによりあのライブハウスの熱狂とCD音源の絶妙な中庸、距離感のバランスが素晴らしい

 

















とまあ詳しい解説はぜひ峯田の口からたくさん語られてるので雑誌を買うなり、無料で読める覚書を見て欲しい




銀杏BOYZ『ねえみんな大好きだよ』特設サイト



 

 

ここで言いたいのは音楽的なことではなく…

 

 

「これって、あのアルバムを聴いた時と似た感情だ…。そう、

 

『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』!!!!!!」





 

 

当時のジャケットは江口寿史が書き下ろしたひばりくん


今回は台湾の女優アンジェラ・ユンがカバーを務めている

 

2つともこんな美しいジャケットなのに一曲目からうるせえうるせえ


(ある意味で)期待が裏切られた状態で聴いてるのに、アルバムを聴き終わるとなぜかこの美少年、女の子の歌に聞こえる

 



最初の2曲が狂いそうなパンクロック

2曲目に至っては「SCHOOL KILL」と「SCHOOL PILL」

 




「BABY BABY」や「青春時代」がGOING STEADYのセルフカバーなのを同じくして、「大人全滅」も


いまのメンバーで、いまの銀杏BOYZでこの曲をやることでこのアルバムを出発地点にしたい



逆を言えば



さらばGOING STEADY 



さらば今までの銀杏BOYZ 



さらば村井

さらばアビちゃん

さらばチン

 


という気持ちは間違いなく同じである

 





「駆け抜けて青春」も「恋は永遠」もYUKIが登場

妄想や手の届かない場所にしかいなかった女の子が幻として歌っていることに変わりはない

YUKIの歌声が聞こえた瞬間、すべてが許された気がするあの空間

今回に至ってはYUKIはハモリ部分のみ

峯田が歌っているのを想像してもよし、自分で歌ってもよし

より幻の部分が聴き手に委ねられている気もする

 




「BABY BABY」で登場した月面のブランコは、15年経った今でも揺れてるんだって

「恋は永遠」を聴いてそんなことを考えると泣ける

 





最後の「アレックス」は映画のエンドロール感もあり、アルバムの最後を飾るにふさわしい



温かく優しく、すべての罪を許してくれそうな気がして



でもエンドロールが流れた後にもうワンシーンがあってもやもやする、ときには絶望すら感じさせる気もする



この曲も、またどこか優しすぎて傷つく

この複雑な感情、「漂流教室」でも抱いてしまった

 

 





そして銀杏BOYZのアンセム「東京」と「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」

 


愛し終わるということは別れを意識することだ



時には死も意識しなければならない 

あまりにもつらい



「アーメン・ザーメン・メリーチェイン」は2019年にこの世を去ったイノマーさんに向けた曲だ

 



“ぼくが生きるまで きみは死なないで”



 

この歌詞でイノマーさん最後の舞台となった2019年のティッシュタイムフェスティバルを思い出した

(この様子の一部はAbemaビデオのDTテレビ #101で観れます)

 



片目は眼帯、車いすに乗って、舌がなくまともに喋れないイノマーさんはこう言った



「ごめんね まだ生きてます」

 


謝るなよ、って思った

でも最高にかっこよかった ロックンロールだった



峯田はそんな最強のロックンローラーに

「死なないで。生きるまで。」

と寄せ書きをした

 


逃げながらも絶対に生き延びてくれ 


銀杏BOYZに逃げてくれ


まさしく峯田の信念そのものを表した曲だと思う

 





2014年、メンバー3人が脱退

銀杏BOYZは抜け殻状態になった



そこから朝ドラに出演、武道館も2回やり、世間の銀杏BOYZの印象はがらりと変わった



それでも、峯田自身は逃げることなく6年半、この時のために音楽をやり続けた

 


18歳から続けてきたバンド

屋号もメンバーも変わったが、童貞の思考のまま、ロックを愛し続けたまま峯田は大人になった



そんな“今の”銀杏BOYZの出発地点にしてデビューアルバム

 



さらば銀杏BOYZ  はじめまして銀杏BOYZ

 

 

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とまあ書いてきたのだが…。



どうも言語化というものは難しい

感想を、感情を言語化すると方程式の答えのように揺るがないものになってしまう





 

 

最初の話に戻したい 




自分の銀杏BOYZの着火点




本当にこれかは分からないがおそらく

「空気階段の踊り場」というラジオなんだと思う




2017年に始まったこのラジオ

当時空気階段の実態をほぼ知らないままラジオを聴いていた



だんだん明かされるもぐらとかたまりのエピソード



そして2017年、僕は銀杏BOYZというバンドを知って初の新曲と出会う

それが「エンジェルベイビー」「恋は永遠」だった



そこから空気階段と銀杏BOYZに傾倒していった



単独ライブを観にルミネへ行き、ライブハウスへ行き…

 

 

そんな自分の中で別ジャンルだった2組が奇妙な出会いを果たす




なんと峯田和伸ともぐらが知り合いだというのだ

「駆け抜けてもぐら ~僕と銀杏BOYZの青春時代~」

当時の放送は今でもはっきりと覚えている



こんな映画みたいな話ある笑?



空気階段の踊り場 #103【本編】駆け抜けてもぐら~僕と銀杏の青春時代~



 

でも間違いなくあの放送が僕の中での銀杏BOYZの最大火力の着火点だ



何度もタイムフリーで聴いて、何度もクラウドで聴いて、何度も銀杏BOYZを聴いた

 


そして1年が経ち、銀杏BOYZはアルバムを出した



僕にとって、リアルタイムでは初めて聴けるアルバムだ



2014年にメンバーが脱退した直後に銀杏BOYZというバンドを知って



シングルが発売され、映画が公開され、朝ドラに出演して、武道館をやって



その流れを相当な熱量で追って、ついにアルバムが完成したのだ

昔からのファンはこのアルバムは成熟しきっていて初期衝動がないというが、僕は自分の中の熱さを感じてしまってなぜかこのアルバムから初期衝動を感じてしまう





そして時を同じくして、空気階段はキングオブコント2020で3位になった



「芸人として結果を出すまで峯田さんに会えない」と言って連絡を取らなかったもぐらが結果を出した



しかも決勝のコントはまさに青春、パンク、ボーイミーツガール、銀杏BOYZ以外の何者でもなかった



あの頃銀杏BOYZを聴いて育ったもぐらが、表現者として新たな銀杏BOYZを解き放った瞬間に思えた



GOING STEADYという存在を知ったもののすぐに解散し、打ちひしがれたもぐら少年が銀杏BOYZと出会って『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』を聴いて、あの初期衝動に発狂したんだ

 


それが形になったなんていちファンの僕は言う立場にないが、それでも言いたい



あの頃の初期衝動の一部が形になったって





あの瞬間を観て、峯田さんは何を思ったかな



あの頃必死になってやっていた銀杏BOYZの音楽を受け止めた若者が、こうやって新たな衝動を生み出してる



峯田さん嬉しかっただろうな




本当に薄く薄く、あのたけし映画のような劇的な話に勝手に自分の人生を重ねてしまう








 

銀杏BOYZを聴いて熱狂した、それぞれの人生のブックレットの前半か中盤か終盤かは分からないけど、どこかに「GOING STEADY」「銀杏BOYZ」「峯田和伸」という汚れきった青春の、性春の1ページがあると思う



その存在に出会った瞬間が違うゆえに、内容は全然違う。淡い恋の真っただ中 それをうらやむ童貞 失恋して泣きじゃくってよれよれになって 朽ち果ててクロックスを脱ぎ捨てた挿絵

 



先日、空気階段の踊り場にゲスト出演した峯田和伸はこんなことを言った

 



もぐら「峯田さん、俺の方が銀杏BOYZですよ!」

峯田「いや、俺の方が銀杏BOYZだわ!」

もぐら「俺の方ですよ!」

峯田「俺に決まってんだろ!」



多分俺の言いたかったことってこれなんだろうな




GOING STEADYが存在した頃なんか知らない


昔の銀杏BOYZなんか知りやしない


すでに銀杏BOYZを知ったときは峯田和伸1人だった




でもそんなことで恥じることなんか1つもない


だってそれでもそこには"俺の"銀杏BOYZがある




GOING STEADYの頃から追ってた人にはその人の銀杏BOYZがある



朝ドラで知って銀杏BOYZを追い始めた人にはその人の銀杏BOYZがある



鈴木もぐらには鈴木もぐらの銀杏BOYZがある



峯田和伸には峯田和伸の銀杏BOYZがある



だから、若造の戯けかもしれないが

俺には俺の銀杏BOYZがある




だから



だから



このアルバムは"俺の"銀杏BOYZのデビューアルバムだってことは誰にも否定させない






 

言語化すると終わりだなんて書いたけど何も書かないよりよかった



こうやって書いてみて、まだこのアルバムが完成してないことに気づけた



また新たな“俺の”銀杏BOYZという青春の1ページにはまだなんも挿絵がない

 


さて何を落書きしようか



どんな色をつけようか



何もかも俺次第









峯田さん、俺も大好きだ


もちろんイノマーさんも大好きだ


空気階段も大好きだ


色々大変だけどさ


だいじょばないけどだいじょーぶだ


月面のブランコはまだ揺れてるから


あなたがまだロックだから


あなたのロックはまだ世界を変えられる気がするから


少なくとも俺のことは変えてくれた気がするから


















さて、丸めたティッシュ天に放り投げて俺もそろそろなにかやらなきゃな