そして全国…。
オイラが出たのは何年前だ


今夏の協和中は総体ではベスト8だが、春季大会2位で関東出場。
その昔、オイラの頃の協和中は総体優勝して全国出たけど、関東には出てませんでした

その頃は春季大会を関東予選とし、夏は全国予選。
つまりそれぞれの大会で勝たなくてはならなかったのです。
勘のイイ人はもうお気づきかな


そうです。新人優勝、総体優勝のオイラたちは春季大会で負けたのです


そうさ、夏に優勝したチームでも関東出場は出来なかったのさ…

翌年から今の選考方法になったのは言うまでもありません

個人戦も今では男子8階級、女子7階級。
オイラの頃は4階級…。しかも今より全然人数も多かった時代

今の子たちは恵まれてますね

今年の3年生は4人とも関東出場に、うち2人が全国も。まぁ県では負けて悔しい思いをしたのもいるけど

その昔…
オレも個人は県で負けました


敗因→①団体優勝して浮かれ過ぎ②団体しか頭になく個人はオマケ的な考え③ダメ審判
ここだけの話、阿久津先生は1回戦負け

ここだけの話、準決で負けたオイラの3決の相手とやらが阿久津先生に勝ったヤツ

ここだけの話、あの阿久津先生に勝ったヤツ…、どんだけつえぇんだ

って思うのもつかの間、開始僅か20秒、いや15秒で巴投一本勝ち

ギリギリ関東出場でしたとさ。
個人のみの関東の思い出。
1回戦、茨城2位に28秒(公式記録参考)、合技一本勝ち

だって開始ソッコー相手が長身(10㎝以上デカイ)で、ケンカ四つで、内股来るんだもん透かすでしょ


ただショックだったのは場内アナウンス

「第○試合場、赤、オカノタニ選手対、白、△△選手の試合は、オカノタニ選手の一本勝ちです


名前は間違っちゃダメでしょ

2回戦、群馬1位、のちの全日本学生チャンピオンに有効2コ取られて負けやした

この時の相手には学生時代に練習試合で有効1コ取ってリベンジ達成

いや、有効の数で負けか

いやいや、最後に勝ちゃいいーんです


あぁ、思い出したらキリがない


昔は昔。過去は過去。
今は指導者。
子供たちが主役。
主役にスポットライトが当たるようにプロデュースする日々。
それ、すなわち生きがい。
柔道、最高
