「過去に日本の侵略で3500万人が死傷した」
等と、在りもしない史実を捏造して適当な死者数をでっち上げた。
此れが、支那政府の公式見解である。
さて、支那が事変を仕掛けて来た時、其れに応戦した際に多少の死傷者が出はしただろうが、一方的に無辜の支那人を死に追いやった事実は無い。
王毅は、20世紀迄続いた自国の大虐殺には頬被りをしておきながら、日本が3500万人もの支那人を殺傷した等と、どの口が云うのだろうかと呆れるばかりである。
先ず云っておかねばならぬが、支那・朝鮮に於ける「儒教」と日本に於ける「儒教」の解釈と実践が全く正反対であるという事である。
此れを知らぬ日本人が余りに多い。
【支那・朝鮮に於ける儒教と思想】
大陸が広く、度重なる飢餓や殺戮の中、生き延びるのに必死であった。
当時、儒教は其の本質から逸脱し支配者の階級維持の制度として利用された。
当時大陸の儒教は…
「親の仇を討ったら、その肉を食え。死んでいたら墓を暴け。肉が残っていたらそれを食え。」
「復讐は九十九代に渡り、敵の骨を砕いて飲め」
「義」が建前で本音は「利」。
嘘を推奨、正直者は馬鹿と家庭で教えられる為、「礼」は表面だけ取り繕うだけになった。
相手を殺してしまおうと考えるのが基本。
忠ではなく孝が上に来る孝忠であり、本音は親子・夫婦・兄弟姉妹で殺し合う人間不信・利己主義の社会であり一族皆殺し(族誅)、九十九族殺しも珍しくない。
一方、日本では儒教をこう実践していた…。
【日本の儒教と思想】
日本は、平和が続いた為、神道其の他に融合して「武士道」に発展。
儒教の「礼」や「義」が強調され、自分の利より正義の為に公に尽くす公僕思想となった。
共存を考えるのが基本で、忠孝が基本であり時に一家・一族よりも公を重んじる。
我が国は神道国であり、儒教は異教の仏教と同様の扱いであり、江戸時代の一部学者の一つの考え・流行に過ぎなかった。
儒教の良い処だけを取り入れた日本式の立派な儒学者もいる反面、支那や朝鮮に異常な幻想を抱き、日本を侵略する様に要求したり、「日本人である自分は野蛮人である」等と云う、例外中の例外である藤原惺窩の如き異常者が現れた程度である。
そして、日本軍は支那に於いて支那人を保護していたくらいである。
朝日新聞や本多勝一らが喧伝した「南京大虐殺」は画像編集をした捏造画像ばかりだが、以下の日本軍と支那人の微笑ましい遣り取りの画像は凡て真実である。
さて次に、此処で前出の王毅への反論を兼ねて支那の伝統でもある「人喰い」と「大虐殺」を振り返ってみたい。
「食人宴席」より…
プロレタリア独裁とは「階級の敵」を殺害することだ。賓陽県史は文革後、新しく編集されてこう述べている。
「一九六八年七月未、県革命委員会王建?且主任(6949部隊副師団長)、王貴増副主任(県人民武装隊副政治委員)は『73指示」を貫徹するためにあらゆる人員を動員して、労働者階級の敵に対する猛烈な攻撃を展開した。全県で迫害され、殺害された者が三千八百八十三人、『73指示」を貫徹するために、それ以前に殺害された者が六十八人で、合計三千九百五十一人である」
一九六八年七月二十二日、県革命委員会は「73指示」を徹底的に実現する会議を開いた。「賓陽大虐殺」はこのときから始まった。総指揮者は王建?且である。賓陽県は二十六日、プロレタリア独裁大会会場で二人を殴殺した。二十七日、街頭ひき回しデモで「四類分子」(反動、地主、富豪、悪質分子)十四人がつるし上げ糾弾闘争のあと、殴殺された。
同日、県武装部は、幹部たちが殺人現場を見学した。二十八日夜十時、蒋河公社の呉某民兵連隊長が、各村の民兵に呼びかけ、四類分子を逮捕して公社に集合させ、二十四人を集団銃殺した。同日、王建?且は紅色恐怖をつくるために、いちばん賑やかな中心地区で、「二十三種分子」の批判糾弾大会を開き、群衆をそそのかして、棍棒、石ころを持って、七、八十人を殴殺した。そのなかに、県立病院院長、副院長、および内科、外科、産婦人科、薬剤師主任などの知識分子が含まれていた。
二十九日午前、王建?且は、県軍管区会で、政治法律幹部会議を招集し、殺人を推進するために、殺すべき対象、時間、手段、方法と目標などの具体的な指示をした。
彼は会議の席上でこう述べた。
「この一戦は七月二十六日から八月十五日までを一段落としてもらいたい。主要な闘争対象は、裏切り者、特務、死ぬまで悔い改めない走資派(資本主義志向派)と、いまだうまく思想改造されていない地主、富農、反革命分子、右派分子、さらに投機分子などである。県の重点は、新賓、盧墟の二ヵ所である。新賓は現在すでに幕を開いた。この任務を執行しなければならない。公然とは大会を開いてはならない。ただ、個別的に火をつけるだけでよろしい」
「群衆は、悪い人と思えば、彼らを『専制』しなければならない。『専制』とは、本来はプロレタリア独裁という意昧だが、ここでの『専制』という意味は殺人、処刑である。あなたたちは、人民のやりたいことを阻止してはならない。運動が始まったころには、積極分子が何人かを銃殺することは大した問題ではない。しかしわれわれは彼らを銃ではなく、拳骨、石ころ、棍棒を持って殴り殺すのが、群衆に対する教育の効果が大きい。賓陽県には現在、四千名の四類分子がいる。あなたたちは彼らを十数年かけて改造しても、私が見たかぎりでは、彼らは一人も改造されていなかった。人民があれほど精力をつくして彼らを監督しても、われわれがあれほど精力をつくしても、とうてい彼らを改造することができなかった。こんどの運動では、敵の三分の一か、四分の一を打ち殺さなければならない」
同じ日、王建?且は、県革命委員会で、招集された全県各地区武装部長と、人民公社の民兵隊長の緊急会議で、消極的な幹部に対して圧力をかけた。地獄の門はこのようにして開かれた。紅い嵐はアッという間に、全県に吹き荒れることになった。民衆は歴史上、かつてなかった大虐殺の恐怖に陥れられた。殺人モデル会が開かれ、その後、全県百七十二個大隊で、大虐殺の嵐がうずを巻いたのである。
この間、公安幹部の一部は、監察員として、全県各地で幹部の虐殺ぶりを監督し、しかも毎日、殺人の進展状況を報告させたのだった。県公社の指導部は絶えず電話をかけ、闘争の進展を報告し、指導部は闘争のあまりにも進まない大隊に対して圧力をかけた。弾薬をやたらに使うな、拳骨と棍棒と石だけ使え。そのために何千人もの罪のない哀れな人間が、大虐殺の嵐の中で、殴られ、骨を折られ、血を流し、殺害されていった。
なぜ、「賓陽大虐殺」裁判は、行なわれないか。
この「賓陽大虐殺」事件は、賓陽県史上、空前絶後で理解ができても決して許すことができない。賓陽県文革では、虐殺者の人数が広西全区で第一位である。抗日戦争のとき、日本軍に殺された人々は、全県で三百余人であった。これは民族の戦争である。中国革命の初期、匪賊が三百余人を殺した。これも銃を持つ敵に対する作戦であった。しかし、なぜ平和のときに、アッという間にその十三倍もの人間が人民の私刑によって殺されたのか、これは考えなければならない問題であり、避けては通れない問題でもある。
「賓陽大虐殺」事件は一九八三年、やっと十五年後になって、賓陽県当局が文革期間中に無実で殺され、あるいは迫害で亡くなった三千九百五十一人の全員を名誉回復し、県政府名義で死者の家族に対して名誉回復通知書を出した。しかし、この通知書だけで数千人の亡霊をなぐさめたことになるのであろうか。さらに遺憾なのは、共産党の政策が法律に優先したことである。つまり広西当局が、重ねて歴史問題はなるべく寛大に処理すべきであると指令したのだ。その通知が全県でわずか五十六人を裁判にかけ、そのなかでたった一人の死刑という結果を生んだ。そのことは、一人の人間の命と三千九百五十一名の命とが同じだということであって、これはあたかも社会と法律を皮肉るかのようなものであろう。
しかし、李増明書記は、私にもう一つの意外なことを教えてくれた。裁判にかけられた人々は、自分たちが無実であるということを主張しているというのである。「賓陽大虐殺」事件の主犯は王建?且であるが、今日にいたっても彼の裁判が行なわれていないのだ。この人物は、みずから大虐殺計画を実行した。彼は賓陽県の民衆を大虐殺しながら、共産党員としての地位がだんだん上がり、広州警備区の第一副司令にまでのし上がったのだ。最終的には光栄ある身分で引退し、今日は大きな邸宅で悠々自適である。裁判にかけられた人物はすべて小物である。もし火つけ役のそそのかしがなかったら、あれほど人々は殺害されなかったはずである。
最近になって、王建?且が「賓陽大虐殺」事件の主犯であるということを証明するために、当時の日記、電話、会議記録が提出され、王建?且指揮の、大量殺人犯罪が事実であるとの資料がまとめられて、中国共産党賓陽県委員会の名で提出されている。
この資料は、二十八ページにわたり、最後につぎのように書いてある。
「……以上の大量虐殺の事実は、王建?且が十分に殺人事件の主犯であることを証明することができる。被害者の数が多く、手段は残酷で、民情はきわめて憤慨し、その人物についてはすでに殺人罪を構成している。われわれの意見としては即時、逮捕して厳罰に処すべきである。中国共産党賓陽県委員会。一九八四年九月十五日」
李増明書記が私にこの告発状を手渡してくれたとき、私は、その資料の署名の月日が一年半前のものであることを発見した。つまり、案陽県委月会は、この長い一年半の間、みずからこの告発状をつくっていながら、その受取人がいなかったのだ。ここは全く言論の自由、新聞の自由、出版の自由のない国である。私は、ただ一人の文化人に過ぎず、何の力もない。私は、ただこの 六月二十六日、県革命委員会が階級闘争の新しい情勢の展望を研究、分析する会議を開いた。
各地区革命委員会の主任、区武装部の部長は、殺人の進め具合を報告した後、つぎからつぎへとエスカレートした階級闘争 - これ以上の街頭引き回しデモ、つまり糾弾闘争はやめたいと要求した。この階級闘争の後退するような雰囲気のなかで、県武装部の政治委員、県革命委員会の孫瑞章第一副主任は非常に不満で、こう反論した。
「恐れることはないのだ。諸君は何を恐れているのか、さっぱりわからない。こうしなければ、絶対に、階級の敵を抑えることはできない。人民の闘争意欲を育てることはできない。決して、われわれは恐れてはならない。続けて街頭引き回しデモ闘争をやり、糾弾大会をやるべきだ」
この会議が終わってから、武宣県の惨劇はまさに高潮期に入ったのである。
これは生きているままで、人肉を削ぎ取られ、食べられた典型的な食人事件である。一九六八年七月某日。通挽区大園村。第七生産隊の甘克星が糾弾大会を指揮し、甘大作の糾弾大会を開いた。その後、甘大作は近くの畑まで引きずっていかれ、ひぎまずくように命令された。そのあと、甘大作は棍棒で頭を殴られ、昏倒したが、まだ絶命していなかった。このとき甘祖揚が甘大作のズボンを脱がせ、生殖器を切ろうとしたところ、甘大作は、息絶え絶えでもがきながら彼に哀訴した。
「私が絶命するのを待ってくれ、死んでから切り取ればいい」
しかし、甘祖揚は全く開かずに、性器を切断しようとした。甘大作はわめき、もがき、絶叫したが、甘維形らは競って大腿部の肉を削ぎ落とし、甘徳柳は腹を切り裂いて肝を取った。またその他の人々はどっと歓声をあげて、甘大作に殺到し、人肉をすっかり削ぎ落として持って行った。この生きたままの人間の肉に襲いかかった状況は、きわめて残酷であって、見てはいられない残虐さである。
この事件には、もう一つ余談もあった。甘祖揚が手を下すまえに、「七寸(生殖器のこと)はおれのものだ。だれも切り取ってはならん」と大きな声でわめいたのだ。競って人肉を切り取っているとき、この叫びはまことに恐ろしく、また生々しい状況の一つである。甘祖揚という人物は生産隊幹部でその後、七年の刑を判決されたという。
典型的な《人肉宴会》とは、どんな様子か。
もうーつは、《人肉宴会》の典型的な例である。一九六八年四月十日。三里区上江郷門前で糾弾大会が開かれた。この糾弾闘争では、四人が棍棒で殴殺され、四人の死体が肉を切り取られ、二つの大きな鍋で煮て、約二、三十人がその《人肉宴会》に参加したのだった。衆人環視のもと人肉を煮て食べるという集団会食事件が、地方政府所在地で開催されたということは、きわめて衝撃的な影響を与えた。
この日、群衆が競って人肉を切り取り、熱気むんむんの殺人現場で、一人の髪の毛が真っ白の老婆が興奮して群衆の間に割り込み、ひと切れの肝を切り取って、かごに入れて、得意揚々、満足そうに家に持って帰った。その日はちょうど霧雨が降り、雨水が肝の血とともに地面にしみ込んでいた。またこの糾弾大会のエピソードとして、もう一つの逃亡事件もあった。三里中学教師の陳金吾は、右派分子として学校のある空部屋に監禁され、次の日の三里の市の日に、引き回してから殺して食べられる予定だった。そのとき、運よく、中学の、同じ右派分子の炊事係・楊光槐の妻にひそかに縄を解かれ逃げ出したのだった。しかし、陳金吾は慌てふためいて逃亡したものの、髪の毛が鮮明な十字に剃られたままなのでどこへも逃げることができない。
実際、彼は逃げ道がなくなっていた。ちょうど、彼は武宣中学から出て釆たところを、武宣農場の民兵に捕えられた。 農場の謝開年武装部長は朝鮮戦争に参加した軍人で、湖南省の人であった。陳は謝開年から尋問を受けている間、彼のなまりが湖南人に似ていることに気づいた。そこで陳はひざまずいて「自分も湖南人である。救ってくれ」と哀訴した。謝は彼に同情して、一計を案じた。陳は空からもぐり込んだ特務工作員であると偽って告白して、県武装部の監獄の中に入れられたのだ。
この特務工作員事件が偽りであるとはっきりしたころ、人食い風潮も過ぎ去った。陳金吾は幸いにして生き残ったのである。陳は謝開年によって監獄に入れられたわけだが、おそらくこのことを終生、忘れられないだろう。読者諸君は、おそらくまだあの男性性器を食べることによって、共産党中央から怒られた革命委員会・王文留副主任のことを忘れてはいないであろう。私は政府関係資料の中で、つぎのような簡単な資料を見つけた。一九六八年七月十日、殺人と食人の嵐の中で、東郷区の中で三人の小派の人間が駕馬山に逃げた。東郷区武装部長・兼糾寮隊長、覃忠蘭は、糾察隊三隊、および金崗郷民兵隊に命令して、山狩りを行なった。逃亡者のうち、一人は逃亡し、一人は洞穴に落ちて死亡し、一人は撃たれて死亡した。そのとき、この人物は刀で心臓と肝臓をえぐり取られ、竹網に入れられ、背負われ、区役所に帰ってきて、その晩、糾察隊員によって区役所の炊事場で煮て食べられたのだった。
このとき、女子民兵・王文留は、ふた切れの人肉を家に持って帰り、彼女の母に食べさせた。王文留は人肉を食べたことによって、共産党から認められ、だんだんと地位が上がり、最終的には武宣県革命委見合の副主任になったわけである。
近来の中国の進歩的文化人が官吏、つまり役人の出世を非難する場合は、つねに“血塗られた冠という言葉を使ってきた。しかし、それは王文留、および武宣県の幹部たちに対してはふさわしくない用語であろう。彼らは人殺しから出世しただけではなくて、人間を食って出世したからである。
【中国史は大虐殺オンパレード】
王朝が変わるたびに数十回と大虐殺が起こる。だから生きるために誰も信じるなと教わる。
一例
17世紀半ば、張献中が四川を食い尽す
反乱軍を率いて四川省を占領した張献中(チョウケンチュウ)は僅か数年で、当時600万人の四川の人口をほぼ絶滅させた。
山奥に逃げ、難を逃れた者はわずか1万8千人程度。
大殺戮の過程で、食料不足が発生すると、殺した住民たちの首を切り捨て、その体は豚肉や羊肉のように大なべで調理し、兵士の食料とした。
住民が残り20万人程度となったころ、次の食料を求めて軍を移動する。
張は、残り20万人の住民全員を、燻製や塩づけの兵糧とするよう兵士に命じた。
成都の街全体が「人肉加工場」に化した。
1864年、南京大屠殺の嘘の元ネタになった湘軍南京陥落
曾国藩率いる湘軍が洪秀全の「太平天国」南京を陥落させた。
3.世界20世紀虐殺ランキング1位、毛沢東
毛沢東は「大躍進政策」、「文化大革命」で3000万人~8000万の自国民を殺した。
第2次大戦の犠牲者を超える可能性もある、世界最悪の虐殺者。
毛沢東による1万人処刑の「紅軍大粛清」
餓えて子供を食べるのも当たり前、大躍進政策
素人の毛が、農業政策に口を出し、大飢饉を起こし、2000万人~4000万人の餓死者を出した。
食人が始まり、子供は食われて大変だったらしい。子供の多い家ほど生き残れたという。-
中国:「大躍進運動」餓死者は3600万人 元新華社記者、異例の著書で推計…国内ではタブー
人肉宴会が行われた、文化大革命
毛沢東が、権力回復の為に起こした政治闘争。内戦。
学生をあおり、軍隊を出し、教師など知識人や、中国国民党と関わりのあったものを言いがかりを付けてリンチ。1000万人~3000万人を虐殺。
孔子や文化財を否定、破壊する極端な「左」傾偏向主義運動に発展。
朝日新聞は、これを褒め称える記事を書いていた。日本の学生運動も、これの影響を受けている。
文革の頃、たくさんの人肉食記録が残っている。
知識人などに「階級の敵」とレッテルをはり、糾弾集会をみんなで切り刻んで喰った。そんな事が流行った。
中国・広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。その内、食われた者は百数十人。
武宣県において食人行為を行った者は推定1万~2万人にのぼる。
1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は、糾弾大会につるし上げられ殺された。学校の食堂や廊下、区役所の炊事場でや教員宿舎や女子学生宿舎で、人肉を煮たり焼いたりしての人肉料理の宴会が行われた。
国民にとって、毛沢東は英雄。
自分達国民をもっとも殺した人間を、英雄と騙されあがめている(なぜなら、共産党が権力をにぎっているので、共産国の建国の父、英雄と教えている)。
中国人は、日本に戦争で中国人を殺したと文句を言っていて、比べ物にならない殺人者毛沢東をあがめている。
4. 21世紀に、人肉料理文化のある残酷民族は中国だけ
飢饉や非常事態、異常者によるカニバリズム(食人)はどこの国でもある(日本で日本兵が仲間を生きるために食べる、もちろんあった)。
しかし、「人肉市場」「人肉宴会」「人肉料理法」「人肉レストラン」があるのは中国だけ。人肉を楽しんでいる思考の隣人。
中国の史書にたくさん残されている。自分の肉を親に食べさせるというような孝行話が多い。
1965年くらいの文化大革命では、人肉食が白昼堂々と行われていた。
現在も、田舎では胎児のスープ(嬰児湯)が滋養強壮の為に食べられている。
「レイプ・オブ・南京」で、アイリスチャンの書いた「日本兵が人肉餃子をつくる」という所が、自分の国の文化からきている嘘というのがわかる。
また、ネットで、韓国人らしき人物が、日本には食人があるという偽記事を流している噂があります。
【人肉メニュー】
「臠」:生肉をスライスして食べる、刺し身。「凌遅刑」という刑で食べられた。
「脯」:干物。刑罰として用いられることが多い。
「羹」:肉鍋。
「醢」:塩辛。干して麹を混ぜ上等の酒に漬けて密封して100日で出来上がり。孔子の高弟、子路が醢にされた。孔子の好物でもあり弟子を殺されて以降は食べなくなったといわれる。
「炙」:人肉のバーベキュー(『韓非子』より)。
「」:乾し人肉
「血饅頭」:饅頭に罪人の血を浸し、市民に販売した。1860年頃。
北京西郊で罪人を処刑した時、刀手(首切り屋)はその斬り首より噴出する鮮血に饅頭(マントウ)を漬し、血饅頭と名つけて市民に販売した。
「千八百六十五年の頃、北京西郊で罪人を処刑した時、刀手(首切り屋)はその斬り首より噴出する鮮血に饅頭(マントウ)を漬し、血饅頭と名つけて市民に販売したという。」
(Peking and the Pekingese. Vol. II, pp. 243-244)これもまさに魯迅が『薬』で描くところの伝統的風習です。大日本帝国に留学した女性革命家・秋瑾も犠牲となった。
「塩屍」:人間の塩漬(『唐書』秦宗権伝より)
「嬰児の水餃子」:正式名称は不明。嬰児の肉をミンチにした水餃子。
「嬰児のスープ」:正式名称は不明。嬰児湯とも呼ばれる。2004年、遼寧省でのニュースで確認されている。
是非ともクリックを…嬰児のスープのニュース
「凌遅刑」:人を貼り付けにしてスライスしていく刑。つい最近の清の時代、中華民国時代、中華人民共和国時代でもやっていた。
凌遅刑の写真
【人肉用語】
「喫人」:チーレン。人食いの事
「両脚羊」:人間の肉という意味(二本足の羊)
「不羨羊」:若い女の肉(羊より美味い)
「和骨爛」:子供の肉(煮れば骨まで食べられる)
「想肉」:男の両腿と女の乳房。(懐かしの肉)あまりの旨さにまた食べたくなるから。
「易子而食」:(子を交換して食す)自分の子供を食ぺることだけは避けようと、近隣の子供と交換した。
【人肉歴史の一例】
紀元前1100年ごろ、殷の紂王が、伯邑考をスープにして、それを父にたべさせた。
618年、朱粲は「酒を飲んだ後の人間の味は、ちょうど粕漬けの豚に似ている」 (『唐書』朱燦伝)
882年、黄巣の乱で賊は人々を捕らえて食用にした。
一日ごとに数千人をも食べてしまった。(『唐書』黄巣伝)
902年、人肉市場では「市中人肉を売る、斤あたり百銭(文)。犬肉は五百銭」(『資治通鑑』唐紀)
1126年、人肉市場では、一斗の米が数万銭、人肉は豚肉よりも安く、若い男の死体が一万五千銭で買えた。
1587年に書かれた「本草綱目」という漢方薬の本に、「人」の項目が。
骨、陰毛、精液、ふけ、大便、尿など。
1644年、張献忠という盗賊が四川省を占領、3年間で四川省の人間はみんな食べられて全滅。
四川大虐殺では人口600万だったのが1万8000人に。「殺人競争」
1894年、殺人鬼アルバート・フィッシュの手紙「清の人肉市場では、ポンドあたり1~3ドル。
12歳以下の子供たちは全て食べ物として売られていた。Cはそこで人肉を覚えた。」
1965年、文化大革命。白昼堂々人肉宴会が行われ、生徒が教師を食べた。
百余の死体が香港に漂流して有名になった。
此れが人間の所業だろうか…。
まるで地獄界が現出されている様である。
あの地獄絵図は、支那の様子を模写したのではなかろうかと見紛う程である。
■参考書
食人宴席
支那人の食人肉風習 桑原隲藏
『中国の崩壊が始まった!』
ブライアン・マリナー (平石律子訳)『カニバリズム 最後のタブー』(1993年、青弓社)
K. R. Chong, Cannibalism in China
『呪われた中国人』(カッパ.ブックス)
「戦争の歴史 日本と中国」(黄文雄 WAC 二〇〇七年)
魯迅『薬』
支那や朝鮮には、此の様な忌まわしい歴史が在るにも拘らず頬被りを決め込み日本を一方的に断罪する。
支那や朝鮮の云い掛りには、何一つ聞き入れる事は罷りならんし、応ずる必要は一切無い。
天安門事件、法輪功弾圧、東トルキスタン侵略の死者数を含めると一体どれだけの人々を虐殺したのだろう…。
そして支那は、何時迄此の様な大虐殺を続けるのだろうか…。
支那に抱く恐怖感とは、己の利益の為に、無辜の支那人を虐殺して回る行為である…。
真の日本人となるために・・・より
シナ人の言う、医食同源
今回は、中国の医食同源について、説明しようと思います。
このことは中国人の価値観を理解する上で大変重要です。
以下は、
「日本よ、こんな中国とつきあえるか(台湾人医師の直言)」
出版 並木書房
著者 林 建良
という書籍からの完全な抜粋ですが、
以下の内容を読みえたとき、「法輪功の臓器狩り」、「胎児のスープ」、などについてあなたは「あぁ、なるほど!」と納得できる事でしょう。
本来私自身が中国滞在期に体験した事も詳しく、交えたいのですが、長くなるので割愛します。
簡単な事例を挙げると、
私の知人の中国人女性(26歳)は病院から仕入れた女性の胎盤を食べました。
彼女が言うには身体にいいからという理由です。
また、中国人は食べ物をさばかず、全て青龍刀でぶった切ります。
そのあと、ぶつ切りの肉塊を骨髄を吸うようにチュッチュしゃぶりながら食べます。
全ては骨にいいからです。(これは私が初めて中国に行った時に、中国人の友人が直接私に言った食べ方です。)
詳しいことは、今度、オフ会のときにでも直接お話しましょう。
以下の内容はかなり重要なので是非読んで見て下さい。
**********以下抜粋*********
第一章 台湾人から見た中国及び中国人
お人好しの日本人に中国人の凄さは理解できない
二、中国人の恐ろしい「医食同源」信仰
■ 中国人が猿の脳味噌を食べるのに理由がある
中国の料理がおいしいというのは、今やほぼ世界共通の評価になっている。とことんおいしい料理を追及するという面もさることながら、中国の食文化にはもうひとつの思想が入っていて、その中に中国人独特の哲学がある。それはなにかというと、「医食同源」という考え方である。
この「医食同源」という言葉は日本でも以前から使われていて、プラスの価値観を伴って使われている。しかし、日本で使われる「医食同源」と、中国で使われている「医食同源」とはまったく違った考えに基づいている。
日本人は栄養学的な観点から「医食同源」を考えている。口から入れるものは体にとって大切なもので、病気も、食べるものによって引き起こされたり、治すこともできると考えられている。つまり、病気を治すのも食事をするのも本質は同じで、生命を養う栄養学的な面から医食同源を捉えている。しかし、中国人が考えている医食同源とは、日本人が考えていることと次元が違うのである。
私も台湾の医学部時代、中国の漢方薬や漢方医学について勉強させられたことがある。というのも、私の出身大学ではこの漢方薬や漢方医学は必修科目であって、どうしても勉強しなければならなかったからである。
私たち学生に漢方について教えていたのは中国からやってきた先生で、彼らが強調する漢方医学の概念は、科学よりも哲学ということだった。この哲学の概念で人を治したり、薬を処方したりする。陰と陽、実と虚の概念を使うが、この薬の組成は金に属するか、土に属するか、水に属するかなど、陰陽五行の概念でものごとを判断する。
これはこれでいいのだが、恐ろしいことに漢方医学には、例えば「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」「心臓を食べると心臓にいい」という考え方が厳然としてある。どうしてもそのようなものが手に入れられなければ、似たような形のものを食べると体にいいと教える。科学的な根拠はないが、中国人は実際そう信じているのである。
そこで、中国の市場をのぞいて見たことのある人にはお分かりだろうが、よく売られているのは精力剤としての「狗鞭」で、犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっと効くと信じられているのが虎のペニスで「虎鞭」である。犬よりも虎が強いという発想からだ。
このような概念に基づけば、根本的な医食同源とは、その臓器を食べるということになる。それも、できるだけ人間に近い方がよいとされ、また新鮮なものほどよいとされている。例えば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べるという食習慣がある。では、どのようにして猿の脳を食べるかというと、真ん中に丸い穴が開いているテーブルの下に生きた猿を縛りつけ、頭の部分だけを穴から出す。そこで、金槌でその頭を割り、脳味噌をスプーンですくって食べるのである。
中国人は平気でこのような残酷な食べ方をする。私には猿の脳がおいしいかどうか知る由もないが、単においしいというばかりでなく、脳にいいということで食べているのである。
実は、私も高校のときよく筋緊張性頭痛に悩まされたため、豚の脳を薬として飲まされたことがある。この時は台北のある中国人の漢方医にかかり、ある処方をされた。処方には条件があって、漢方薬は必ず豚の脳と一緒に煎じなければならないというのだ。そのため、高校三年間、週に一回のペースでその豚の脳と漢方薬を服用させられた。頭痛なら豚の脳だという発想に基づいた処方のようだが、今もって苦々しい思い出である。
これが実は、中国人の医食同源の発想なのである。つまり、人間に近ければ近いほど、その臓器に近ければ近いほど、体にいいと考えているのである。だから中国人は、好んで犬や虎のペニスを食べ、猿の脳味噌を食べるのである。
では、究極的な医食同源とはどういうものかといえば、もう読者はお分かりだろう。そう、人間の臓器そのものを食べることなのだ。だから、中国では胎児を食べたりすることもあるのである。
このように、中国人は体にいいという理由だけで、大自然にあるもの、命のあるものをすべて食材や「健康食品」にしてしまう。これが中国における医食同源の基本的な発想なのである。この発想の下では、医学よりも科学よりも一つの哲学が大事にされる。中国人の哲学として大事にされる。その哲学とは、人間の体をも部品としてみなし、それを食べるという考え方なのである。
■ 饅頭を持って処刑場に集まる中国人
中国の漢方医学の中でもっとも権威のある書物は、明時代の一五七八年に李時珍が執筆した『本草綱目』である。本草とは基本的に薬用になる植物を指すが、薬物として役に立つ動植物や鉱物の総称でもある。
この『本草綱目』では、綱目別に、金石部、草部、火部、木部、虫部、鱗部、獣部と分けてあり、その下に処方した漢方薬を説明している。
なんとその最後の部が「人部」、つまり人間が入っていて、人体を薬剤として扱っているのである。そこでは細かく、人間の髪の毛、尿、唾、汗、骨、生殖器、肝臓などが何々に効くということが書いてあり、さらにその処方についても次のようい細かく書いてある。「再三、連年にわたる瘧(おこり、マラリア)、食にむせんで飲み込めないとき。生の人肝一個、もち米を十分に用意し、麝香を少々入れ、陰干しする。人肝の青い半分は瘧を治す。黒い半分は、むせる病を治す」。
生の人肝をどうやって手に入れるのかを考えるだけでぞっとする。しかし、その処方は中国人にしてみれば、四千年間積み重ねた経験による賜物のようだ。
要は、手に入れられるものは何でも使って人の病気を治すということなのだが、しかし、中国人は病気になる前に食べてしまう。だから、これが体にいいと知れば、手に入るものはすべて食べてしまう。それでよく中国人は「四本足で食べないのは机だけ」とも揶揄されるのである。だが、揶揄ではない。これが中国人の本当の姿であり、医食同源の本当の意味なのである。
日本人は「医食同源」は中国の素晴らしい文化だと、中国人を美化しているが、自らの体のためには、人間を含む他の生命を平然と犠牲にする中国人の哲学はいたって恐ろしいものなのである。
この医食同源の概念は中国の医学分野に止まらず、一般庶民の生活にも浸透している。例えば、日本でも有名な魯迅の『薬』の中にも、実は医食同源を表した描写がある。
この作品の中に、公開処刑の場面が出てくる。これは実際に行われた女性革命家、秋瑾の処刑の情景をモデルにしたものだ。作中では、処刑場の周りに人垣ができているが、その人々は手に手にお饅頭を持っている。なぜ人々は処刑場にお饅頭を持っていっているのか。実は処刑された瞬間に血が噴出するが、その血をお饅頭に染み込ませるためである。なぜそんなことをするのかというと、新鮮な人間の血は体にいいという発想があるからだ。
人々には処刑者に対する同情心も恐怖感もない。ただただ自分の体にいいからということで、手に饅頭を持って処刑場に走り、我先にと飛び散る血を待っているのである。この『薬』には、人肉を漢方薬として売っている場面も出てくるのである。
■ 親孝行として人肉を奨励する中国人
また、中国には昔から『二十四孝』という子供の教材がある。二十四の親孝行の例を著した本で、そのひとつに「割股療親」がある。つまり、自分の太腿をえぐって病気の親に食べさせて病気を治すことを親孝行として奨めているのだ。中国ではこのようなことを平気で子供に教えているのである。
さらに、中国の南宋時代の有名な将軍である岳飛がつくった「満江紅」という漢詩がある。この中に「壮志飢餐胡虜肉」、つまり、お腹が空いたら胡人の俘虜の肉を食え、「笑談渇飲匈奴血」、談笑して喉が渇いたら匈奴の血を飲め、というフレーズがある。中国ではこの漢詩に曲を付け、今でも小学校の唱歌のひとつとして教えている。
このように中国では、子供の教育の中でも、人の肉を食えとか人の血を飲めと奨め、親孝行として人肉を食べさせることを、教材として子供たちに教えているのである。
■人間の皮膚から作った化粧品を最高とする中国人
二〇〇五年九月十三日付のイギリスの「ガーディアン」という新聞に、次のような記事が掲載された。中国の化粧品会社が処刑された死刑囚の皮膚を利用して化粧品を開発し、ヨーロッパに向けて輸出しているという内容だった。
これもまさに皮膚なら肌にいいという考え方をする「医食同源」から出た商売で、人間の皮膚から作った化粧品なら最高最善とする考え方に基づいて作られたものだ。このように、死んだ人間の皮膚まで商品化してしまうのが中国人の考え方なのである。
恐らく日本人にはショッキングな内容の記事かと思われる。しかし、日本ではまったくといっていいほど報道されなかった。日本人には見たくないものから目をそむける国民性があり、信じたくないものを信じないようにする傾向があるので、非常にショッキングな記事にもかかわらず報道されなかったのかもしれない。
因みに、中国での死刑数は明らかにされていないが、二〇〇四年に世界で執行された死刑数は約五千五百件であり、その中の少なくとも三千四百件は中国だ。非公開で処刑されるケースもあるから、実際にはもっと多いかもしれない。
中国ではなぜこんなに死刑数が多いのかというと、実は死刑囚の人体は役人の収入源だからである。役人の収入源とはどういうことかというと、死刑囚の人体は商品であり、臓器売買が行われているということだ。
■中国人医師が語った恐ろしい話
中国ではまた、子供の誘拐も頻繁にある。その中の一部は商品として臓器の売買が行われている。その数こそ定かではないが、かなりの件数に上るものとみられている。それを証言する話を実際に中国人から聞いたことがある。
十九年前、日本に来て東大で研究していたとき、たまたま同じ第三内科に中国の蘭州大学で血液学を教えていた教授が留学にきていた。彼の日本語はあまり通じないので、日本人の医師たちとうまくコミュニケーションをとれず、そのためか北京語のできる私とよく雑談をしていた。その雑談のなかでのことである。
当時は骨髄移植がはじまって数年しか経っていない時期で、白血病や骨髄の癌に冒された患者さんはわざわざ放射線で骨髄を破壊して、他人の骨髄を移植する。当時としては最先端の医療技術だった。しかし、なぜか蘭州大学のその教授は日本で行われた骨髄移植手術を軽蔑していた。彼は私に「このようなことは、中国ではとっくにやっている」と言うのだ。
しかし、骨髄移植というのは、日本ならまず骨髄バンクをつくり、そこに集めた骨髄の中から患者さんと遺伝子的に合っているようなタイプを探し、マッチングしたものしか使えないので、骨髄バンクを持たない中国がそのような最先端の医療技術を持つ日本よりも優れているとはとても考えられなかった。
そこで彼に「中国ではすでにこのような移植をやっているのか」と聞くと、彼は、胎児の肝臓を使うのだと答えた。確かに肝臓というのは血液の再生能力がある臓器で、骨髄と似たような機能を持っている。
そこで、「どうやって胎児の肝臓を患者さんの体に入れるのか」と問うと、彼は「胎児の肝臓を取り出してすりつぶし、メッシュで濾過したものを点滴すれば、骨髄移植と同じような効果がある」と強調するのだった。「では、どこから胎児の肝臓を手に入れるのか」と聞くと、彼は笑いながら「あんなものは、いくらでも手に入る」と言い放ったのである。
その時に私は、さすが中国は世界一人口の多い国だから、胎児を手に入れることはたやすいことなのかもしれないが、「あんなもの」として命を軽んじ、恐ろしいことを平気でやるのが中国人だということを改めて認識した。その教授が「いくらでも手に入る」といったときの乾いた笑い声は、未だ耳朶から離れない。
*********抜粋終わり***********
ちなみに上記に出てくる胎児と言うのは、性教育を受けていない農村のカップルが不本意にも妊娠した結果、道端で出産し、道端に捨てた胎児をブローカーが拾ってくるなり、買ってくる以外に、
強制中絶された、チベット人や、ウィグル人の胎児が食材や、漢方薬剤として出回っているのです。
「胎児のスープ」で検索すれば、写真が出てくるでしょう。
こうして、今でもチベットやウィグルでは民族浄化がされているのです。
表では唯のチベット問題ですが、こうしてみてくると、だんだんといろいろな事象が一つに結びついてくるのです。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=594367710620642&id=564128603644553
◆日本人と支那人・朝鮮人との違い
日本人は支那人、朝鮮人が大嫌いである。
でも、誰も他人の不幸は望まない。
嫌いかどうかということと、他人の不幸を喜ぶかどうかは、別の問題である。
地震で多くの人が被害にあったり公害でガンや重金属被害などで人々が亡くなったり重病になったと聞いて喜ぶ日本人はいない。その被害者が子供やお年寄りだったら悲しむのが日本人である。
それは特亜の国が『嫌い』という事とは別の問題だと日本人は考えるからだ。
東日本大震災で『日本沈没』『お祝いします』『天罰だ』などとはしゃぐ民族とは全く違うというのが日本人である。
それは日本人が他人の痛みが分かる民族だからである。
ではなぜ日本人が支那人や朝鮮人が嫌いなのか。
嫌われるようなことを支那人や朝鮮人がするからだ。
日本に居て日本人を殺したり傷つけたりするからだ。
日本で生まれ育っても反日で日本を誹謗中傷や害をなしても全く悪いと思わないからだ。
現代は自由に好きな国へ行くことも帰国することも出来るのに、大嫌いと言う日本から出ては行かないし、留まって害を成すからだ。
わざわざ日本に来て日本の文化財を盗んだり傷つけ、日本人を殺したり傷つけて、それが『愛国だ』と誇る民族だから嫌うのである。
日本人が支那や朝鮮に行き、殺したり傷つけたり盗んだりして、ニュースになるような事件を起こしているか考えればわかる。そんな日本人は居ない。
他人を傷つけて誇る日本人は居ない。
他人が不幸になって喜ぶような日本人はいない。
日本人は約束を守ることに命をかける民族である。
国と国との約束である条約や協定などは必ず守る。
違反したり一方的に破棄するようなことはしない。
だが支那や南朝鮮は簡単に約束を破り違反し破棄を宣言する。
日本人は何十年も昔で我々が経験してもいない過去のことを、ほぼ毎日の様に蒸し返し誹謗中傷を繰り返すことはない。
だから日本人は支那人・朝鮮人が嫌いになるのである。
日本人と支那人・朝鮮人との決定的な違いはそこにある。
◆【中国】客室内のものはすべて「自分のもの」
【中国】客室内のものはすべて「自分のもの」…中国人観光客はホテルの備品を片っ端から持ち帰る、なんと壁に飾られた絵画まで
ホテルに宿泊した際に備え付けのアメニティグッズを持ち帰った経験がある人は多いだろう。宿泊予約サイト「ホテルズドットコム」の調査によると、この“お持ち帰り”の基準は各国で異なる。中国人観光客は客室内のライトや時計、壁に飾られた絵画まで持ち帰ってしまうという。18日付で参考消息(電子版)が伝えた。
17日付香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト(電子版)は、中国本土客の恐るべき思考回路を紹介する。ホテルにチェックインしたが最後、客室内のものはすべて「自分のもの」。テレビのスクリーンなど何かが壊れれば、それはホテル側の負担で修理してもらえるものだと思っている。
動かせるものは何でも持ち帰ってしまう。中国本土客が帰った後は部屋中の何もかもがなくなっているというのは日常茶飯事だ。
そのため、苦肉の策として部屋の中に各備品の料金を記した案内を張り出している。こうすれば、ドライヤーもバスローブも持ち帰るには料金が発生するということを理解してもらえる。
ホテルズドットコムの調査によると、アジアで最も誠実なのは香港の観光客で、「ホテルの備品を盗んだことがない」の少なさで世界第4位。78%が「盗んだことがない」と答えた台湾の観光客が8位だった。だが、中国本土客だけは例外で、34%が「ライトや時計、絵画など“大物”を持ち帰ったことがある」と答え、23位だった。
(新華社) http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/362998/
◆李承晩の怨念は今も生きている
韓国には伝統的に韓民族の日本民族に対する優位性の主張ともなる華夷思想があった。それは、日本人を文化程度の低い侵略的な野蛮な中華文明周辺の夷族とみなす、非中華文明諸民族への蔑視の思想である。李承晩はこの伝統思想を目覚めさせようとすることに成功したのである。それが戦後韓国の反日思想の実態である。
没落両班の家に生まれ、李氏朝鮮末期の高宗に対し独立と家の再興を目指すが、悉く失敗し、日本に対し強烈なまでの反日思想をもった。戦前からの,アメリカでのロビー活動を認められ、大韓帝国臨時政府の代表に指名された。その後、華夷思想の回帰をもとに、日本を蔑視し偏向思想教育を行った。小中華思想の申し子のような存在である。学生時代の成績は平均Cであった。民主主義とは、相入れない、異質の政治家である。
彼はアメリカ生活の中で、ひたすら日本という国を憎み、貶めることを考えて来た人物であり、日本に併合された朝鮮半島の実態にはなんら興味もなく、どのような政策が朝鮮総督府が行ってきたかという実態をまるで知らなかった。
その彼がGHQに朝鮮の再興を任されたために、当然日本憎しですべてが日本叩きに奔走することとなる。教育は日本を極悪非道の国と位置付け、すべてそれに沿って教科書作りや教育を施すという徹底ぶりであった。そのために、当然のごとく歴史は歪められ捏造されることとなる。
今日に至るまでの約70年近くの災いの原点がここにある。
李承晩の怨念は、彼ら南朝鮮人の鬱憤のはけ口として今も延々と生きている。
◆韓国の反日 厄介なのは「嫌がらせ」自体が目的になってる点
2013.10.05 NEWSポストセブン
韓国は慰安婦問題などで国際社会に対して、日本を貶めるキャンペーンを展開している。韓国の攻勢の前に、日本は沈黙を強いられている。
「今のオバマ政権の、特にアジア担当のなかには日本よりも韓国へ心情的に傾いている人たちが多い。安倍首相としては、オバマ政権を刺激すべきではないと考えたのではないか」(産経新聞ワシントン駐在編集委員の古森義久氏)
韓国の厄介な点は、日本批判で国内問題から国民の目を逸らす意図や国際社会での地位向上を狙っている面もあるにせよ、それ以上に、日本への「嫌がらせ」自体を目的としていることだ。
言論NPOと韓国のシンクタンクが今年5月に発表した日韓共同世論調査によると、相手国の印象が悪いと答えたのは日本人が37%に対し、韓国人は77%。約8割の韓国人は「ただ日本が嫌いなだけ」というのが、反日の実態なのだ。
中国のように日本批判の狙いが経済的利益を得るためのカードではないだけに、まともな外交交渉では解決できない。
産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘氏が解説する。
「韓国の場合、政権が変わると全くイチからの出直しとなるのも厄介です。慰安婦問題や労働者の強制徴用問題もすべて1965年の日韓国交正常化の際に解決しているはずなのに、政権が変わるたびに繰り返し謝罪を要求してくる。
そのわりに、朴槿恵・大統領は9月にベトナムを訪問しましたが、韓国軍によるベトナム戦争での住民虐殺事件などについては一切言及しなかった。これが日本になると変わるというのは明らかにおかしいのですが、それを指摘できる状況にはない」
※週刊ポスト2013年10月11日号
http://www.news-postseven.com/archives/20131005_214532.html
◆朝鮮人の特質
朝鮮人同士の口げんかは、罵倒語の洪水に続いて、無慈悲な捨てゼリフ-というパターンが多い。きっと「韓国語は“罵(ののし)り言葉”の宝庫」である事実が関係しているのだろう。
大手マスコミは、それでも一応の用語基準を守ろうとしているらしいが、こと日本に関する記事、論説になると、一応の基準すら吹き飛んでしまう。
韓国では日本に関してはどんな言葉で罵倒しても許されるらしく、メディアとしての礼儀も威厳も品格も吹き飛んでしまう。それが国際社会に流れるにも係わらずお構いなしに罵詈雑言を並べるため、ますます国際的な評価を貶めている。
しかも、自分たちで貶めた国際評価まで日本の所為にするので始末に負えない。流石『悪いのは全て相手』『自分を守るための嘘はいくら吐いても構わない』『相手が黙るまでののしり倒せ』と思考回路がそれしか働かない民族である。
なんとDNAとは恐ろしいものであろうか。『火病』という彼ら民族しか持たない病気の存在は如何ともし難い。
◆「朝鮮」という国名の由来
「朝鮮」の由来は
「朝貢物」の「少ない」国、
という意味アル。
朝鮮の由来は朝日の鮮やかな国だと
朝鮮人は信じているようアルが、それは違うアル。
「鮮」(第3声)=古代漢語で「少ない」の意味アル。
「鮮」(第1声)=「鮮やか」の意味ではないアル。
中国語の「朝鮮」国の発音は
「Chao(2声)xian(3声)」であり、
朝貢物が少ない国
=荒れ果てて貢物が何もない国だ、
とつけられた蔑称アル。
(※「朝の鮮やかな国」の意味であれば
「Chao(2声)xian(1声)」となるアル)
朝鮮人と呼ばれるのが差別
と言ってるのは
あながち的外れじゃないわけかw
http://www.news-us.jp/article/377385632.html
◆日本の支那進出は国連PKOと同じ
「かつて日本が支那を侵略した」という人がいる。
けれど、歴史を冷静に振り返ってみれば、日本は北京議定書に基づいて、いわば現代で言うところの国連PKO部隊と同じカタチで支那に軍を派遣していたのである。
それを一方的に襲い、戦乱へと導こう導こうとしたのは、日本ではない。
その時代を表したのが映画『北京の55日』。この映画を見れば分かるが、日本が私利私欲で支那大陸に侵略したのではないことが良くわかる。
日本人はこの映画を見ていながら、日本の歴史を間違って教えられても気づかない。言葉では「日本は歴史を検証しない。」「日本は歴史をよく検証し、大東亜戦争の総括をするべきだ。」と言いながら実は全く歴史に興味を持たない民族だということがよく分かる。
左翼史観で戦後は満州事変が一方的に日本悪しとなってしまった。だいたい日中関係を満州事変を9・18から始めるなど物知らずもいい加減にせいということになる。それが何よりの証拠に満州事変を仕掛けたとされる石原莞爾は戦犯として訴追されていない。左翼は事実に基づく歴史上の議論をしたがらないので厄介だ。
日本の国民は物を自分で調べようとはしない。すべてが人任せで、そのために左翼や在日、似非日本人の書く新聞報道やテレビの世論操作に苦もなく利用されるのである。
これだけインターネットが発達した時代に、およそ70%の国民がメディアの報道を信じるという、「世界一情報民度の低い国民」と馬鹿にされる由縁である。
◆世界で最も「情報民度」が低い国民が日本人である!
国際調査による主な国の%は、次のようになる。
イギリス・・・・・・14%
アメリカ・・・・・・26%
ロシア・・・・・・・29%
イタリア・・・・・・34%
フランス・・・・・・35%
ドイツ・・・・・・・・36%
インド・・・・・・・・60%
ナイジェリア・・・63%
中国・・・・・・・・・64%
韓国・・・・・・・・・65%
フィリピン・・・・・69.5%
日本・・・・・・・・70.2%
自ら情報取得して真偽確認をする習慣の乏しい日本人は、世界で最もマスコミ報道に弱い、「情報民度が低い」国民と言える。
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-democ14060...html
◆「ソウルは東京よりも3倍も放射線量が高い」
駐日韓国大使館
「ソウルは東京よりも3倍も放射線量が高い」
駐日韓国大使館は7日、福島第1原発での相次ぐ異常と関連し、「日本全国の空間放射線量に大きな変化はない」と明らかにした。 大使館はホームページで、福島原発からの水蒸気発生、放射性物質の大量の検出など、近頃、異常に韓国内の一部で来日への懸念が浮上した状況と関連して、このように紹介した。駐日韓国 大使館によると、5日現在、放射線量は1時間あたり
東京 0.034~0.052 マイクロシーベルト(μSv/ h)
ソウル 0.108~0.154 マイクロシーベルト(μSv/ h)
(駐日韓国大使館のホームページ)
http://jpn-tokyo.mofa.go.kr/korean/as/jpn-tokyo/main/index.jsp
◆韓国の原子炉、過去10年で128回の故障
10.10.2013 The Voice of Russia
韓国の原子炉は過去10年で128回の故障を起こしていた。10日、ヨンハップ通信が同国政府の発表した報告書を引用して伝えた。
それによると、原子炉の故障の原因は不良部品。このほか20基の原子炉に関する2万2千枚の文書チェックの結果も公表された。
官房庁のキム・ドンヨン氏は全文書の1.2%にあたる277の文書は捏造されたものであったことを明らかにし、政府は原子炉の運営会社に対し、部品をすべて交換し、捏造文書を作成しなおすことを要請した。原子炉の部品の認定書の捏造スキャンダルには約100人の役人および原子炉のサービスを担当する民間企業のマネージャーが関係していた。
リアノーボスチ通信
http://japanese.ruvr.ru/2013_10_10/122677128/
◆なぜか韓国人が知らない朝鮮戦争開戦の経緯
李承晩は太宗の長男で世宗の兄である譲寧大君の16代末裔である。没落両班の片割れといったところ。日本の併合により李朝の特権を剥奪されて、米国に亡命。GHQの後押しで朝鮮半島に戻る。だから、併合時代の半島の様子や事情といったものを全く知らない。加えて、特権剥奪の個人的な怨念を日本に対して生涯持ち続けていた人物である。
その怨念により、歴史を自ら作り、国民に怨念の歴史をそのまま教育するように指示したことが現代にまで捏造を続けるという結果を招いている。嘘で嘘を固めた創造の歴史が、今更嘘でしたと言えない所まで来てしまった。
それが朝鮮戦争を招く結果となった。
【朝鮮戦争開戦の経緯】
1948年10月:麗水・順天事件一時的な内戦状態。(南部への韓国軍移動)
1948年10月:済州島全域に戒厳令。軍事弾圧始まる。(南部への韓国軍移動)
1948年11月:李承晩大統領は国民に対して対馬返還宣言
1949年1月:李承晩大統領は日本と連合国(進駐軍)に対して対馬返還請求
1949年1月:北津戦役が終結。中国人民解放軍が北京を解放。
金日成に武力統一への大きな影響を与える。
1949年1月:李承晩は政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。
1949年2月:韓国軍一斉に釜山に集結開始(対馬返還の後押しの為と推察)(南部への韓国軍移動)
北朝鮮というあきあらかな敵が存在するにも拘らず、内戦と日本への無意味な対抗心の為に、南部に軍事力を集中させてしまった・・・
(日本への領土的野心と言っていいだろう)
1949年3月:韓国軍は釜山で揚陸訓練開始。アメリカ陸軍第24軍は対馬上陸の為の演習と判断
プサンの演習を知ったマッカーサーは激怒。明らかに対馬を想定したこの演習は、日本を防衛していたマッカーサーへの裏切りと判断された。
軍事物資の停止、24軍の撤退へと繋がる。
ちなみにこの事実、韓国では隠蔽されている。
1949年5月:マッカーサー李政権への軍事物資援助を停止
1949年6月:アメリカ24軍本体が本国に撤退。
韓国には国連監視団600名のみ在留。防衛上の直接的な後ろ盾を失う
1949年12月:北朝鮮全軍が5ヶ月にわたる冬季戦闘訓練に入る
1950年1月:金日成の要請にて中国軍朝鮮籍兵士の第二次移籍を承認。
移籍部隊は1万4千に達し,北の全兵力の1/3を占める。
1950年1月:米韓軍事援助相互協定が調印。韓国側は軍事支援強化を求めるがアメリカはこれに応ぜず。
1950年1月:米国務長官「西太平洋の防衛線は日本・琉球・フィリピンを結ぶライン上」と発言。
朝鮮半島へ影響力放棄と北に誤認される。(アチソンライン)
1950年3月:金日成、スターリンに対し侵攻時の支援を要請。毛沢東の承諾を条件に金日成の要請を受諾。
(武器支援のみ)
1950年5月:金日成、中国を訪問。南侵問題について協議し、毛沢東の南北開戦を支持と支援を取付ける。
(人的支援も含む)
1950年5月:李承晩、総選挙で惨敗。
北朝鮮が明らかに戦争準備を実施している中、韓国は産みの親であるアメリカに突き放されて行く。
原因は度重なる激しい内紛と、アメリカへの無理難題の要求に辟易したのが原因であろう。
この時期に大きな朝鮮戦争開戦への原因が生まれる。中国、ソ連の強固な軍事支援を得た金日成、対して様々な我がままから、アメリカの後ろ盾を失った韓国。
しかも軍配備は日本に向けての南方偏重のままである・・
まるで北に「侵略」の決断を迫るかのような韓国の状況であった。
1950年6月10日:北朝鮮大機動演習を開始。全師団が南部国境地帯への移動を開始。
1950年6月11日:韓国陸軍本部、非常警戒令を発令。
1950年6月17日:韓国軍全軍部隊に国境地帯への移動命令。(実際には準備途中で開戦となってしまいました)
目前で大規模な演習が始まって、やっと韓国も現実にめざめたのであろか?
南方偏重の軍配備を改めようと準備を始めた。
残念ながら部隊が到着すれば直ぐに最大戦力で戦闘できるわけではない。
対馬なんかに色目を使わないで、塹壕や戦車止めの設営に尽力していれば、緒戦の被害も減ったであろう。
1950年6月22日:北朝鮮軍最高司令官金日成、全面的南進作戦命令を発する。
1950年6月24日:ソウルで陸軍会館の落成式開催。韓国陸軍本部、非常警戒令を解除。
金日成の南進命令が下った2日後、なんと陸軍のお役人は陸軍の建物の落成記念の日に、非常警戒令を解除してしまった。非常警戒令下では盛大に「宴会」ができないからだろう。
この翌日、北の南進が開始されるわけで・・・・ 色々想像させられる。
1950年6月25日:北朝鮮軍南進 朝鮮戦争へ
非常警戒令の取り下げで「休日」となった韓国軍に北は襲い掛かった。 合掌・・
南部偏重の軍配備の為、緒戦の防御線を維持できなかった事や、 韓国に嫌気が差してアメリカが日本防衛重視に移行していた事実は見逃せない。
敵を見誤る韓国朝鮮人の悪い癖は未だに直っていないようだ。
少しは正しい歴史を知ってから、現状を判断して欲しいものである。
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◆朝鮮戦争の真実
当時の韓国の将兵は・・・・・
韓国の師団は、銃・機銃、無反動砲・野砲、戦車・装甲車・トラック、弾薬すべてを置き去りにしていつもいつも敵前逃亡、
それらの装備・弾薬で中国軍は休戦前の数か月、戦力を著しく増強、
休戦までの不毛の消耗戦を展開・・・・
前線の米軍大尉、大佐クラスの連中が何度か韓国大統領府にジープで現れ、
怒り狂って、
『李大統領、あなたは韓国軍がいつも敵前逃亡するのは、
兵器・装備が米英豪軍に劣るからだと言ってましたね。
それでずっと、新式装備も前線韓国師団には優先的に与えてきましたよ。
勇猛果敢に戦う民族なんですよね?そう言ってましたよね?
またまた敵前逃亡ばかりしてるので、今、あなたが行って説教して下さい
韓国将兵は、逃げてくるためのトラック以外、常に何もかも遺棄して逃げてくる』
と大統領をそのままジープに乗せて、
韓国軍脱走兵の大群の前で
『外国人が戦ってるのに、
どうして韓国人のお前らは逃げてばかりなんだ?』
と何度も説教させてる。
で、それでも装備を放棄して敵前逃亡は変わらず、
穴から中国軍は米英豪軍の背後に回る繰り返し。
結局、戦争後半では、ほぼすべての韓国師団は解体され、
主に米英豪インド軍の補助兵にされた。
もし第二次朝鮮戦争が始まったら、絶対に彼らだけで戦わせないと再び日本に不幸が訪れる。米国と支那と日本は見届け人に留まるべし。
◆朝鮮学校はなぜ生まれたのか【正しい経緯】
『在日朝鮮人は日本の公民ではなく朝鮮の在外公民であるから、朝鮮にのみ忠誠を尽くす』
『一時的に居住しているだけの日本の教育を受ける必要はなく日本の教育を拒否する』
『汚らわしい日本の援助金も介入に繋がるから断固拒否する』
『日本の関与を排した学校を作り、朝鮮独自の教育を行う。日本語など覚えなくて良い
『数年後には在日朝鮮人全員は朝鮮に帰還するのだ』
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
終戦直後、在日朝鮮人一世たちがこう大々的に宣言して生まれたのが朝鮮学校である。
従って日本政府は「非国民」である在日朝鮮人に日本国の教育の義務が無い特例を与えたのだ。
日本政府は1銭も出さないという約束で誕生したのが朝鮮学校。
だからこそ義務教育拒否・文科省の指導拒否で、デタラメな教育やりたい放題だった朝鮮学校である。
ところがいつの間にか、朝鮮にも帰らず
『日本の補助金を貰えないのは差別だ』
『日本の大学に入れないのは差別だ』
とほざくようになった在日朝鮮人ども。
教育の義務を受け付けないのだから権利があるはずがない。
日本国籍拒否の非国民の民族学校に公金を補助する国家は世界のどこにもない!
「日本の教育」をまるでしてないのになぜ日本の納税者がカネを負担するいわれがあるのだ?
なぜ本国(=北朝鮮)から補助金を貰わないのだ? 総連は金正日の葬式にピョンヤンに行ったときになぜカネを頼まない! 虫が良すぎんだよ。
矛盾もいいとこ! 詭弁もいいとこ! 恥を知れ! 情けなくて在日一世が墓の中で泣いてるぞ! 民族の誇りはどこへ行った!
日本のマスコミも、過去の経緯を正確に把握した上で報道しろ。過去をすべて消し去った偏った報道をするな。日本の報道機関とは到底思えない。
日本は海外にある日本人学校にそこの国の援助など依頼したりはしない。どこの国に、外国に作った学校をその国に面倒みろという国があるか。
日本の自治体がそれも分からずに独自に公金を補助するのは、似非日本人が役人をしているということか?そう思われても仕方がないだろう。
在日に参政権? 飛んでもない!!!
シナ人の言う、医食同源
今回は、中国の医食同源について、説明しようと思います。
このことは中国人の価値観を理解する上で大変重要です。
以下は、
「日本よ、こんな中国とつきあえるか(台湾人医師の直言)」
出版 並木書房
著者 林 建良
という書籍からの完全な抜粋ですが、
以下の内容を読みえたとき、「法輪功の臓器狩り」、「胎児のスープ」、などについてあなたは「あぁ、なるほど!」と納得できる事でしょう。
本来私自身が中国滞在期に体験した事も詳しく、交えたいのですが、長くなるので割愛します。
簡単な事例を挙げると、
私の知人の中国人女性(26歳)は病院から仕入れた女性の胎盤を食べました。
彼女が言うには身体にいいからという理由です。
また、中国人は食べ物をさばかず、全て青龍刀でぶった切ります。
そのあと、ぶつ切りの肉塊を骨髄を吸うようにチュッチュしゃぶりながら食べます。
全ては骨にいいからです。(これは私が初めて中国に行った時に、中国人の友人が直接私に言った食べ方です。)
詳しいことは、今度、オフ会のときにでも直接お話しましょう。
以下の内容はかなり重要なので是非読んで見て下さい。
**********以下抜粋*********
第一章 台湾人から見た中国及び中国人
お人好しの日本人に中国人の凄さは理解できない
二、中国人の恐ろしい「医食同源」信仰
■ 中国人が猿の脳味噌を食べるのに理由がある
中国の料理がおいしいというのは、今やほぼ世界共通の評価になっている。とことんおいしい料理を追及するという面もさることながら、中国の食文化にはもうひとつの思想が入っていて、その中に中国人独特の哲学がある。それはなにかというと、「医食同源」という考え方である。
この「医食同源」という言葉は日本でも以前から使われていて、プラスの価値観を伴って使われている。しかし、日本で使われる「医食同源」と、中国で使われている「医食同源」とはまったく違った考えに基づいている。
日本人は栄養学的な観点から「医食同源」を考えている。口から入れるものは体にとって大切なもので、病気も、食べるものによって引き起こされたり、治すこともできると考えられている。つまり、病気を治すのも食事をするのも本質は同じで、生命を養う栄養学的な面から医食同源を捉えている。しかし、中国人が考えている医食同源とは、日本人が考えていることと次元が違うのである。
私も台湾の医学部時代、中国の漢方薬や漢方医学について勉強させられたことがある。というのも、私の出身大学ではこの漢方薬や漢方医学は必修科目であって、どうしても勉強しなければならなかったからである。
私たち学生に漢方について教えていたのは中国からやってきた先生で、彼らが強調する漢方医学の概念は、科学よりも哲学ということだった。この哲学の概念で人を治したり、薬を処方したりする。陰と陽、実と虚の概念を使うが、この薬の組成は金に属するか、土に属するか、水に属するかなど、陰陽五行の概念でものごとを判断する。
これはこれでいいのだが、恐ろしいことに漢方医学には、例えば「肝臓を食べると肝臓に効く」「脳を食べると脳にいい」「心臓を食べると心臓にいい」という考え方が厳然としてある。どうしてもそのようなものが手に入れられなければ、似たような形のものを食べると体にいいと教える。科学的な根拠はないが、中国人は実際そう信じているのである。
そこで、中国の市場をのぞいて見たことのある人にはお分かりだろうが、よく売られているのは精力剤としての「狗鞭」で、犬の鞭、すなわち犬の生殖器である。もっと効くと信じられているのが虎のペニスで「虎鞭」である。犬よりも虎が強いという発想からだ。
このような概念に基づけば、根本的な医食同源とは、その臓器を食べるということになる。それも、できるだけ人間に近い方がよいとされ、また新鮮なものほどよいとされている。例えば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べるという食習慣がある。では、どのようにして猿の脳を食べるかというと、真ん中に丸い穴が開いているテーブルの下に生きた猿を縛りつけ、頭の部分だけを穴から出す。そこで、金槌でその頭を割り、脳味噌をスプーンですくって食べるのである。
中国人は平気でこのような残酷な食べ方をする。私には猿の脳がおいしいかどうか知る由もないが、単においしいというばかりでなく、脳にいいということで食べているのである。
実は、私も高校のときよく筋緊張性頭痛に悩まされたため、豚の脳を薬として飲まされたことがある。この時は台北のある中国人の漢方医にかかり、ある処方をされた。処方には条件があって、漢方薬は必ず豚の脳と一緒に煎じなければならないというのだ。そのため、高校三年間、週に一回のペースでその豚の脳と漢方薬を服用させられた。頭痛なら豚の脳だという発想に基づいた処方のようだが、今もって苦々しい思い出である。
これが実は、中国人の医食同源の発想なのである。つまり、人間に近ければ近いほど、その臓器に近ければ近いほど、体にいいと考えているのである。だから中国人は、好んで犬や虎のペニスを食べ、猿の脳味噌を食べるのである。
では、究極的な医食同源とはどういうものかといえば、もう読者はお分かりだろう。そう、人間の臓器そのものを食べることなのだ。だから、中国では胎児を食べたりすることもあるのである。
このように、中国人は体にいいという理由だけで、大自然にあるもの、命のあるものをすべて食材や「健康食品」にしてしまう。これが中国における医食同源の基本的な発想なのである。この発想の下では、医学よりも科学よりも一つの哲学が大事にされる。中国人の哲学として大事にされる。その哲学とは、人間の体をも部品としてみなし、それを食べるという考え方なのである。
■ 饅頭を持って処刑場に集まる中国人
中国の漢方医学の中でもっとも権威のある書物は、明時代の一五七八年に李時珍が執筆した『本草綱目』である。本草とは基本的に薬用になる植物を指すが、薬物として役に立つ動植物や鉱物の総称でもある。
この『本草綱目』では、綱目別に、金石部、草部、火部、木部、虫部、鱗部、獣部と分けてあり、その下に処方した漢方薬を説明している。
なんとその最後の部が「人部」、つまり人間が入っていて、人体を薬剤として扱っているのである。そこでは細かく、人間の髪の毛、尿、唾、汗、骨、生殖器、肝臓などが何々に効くということが書いてあり、さらにその処方についても次のようい細かく書いてある。「再三、連年にわたる瘧(おこり、マラリア)、食にむせんで飲み込めないとき。生の人肝一個、もち米を十分に用意し、麝香を少々入れ、陰干しする。人肝の青い半分は瘧を治す。黒い半分は、むせる病を治す」。
生の人肝をどうやって手に入れるのかを考えるだけでぞっとする。しかし、その処方は中国人にしてみれば、四千年間積み重ねた経験による賜物のようだ。
要は、手に入れられるものは何でも使って人の病気を治すということなのだが、しかし、中国人は病気になる前に食べてしまう。だから、これが体にいいと知れば、手に入るものはすべて食べてしまう。それでよく中国人は「四本足で食べないのは机だけ」とも揶揄されるのである。だが、揶揄ではない。これが中国人の本当の姿であり、医食同源の本当の意味なのである。
日本人は「医食同源」は中国の素晴らしい文化だと、中国人を美化しているが、自らの体のためには、人間を含む他の生命を平然と犠牲にする中国人の哲学はいたって恐ろしいものなのである。
この医食同源の概念は中国の医学分野に止まらず、一般庶民の生活にも浸透している。例えば、日本でも有名な魯迅の『薬』の中にも、実は医食同源を表した描写がある。
この作品の中に、公開処刑の場面が出てくる。これは実際に行われた女性革命家、秋瑾の処刑の情景をモデルにしたものだ。作中では、処刑場の周りに人垣ができているが、その人々は手に手にお饅頭を持っている。なぜ人々は処刑場にお饅頭を持っていっているのか。実は処刑された瞬間に血が噴出するが、その血をお饅頭に染み込ませるためである。なぜそんなことをするのかというと、新鮮な人間の血は体にいいという発想があるからだ。
人々には処刑者に対する同情心も恐怖感もない。ただただ自分の体にいいからということで、手に饅頭を持って処刑場に走り、我先にと飛び散る血を待っているのである。この『薬』には、人肉を漢方薬として売っている場面も出てくるのである。
■ 親孝行として人肉を奨励する中国人
また、中国には昔から『二十四孝』という子供の教材がある。二十四の親孝行の例を著した本で、そのひとつに「割股療親」がある。つまり、自分の太腿をえぐって病気の親に食べさせて病気を治すことを親孝行として奨めているのだ。中国ではこのようなことを平気で子供に教えているのである。
さらに、中国の南宋時代の有名な将軍である岳飛がつくった「満江紅」という漢詩がある。この中に「壮志飢餐胡虜肉」、つまり、お腹が空いたら胡人の俘虜の肉を食え、「笑談渇飲匈奴血」、談笑して喉が渇いたら匈奴の血を飲め、というフレーズがある。中国ではこの漢詩に曲を付け、今でも小学校の唱歌のひとつとして教えている。
このように中国では、子供の教育の中でも、人の肉を食えとか人の血を飲めと奨め、親孝行として人肉を食べさせることを、教材として子供たちに教えているのである。
■人間の皮膚から作った化粧品を最高とする中国人
二〇〇五年九月十三日付のイギリスの「ガーディアン」という新聞に、次のような記事が掲載された。中国の化粧品会社が処刑された死刑囚の皮膚を利用して化粧品を開発し、ヨーロッパに向けて輸出しているという内容だった。
これもまさに皮膚なら肌にいいという考え方をする「医食同源」から出た商売で、人間の皮膚から作った化粧品なら最高最善とする考え方に基づいて作られたものだ。このように、死んだ人間の皮膚まで商品化してしまうのが中国人の考え方なのである。
恐らく日本人にはショッキングな内容の記事かと思われる。しかし、日本ではまったくといっていいほど報道されなかった。日本人には見たくないものから目をそむける国民性があり、信じたくないものを信じないようにする傾向があるので、非常にショッキングな記事にもかかわらず報道されなかったのかもしれない。
因みに、中国での死刑数は明らかにされていないが、二〇〇四年に世界で執行された死刑数は約五千五百件であり、その中の少なくとも三千四百件は中国だ。非公開で処刑されるケースもあるから、実際にはもっと多いかもしれない。
中国ではなぜこんなに死刑数が多いのかというと、実は死刑囚の人体は役人の収入源だからである。役人の収入源とはどういうことかというと、死刑囚の人体は商品であり、臓器売買が行われているということだ。
■中国人医師が語った恐ろしい話
中国ではまた、子供の誘拐も頻繁にある。その中の一部は商品として臓器の売買が行われている。その数こそ定かではないが、かなりの件数に上るものとみられている。それを証言する話を実際に中国人から聞いたことがある。
十九年前、日本に来て東大で研究していたとき、たまたま同じ第三内科に中国の蘭州大学で血液学を教えていた教授が留学にきていた。彼の日本語はあまり通じないので、日本人の医師たちとうまくコミュニケーションをとれず、そのためか北京語のできる私とよく雑談をしていた。その雑談のなかでのことである。
当時は骨髄移植がはじまって数年しか経っていない時期で、白血病や骨髄の癌に冒された患者さんはわざわざ放射線で骨髄を破壊して、他人の骨髄を移植する。当時としては最先端の医療技術だった。しかし、なぜか蘭州大学のその教授は日本で行われた骨髄移植手術を軽蔑していた。彼は私に「このようなことは、中国ではとっくにやっている」と言うのだ。
しかし、骨髄移植というのは、日本ならまず骨髄バンクをつくり、そこに集めた骨髄の中から患者さんと遺伝子的に合っているようなタイプを探し、マッチングしたものしか使えないので、骨髄バンクを持たない中国がそのような最先端の医療技術を持つ日本よりも優れているとはとても考えられなかった。
そこで彼に「中国ではすでにこのような移植をやっているのか」と聞くと、彼は、胎児の肝臓を使うのだと答えた。確かに肝臓というのは血液の再生能力がある臓器で、骨髄と似たような機能を持っている。
そこで、「どうやって胎児の肝臓を患者さんの体に入れるのか」と問うと、彼は「胎児の肝臓を取り出してすりつぶし、メッシュで濾過したものを点滴すれば、骨髄移植と同じような効果がある」と強調するのだった。「では、どこから胎児の肝臓を手に入れるのか」と聞くと、彼は笑いながら「あんなものは、いくらでも手に入る」と言い放ったのである。
その時に私は、さすが中国は世界一人口の多い国だから、胎児を手に入れることはたやすいことなのかもしれないが、「あんなもの」として命を軽んじ、恐ろしいことを平気でやるのが中国人だということを改めて認識した。その教授が「いくらでも手に入る」といったときの乾いた笑い声は、未だ耳朶から離れない。
*********抜粋終わり***********
ちなみに上記に出てくる胎児と言うのは、性教育を受けていない農村のカップルが不本意にも妊娠した結果、道端で出産し、道端に捨てた胎児をブローカーが拾ってくるなり、買ってくる以外に、
強制中絶された、チベット人や、ウィグル人の胎児が食材や、漢方薬剤として出回っているのです。
「胎児のスープ」で検索すれば、写真が出てくるでしょう。
こうして、今でもチベットやウィグルでは民族浄化がされているのです。
表では唯のチベット問題ですが、こうしてみてくると、だんだんといろいろな事象が一つに結びついてくるのです。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=594367710620642&id=564128603644553
◆日本人と支那人・朝鮮人との違い
日本人は支那人、朝鮮人が大嫌いである。
でも、誰も他人の不幸は望まない。
嫌いかどうかということと、他人の不幸を喜ぶかどうかは、別の問題である。
地震で多くの人が被害にあったり公害でガンや重金属被害などで人々が亡くなったり重病になったと聞いて喜ぶ日本人はいない。その被害者が子供やお年寄りだったら悲しむのが日本人である。
それは特亜の国が『嫌い』という事とは別の問題だと日本人は考えるからだ。
東日本大震災で『日本沈没』『お祝いします』『天罰だ』などとはしゃぐ民族とは全く違うというのが日本人である。
それは日本人が他人の痛みが分かる民族だからである。
ではなぜ日本人が支那人や朝鮮人が嫌いなのか。
嫌われるようなことを支那人や朝鮮人がするからだ。
日本に居て日本人を殺したり傷つけたりするからだ。
日本で生まれ育っても反日で日本を誹謗中傷や害をなしても全く悪いと思わないからだ。
現代は自由に好きな国へ行くことも帰国することも出来るのに、大嫌いと言う日本から出ては行かないし、留まって害を成すからだ。
わざわざ日本に来て日本の文化財を盗んだり傷つけ、日本人を殺したり傷つけて、それが『愛国だ』と誇る民族だから嫌うのである。
日本人が支那や朝鮮に行き、殺したり傷つけたり盗んだりして、ニュースになるような事件を起こしているか考えればわかる。そんな日本人は居ない。
他人を傷つけて誇る日本人は居ない。
他人が不幸になって喜ぶような日本人はいない。
日本人は約束を守ることに命をかける民族である。
国と国との約束である条約や協定などは必ず守る。
違反したり一方的に破棄するようなことはしない。
だが支那や南朝鮮は簡単に約束を破り違反し破棄を宣言する。
日本人は何十年も昔で我々が経験してもいない過去のことを、ほぼ毎日の様に蒸し返し誹謗中傷を繰り返すことはない。
だから日本人は支那人・朝鮮人が嫌いになるのである。
日本人と支那人・朝鮮人との決定的な違いはそこにある。
◆【中国】客室内のものはすべて「自分のもの」
【中国】客室内のものはすべて「自分のもの」…中国人観光客はホテルの備品を片っ端から持ち帰る、なんと壁に飾られた絵画まで
ホテルに宿泊した際に備え付けのアメニティグッズを持ち帰った経験がある人は多いだろう。宿泊予約サイト「ホテルズドットコム」の調査によると、この“お持ち帰り”の基準は各国で異なる。中国人観光客は客室内のライトや時計、壁に飾られた絵画まで持ち帰ってしまうという。18日付で参考消息(電子版)が伝えた。
17日付香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト(電子版)は、中国本土客の恐るべき思考回路を紹介する。ホテルにチェックインしたが最後、客室内のものはすべて「自分のもの」。テレビのスクリーンなど何かが壊れれば、それはホテル側の負担で修理してもらえるものだと思っている。
動かせるものは何でも持ち帰ってしまう。中国本土客が帰った後は部屋中の何もかもがなくなっているというのは日常茶飯事だ。
そのため、苦肉の策として部屋の中に各備品の料金を記した案内を張り出している。こうすれば、ドライヤーもバスローブも持ち帰るには料金が発生するということを理解してもらえる。
ホテルズドットコムの調査によると、アジアで最も誠実なのは香港の観光客で、「ホテルの備品を盗んだことがない」の少なさで世界第4位。78%が「盗んだことがない」と答えた台湾の観光客が8位だった。だが、中国本土客だけは例外で、34%が「ライトや時計、絵画など“大物”を持ち帰ったことがある」と答え、23位だった。
(新華社) http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/362998/
◆李承晩の怨念は今も生きている
韓国には伝統的に韓民族の日本民族に対する優位性の主張ともなる華夷思想があった。それは、日本人を文化程度の低い侵略的な野蛮な中華文明周辺の夷族とみなす、非中華文明諸民族への蔑視の思想である。李承晩はこの伝統思想を目覚めさせようとすることに成功したのである。それが戦後韓国の反日思想の実態である。
没落両班の家に生まれ、李氏朝鮮末期の高宗に対し独立と家の再興を目指すが、悉く失敗し、日本に対し強烈なまでの反日思想をもった。戦前からの,アメリカでのロビー活動を認められ、大韓帝国臨時政府の代表に指名された。その後、華夷思想の回帰をもとに、日本を蔑視し偏向思想教育を行った。小中華思想の申し子のような存在である。学生時代の成績は平均Cであった。民主主義とは、相入れない、異質の政治家である。
彼はアメリカ生活の中で、ひたすら日本という国を憎み、貶めることを考えて来た人物であり、日本に併合された朝鮮半島の実態にはなんら興味もなく、どのような政策が朝鮮総督府が行ってきたかという実態をまるで知らなかった。
その彼がGHQに朝鮮の再興を任されたために、当然日本憎しですべてが日本叩きに奔走することとなる。教育は日本を極悪非道の国と位置付け、すべてそれに沿って教科書作りや教育を施すという徹底ぶりであった。そのために、当然のごとく歴史は歪められ捏造されることとなる。
今日に至るまでの約70年近くの災いの原点がここにある。
李承晩の怨念は、彼ら南朝鮮人の鬱憤のはけ口として今も延々と生きている。
◆韓国の反日 厄介なのは「嫌がらせ」自体が目的になってる点
2013.10.05 NEWSポストセブン
韓国は慰安婦問題などで国際社会に対して、日本を貶めるキャンペーンを展開している。韓国の攻勢の前に、日本は沈黙を強いられている。
「今のオバマ政権の、特にアジア担当のなかには日本よりも韓国へ心情的に傾いている人たちが多い。安倍首相としては、オバマ政権を刺激すべきではないと考えたのではないか」(産経新聞ワシントン駐在編集委員の古森義久氏)
韓国の厄介な点は、日本批判で国内問題から国民の目を逸らす意図や国際社会での地位向上を狙っている面もあるにせよ、それ以上に、日本への「嫌がらせ」自体を目的としていることだ。
言論NPOと韓国のシンクタンクが今年5月に発表した日韓共同世論調査によると、相手国の印象が悪いと答えたのは日本人が37%に対し、韓国人は77%。約8割の韓国人は「ただ日本が嫌いなだけ」というのが、反日の実態なのだ。
中国のように日本批判の狙いが経済的利益を得るためのカードではないだけに、まともな外交交渉では解決できない。
産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘氏が解説する。
「韓国の場合、政権が変わると全くイチからの出直しとなるのも厄介です。慰安婦問題や労働者の強制徴用問題もすべて1965年の日韓国交正常化の際に解決しているはずなのに、政権が変わるたびに繰り返し謝罪を要求してくる。
そのわりに、朴槿恵・大統領は9月にベトナムを訪問しましたが、韓国軍によるベトナム戦争での住民虐殺事件などについては一切言及しなかった。これが日本になると変わるというのは明らかにおかしいのですが、それを指摘できる状況にはない」
※週刊ポスト2013年10月11日号
http://www.news-postseven.com/archives/20131005_214532.html
◆朝鮮人の特質
朝鮮人同士の口げんかは、罵倒語の洪水に続いて、無慈悲な捨てゼリフ-というパターンが多い。きっと「韓国語は“罵(ののし)り言葉”の宝庫」である事実が関係しているのだろう。
大手マスコミは、それでも一応の用語基準を守ろうとしているらしいが、こと日本に関する記事、論説になると、一応の基準すら吹き飛んでしまう。
韓国では日本に関してはどんな言葉で罵倒しても許されるらしく、メディアとしての礼儀も威厳も品格も吹き飛んでしまう。それが国際社会に流れるにも係わらずお構いなしに罵詈雑言を並べるため、ますます国際的な評価を貶めている。
しかも、自分たちで貶めた国際評価まで日本の所為にするので始末に負えない。流石『悪いのは全て相手』『自分を守るための嘘はいくら吐いても構わない』『相手が黙るまでののしり倒せ』と思考回路がそれしか働かない民族である。
なんとDNAとは恐ろしいものであろうか。『火病』という彼ら民族しか持たない病気の存在は如何ともし難い。
◆「朝鮮」という国名の由来
「朝鮮」の由来は
「朝貢物」の「少ない」国、
という意味アル。
朝鮮の由来は朝日の鮮やかな国だと
朝鮮人は信じているようアルが、それは違うアル。
「鮮」(第3声)=古代漢語で「少ない」の意味アル。
「鮮」(第1声)=「鮮やか」の意味ではないアル。
中国語の「朝鮮」国の発音は
「Chao(2声)xian(3声)」であり、
朝貢物が少ない国
=荒れ果てて貢物が何もない国だ、
とつけられた蔑称アル。
(※「朝の鮮やかな国」の意味であれば
「Chao(2声)xian(1声)」となるアル)
朝鮮人と呼ばれるのが差別
と言ってるのは
あながち的外れじゃないわけかw
http://www.news-us.jp/article/377385632.html
◆日本の支那進出は国連PKOと同じ
「かつて日本が支那を侵略した」という人がいる。
けれど、歴史を冷静に振り返ってみれば、日本は北京議定書に基づいて、いわば現代で言うところの国連PKO部隊と同じカタチで支那に軍を派遣していたのである。
それを一方的に襲い、戦乱へと導こう導こうとしたのは、日本ではない。
その時代を表したのが映画『北京の55日』。この映画を見れば分かるが、日本が私利私欲で支那大陸に侵略したのではないことが良くわかる。
日本人はこの映画を見ていながら、日本の歴史を間違って教えられても気づかない。言葉では「日本は歴史を検証しない。」「日本は歴史をよく検証し、大東亜戦争の総括をするべきだ。」と言いながら実は全く歴史に興味を持たない民族だということがよく分かる。
左翼史観で戦後は満州事変が一方的に日本悪しとなってしまった。だいたい日中関係を満州事変を9・18から始めるなど物知らずもいい加減にせいということになる。それが何よりの証拠に満州事変を仕掛けたとされる石原莞爾は戦犯として訴追されていない。左翼は事実に基づく歴史上の議論をしたがらないので厄介だ。
日本の国民は物を自分で調べようとはしない。すべてが人任せで、そのために左翼や在日、似非日本人の書く新聞報道やテレビの世論操作に苦もなく利用されるのである。
これだけインターネットが発達した時代に、およそ70%の国民がメディアの報道を信じるという、「世界一情報民度の低い国民」と馬鹿にされる由縁である。
◆世界で最も「情報民度」が低い国民が日本人である!
国際調査による主な国の%は、次のようになる。
イギリス・・・・・・14%
アメリカ・・・・・・26%
ロシア・・・・・・・29%
イタリア・・・・・・34%
フランス・・・・・・35%
ドイツ・・・・・・・・36%
インド・・・・・・・・60%
ナイジェリア・・・63%
中国・・・・・・・・・64%
韓国・・・・・・・・・65%
フィリピン・・・・・69.5%
日本・・・・・・・・70.2%
自ら情報取得して真偽確認をする習慣の乏しい日本人は、世界で最もマスコミ報道に弱い、「情報民度が低い」国民と言える。
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-democ14060...html
◆「ソウルは東京よりも3倍も放射線量が高い」
駐日韓国大使館
「ソウルは東京よりも3倍も放射線量が高い」
駐日韓国大使館は7日、福島第1原発での相次ぐ異常と関連し、「日本全国の空間放射線量に大きな変化はない」と明らかにした。 大使館はホームページで、福島原発からの水蒸気発生、放射性物質の大量の検出など、近頃、異常に韓国内の一部で来日への懸念が浮上した状況と関連して、このように紹介した。駐日韓国 大使館によると、5日現在、放射線量は1時間あたり
東京 0.034~0.052 マイクロシーベルト(μSv/ h)
ソウル 0.108~0.154 マイクロシーベルト(μSv/ h)
(駐日韓国大使館のホームページ)
http://jpn-tokyo.mofa.go.kr/korean/as/jpn-tokyo/main/index.jsp
◆韓国の原子炉、過去10年で128回の故障
10.10.2013 The Voice of Russia
韓国の原子炉は過去10年で128回の故障を起こしていた。10日、ヨンハップ通信が同国政府の発表した報告書を引用して伝えた。
それによると、原子炉の故障の原因は不良部品。このほか20基の原子炉に関する2万2千枚の文書チェックの結果も公表された。
官房庁のキム・ドンヨン氏は全文書の1.2%にあたる277の文書は捏造されたものであったことを明らかにし、政府は原子炉の運営会社に対し、部品をすべて交換し、捏造文書を作成しなおすことを要請した。原子炉の部品の認定書の捏造スキャンダルには約100人の役人および原子炉のサービスを担当する民間企業のマネージャーが関係していた。
リアノーボスチ通信
http://japanese.ruvr.ru/2013_10_10/122677128/
◆なぜか韓国人が知らない朝鮮戦争開戦の経緯
李承晩は太宗の長男で世宗の兄である譲寧大君の16代末裔である。没落両班の片割れといったところ。日本の併合により李朝の特権を剥奪されて、米国に亡命。GHQの後押しで朝鮮半島に戻る。だから、併合時代の半島の様子や事情といったものを全く知らない。加えて、特権剥奪の個人的な怨念を日本に対して生涯持ち続けていた人物である。
その怨念により、歴史を自ら作り、国民に怨念の歴史をそのまま教育するように指示したことが現代にまで捏造を続けるという結果を招いている。嘘で嘘を固めた創造の歴史が、今更嘘でしたと言えない所まで来てしまった。
それが朝鮮戦争を招く結果となった。
【朝鮮戦争開戦の経緯】
1948年10月:麗水・順天事件一時的な内戦状態。(南部への韓国軍移動)
1948年10月:済州島全域に戒厳令。軍事弾圧始まる。(南部への韓国軍移動)
1948年11月:李承晩大統領は国民に対して対馬返還宣言
1949年1月:李承晩大統領は日本と連合国(進駐軍)に対して対馬返還請求
1949年1月:北津戦役が終結。中国人民解放軍が北京を解放。
金日成に武力統一への大きな影響を与える。
1949年1月:李承晩は政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。
1949年2月:韓国軍一斉に釜山に集結開始(対馬返還の後押しの為と推察)(南部への韓国軍移動)
北朝鮮というあきあらかな敵が存在するにも拘らず、内戦と日本への無意味な対抗心の為に、南部に軍事力を集中させてしまった・・・
(日本への領土的野心と言っていいだろう)
1949年3月:韓国軍は釜山で揚陸訓練開始。アメリカ陸軍第24軍は対馬上陸の為の演習と判断
プサンの演習を知ったマッカーサーは激怒。明らかに対馬を想定したこの演習は、日本を防衛していたマッカーサーへの裏切りと判断された。
軍事物資の停止、24軍の撤退へと繋がる。
ちなみにこの事実、韓国では隠蔽されている。
1949年5月:マッカーサー李政権への軍事物資援助を停止
1949年6月:アメリカ24軍本体が本国に撤退。
韓国には国連監視団600名のみ在留。防衛上の直接的な後ろ盾を失う
1949年12月:北朝鮮全軍が5ヶ月にわたる冬季戦闘訓練に入る
1950年1月:金日成の要請にて中国軍朝鮮籍兵士の第二次移籍を承認。
移籍部隊は1万4千に達し,北の全兵力の1/3を占める。
1950年1月:米韓軍事援助相互協定が調印。韓国側は軍事支援強化を求めるがアメリカはこれに応ぜず。
1950年1月:米国務長官「西太平洋の防衛線は日本・琉球・フィリピンを結ぶライン上」と発言。
朝鮮半島へ影響力放棄と北に誤認される。(アチソンライン)
1950年3月:金日成、スターリンに対し侵攻時の支援を要請。毛沢東の承諾を条件に金日成の要請を受諾。
(武器支援のみ)
1950年5月:金日成、中国を訪問。南侵問題について協議し、毛沢東の南北開戦を支持と支援を取付ける。
(人的支援も含む)
1950年5月:李承晩、総選挙で惨敗。
北朝鮮が明らかに戦争準備を実施している中、韓国は産みの親であるアメリカに突き放されて行く。
原因は度重なる激しい内紛と、アメリカへの無理難題の要求に辟易したのが原因であろう。
この時期に大きな朝鮮戦争開戦への原因が生まれる。中国、ソ連の強固な軍事支援を得た金日成、対して様々な我がままから、アメリカの後ろ盾を失った韓国。
しかも軍配備は日本に向けての南方偏重のままである・・
まるで北に「侵略」の決断を迫るかのような韓国の状況であった。
1950年6月10日:北朝鮮大機動演習を開始。全師団が南部国境地帯への移動を開始。
1950年6月11日:韓国陸軍本部、非常警戒令を発令。
1950年6月17日:韓国軍全軍部隊に国境地帯への移動命令。(実際には準備途中で開戦となってしまいました)
目前で大規模な演習が始まって、やっと韓国も現実にめざめたのであろか?
南方偏重の軍配備を改めようと準備を始めた。
残念ながら部隊が到着すれば直ぐに最大戦力で戦闘できるわけではない。
対馬なんかに色目を使わないで、塹壕や戦車止めの設営に尽力していれば、緒戦の被害も減ったであろう。
1950年6月22日:北朝鮮軍最高司令官金日成、全面的南進作戦命令を発する。
1950年6月24日:ソウルで陸軍会館の落成式開催。韓国陸軍本部、非常警戒令を解除。
金日成の南進命令が下った2日後、なんと陸軍のお役人は陸軍の建物の落成記念の日に、非常警戒令を解除してしまった。非常警戒令下では盛大に「宴会」ができないからだろう。
この翌日、北の南進が開始されるわけで・・・・ 色々想像させられる。
1950年6月25日:北朝鮮軍南進 朝鮮戦争へ
非常警戒令の取り下げで「休日」となった韓国軍に北は襲い掛かった。 合掌・・
南部偏重の軍配備の為、緒戦の防御線を維持できなかった事や、 韓国に嫌気が差してアメリカが日本防衛重視に移行していた事実は見逃せない。
敵を見誤る韓国朝鮮人の悪い癖は未だに直っていないようだ。
少しは正しい歴史を知ってから、現状を判断して欲しいものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆朝鮮戦争の真実
当時の韓国の将兵は・・・・・
韓国の師団は、銃・機銃、無反動砲・野砲、戦車・装甲車・トラック、弾薬すべてを置き去りにしていつもいつも敵前逃亡、
それらの装備・弾薬で中国軍は休戦前の数か月、戦力を著しく増強、
休戦までの不毛の消耗戦を展開・・・・
前線の米軍大尉、大佐クラスの連中が何度か韓国大統領府にジープで現れ、
怒り狂って、
『李大統領、あなたは韓国軍がいつも敵前逃亡するのは、
兵器・装備が米英豪軍に劣るからだと言ってましたね。
それでずっと、新式装備も前線韓国師団には優先的に与えてきましたよ。
勇猛果敢に戦う民族なんですよね?そう言ってましたよね?
またまた敵前逃亡ばかりしてるので、今、あなたが行って説教して下さい
韓国将兵は、逃げてくるためのトラック以外、常に何もかも遺棄して逃げてくる』
と大統領をそのままジープに乗せて、
韓国軍脱走兵の大群の前で
『外国人が戦ってるのに、
どうして韓国人のお前らは逃げてばかりなんだ?』
と何度も説教させてる。
で、それでも装備を放棄して敵前逃亡は変わらず、
穴から中国軍は米英豪軍の背後に回る繰り返し。
結局、戦争後半では、ほぼすべての韓国師団は解体され、
主に米英豪インド軍の補助兵にされた。
もし第二次朝鮮戦争が始まったら、絶対に彼らだけで戦わせないと再び日本に不幸が訪れる。米国と支那と日本は見届け人に留まるべし。
◆朝鮮学校はなぜ生まれたのか【正しい経緯】
『在日朝鮮人は日本の公民ではなく朝鮮の在外公民であるから、朝鮮にのみ忠誠を尽くす』
『一時的に居住しているだけの日本の教育を受ける必要はなく日本の教育を拒否する』
『汚らわしい日本の援助金も介入に繋がるから断固拒否する』
『日本の関与を排した学校を作り、朝鮮独自の教育を行う。日本語など覚えなくて良い
『数年後には在日朝鮮人全員は朝鮮に帰還するのだ』
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
終戦直後、在日朝鮮人一世たちがこう大々的に宣言して生まれたのが朝鮮学校である。
従って日本政府は「非国民」である在日朝鮮人に日本国の教育の義務が無い特例を与えたのだ。
日本政府は1銭も出さないという約束で誕生したのが朝鮮学校。
だからこそ義務教育拒否・文科省の指導拒否で、デタラメな教育やりたい放題だった朝鮮学校である。
ところがいつの間にか、朝鮮にも帰らず
『日本の補助金を貰えないのは差別だ』
『日本の大学に入れないのは差別だ』
とほざくようになった在日朝鮮人ども。
教育の義務を受け付けないのだから権利があるはずがない。
日本国籍拒否の非国民の民族学校に公金を補助する国家は世界のどこにもない!
「日本の教育」をまるでしてないのになぜ日本の納税者がカネを負担するいわれがあるのだ?
なぜ本国(=北朝鮮)から補助金を貰わないのだ? 総連は金正日の葬式にピョンヤンに行ったときになぜカネを頼まない! 虫が良すぎんだよ。
矛盾もいいとこ! 詭弁もいいとこ! 恥を知れ! 情けなくて在日一世が墓の中で泣いてるぞ! 民族の誇りはどこへ行った!
日本のマスコミも、過去の経緯を正確に把握した上で報道しろ。過去をすべて消し去った偏った報道をするな。日本の報道機関とは到底思えない。
日本は海外にある日本人学校にそこの国の援助など依頼したりはしない。どこの国に、外国に作った学校をその国に面倒みろという国があるか。
日本の自治体がそれも分からずに独自に公金を補助するのは、似非日本人が役人をしているということか?そう思われても仕方がないだろう。
在日に参政権? 飛んでもない!!!

中国共産党
「日本解放第二期工作要綱」(B)
B.工作主点の行動要領
第1.群衆掌握の心理戦
第2.マスコミ工作
第3.政党工作
第4.極右極左団体工作
第5.在日華僑工作
第1.群衆掌握の心理戦
駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本
人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦
である。好感、親近感を抱かせる目的は、我が党、我が国への
警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。
これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の
日本人反動極右分子が発する
「中共を警戒せよ!日本支配の謀略をやっている」
との呼び掛けを一笑に付し、反動極右はますます孤立すると
いう、二重の効果を生むものである。
この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。
1-1.展覧会・演劇・スポーツ
中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、
民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている
「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重
んじ、平和を愛する民族の国」というイメージを掻き立て、更に高
まらせることである。
我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期に
おいては少ない方がよく、全然触れなくても構わない。
スポーツ選手団の派遣は、ピンポンの如く、試合に勝ちうるもの
に限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く
派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取
るべきである。
1-2.教育面での奉仕
A.中国語学習センターの開設。
全国都道府県の主要都市の全てに中国語学習センターを開設
し、教師を無報酬で派遣する。
教師は、1名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女
半々とし、全て20歳代の工作員を派遣する。受講者資格は、
もとより無制限とし、学費は無料又は極めて小額とする。
B.大学への中国人中国語教師派遣の申し入れ。
中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熱
が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大
学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申
し入れる。
申し入れを婉曲に拒否した場合は、「我が国の純然たる好意、
奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも
大衆も、学生も許さないであろう。
しかし、第1回で全勝を求める必要は無く全国大学の過半数
が受け入れればそれで良い。後は自然に受け入れ校は増加し
ていくものである。
C.委員会開設。
「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する
「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我
が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
尚、本綱の全ての項目は、初期においては、純然たる奉仕に
終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織
工作を行ってはならない。
第2.マスコミ工作
大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだの
は、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作っ
た。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の
不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を
作り上げるのである。
偉大なる毛主席は
「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上
げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」
と教えている。
田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教
えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、
我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミで
はない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆ
まざる不断の工作とが、これを生んだのである。
日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等
自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以
降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれ
を拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。
2-1.新聞・雑誌
A.接触線の拡大。
新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点
を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方
紙と接触線を拡大する。
雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分で
あったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に
置かねばならない。接触対象の選定は「10人の記者よりは、
1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対
象とする。
B.「民主連合政府」について。
「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げるこ
と、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務
である。
「民主連合政府」反対の論調を挙げさせてはならぬ。しかし、
いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」
樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を
呼び覚ます自殺行為に等しい。
「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこ
の問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態
である。
本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等
の根拠も掴み得ないまま焦慮に耐え得ず、「中共の支配する
日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の
陰謀を進めている」と絶叫するであろう。
これは否定すべきであるか? もとより否定しなければなら
ない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、
計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。
「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」という形
の否定が望ましい。
C.強調せしむべき論調の方向
�大衆の親中感情を全機能を挙げて更に高め、蒋介石一派との
関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
�朝鮮民主主義人民共和国並びにベトナム民主共和国との国交
樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の
圧力を形成し、政府にその実行を迫る。
�政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反
政府活動を一貫して支持する。特に在野党の反政府共闘には
無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して鼓舞すべき
である。
大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは、
在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを
銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
�人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調
ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定を言う。
「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の開放を言う。
「民主」とは、国家権力の排除を言う。
「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。
「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止を
いう。
2-2.テレビとラジオ
A.これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の
人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、
「娯楽」として利用することを主点とすべきである。
具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる
劇又は映画、本能を剌激する音楽、歌謡等は望ましい反面、
スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、
または歴史劇、映画、歌謡並びに「ふるさとの歌祭り」等の
郷土愛、民族一体感を呼び醒ますものは好ましくない。
前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せ
ねばならない。
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。
画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識
を持って画面を構成せねばならない。
C.時事解説・教養番組等については、新聞について述べた諸点が
そのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深
くなされねばならない。
2-3.出版(単行本)
A.我が国への好感、親近感を抱かせるものを、第一に取り上げさ
せる。風物写真集、随筆、家庭の主婦が興味を抱く料理、育児
所の紹介など、受け入れられ易いものを多面に亘って出版せし
める。
B.社会主義、毛沢東思想などに関する理論的著作も好ましい。
しかし、我が国の社会主義建設の成果、現況については、極右
分子の誹謗を困難ならしめるよう配慮させねばならない。
C.マスコミの主流から締め出された反動極右の反中国の言動は、
単行本に出路を求めているが、これは手段を尽くして粉砕せね
ばならない。
特に、社会主義建設の途上で生じる、止むを得ない若干の歪み、
欠点について、真実を伝えると称してなされる暴露報道を絶対
に放置してはならない。これらについては、誹謗、デマで両国
関係を破壊するものであるとして、日本政府に厳重に抗議する
と共に、出版社主、編集責任者、著者を告訴して根絶を期すべ
きである。
D.一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見習え」と
して、出版界における「性の解放」を大々的に主張せしむべき
で、春画、春本の氾濫は望ましい。
E.単行本の出版についての今一つの利用法は「中間層文筆業者」
の獲得である。「中間層」とは思想的に純正左派、または右派
に属しない、中間の動揺分子を言い、「文筆業者」とは、凡そ
文筆を以て世論作りにいささかでも影響を与え得る者全てを言
う。
彼等に対しては或いは原稿料を与え、或いは出版の支援をなし
て接近し、まず「政治的・思想的立場の明快さを欠く」中間的
著作をなさしめ、徐々に我が陣営へと誘導する。
2-4.本工作にマスコミ部を設けて、諸工作を統轄する
第3.政党工作
3-1.連合政府は手段
日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出
される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係な
く、任意の者を総理となし得るのである。
1972年7月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では
約60名、参議院では10余名を獲得して、在野党と同一行動を取ら
せるならば、野党連合政府は容易に実現する。
しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益する
に留まり、且つ最大の単独多数党は依然として自民党であり、この
2点は純正左派による「日本人民共和国」成立へと進む阻因となるこ
とは明らかである。
自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産
階級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党で
あることを忘れてはならない。
本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放
の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民
民主共和国」樹立の為の手段に過ぎない。
共和国樹立へ直結した、一貫的計画の元に行われる連合政府工作で
なければ、行う意義は全くない。
3-2.議員を個別に掌握
下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下
に置く。
A.第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に
対し接触線を最少4線設定する。
B.上の他、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、
その秘書、家族、強い影響力を持つ者の3者に、個別に接触線
を最少2線設定する。
C.上の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、
「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏さ
ず了解する。
D.右により各党毎の議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき
者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立
にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過
渡期においても利用し得る者」とに区別する。
ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力
を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E.「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員
の弱点を利用する。
金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要が
あれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる
手段を使用してもよい。
敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかな
る困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行
として、やり抜かねばならない。
3-3.招待旅行
上の接触線設置工作と並行して議員及び秘書を対象とする、我が国
への招待旅行を下の如く行う。
A.各党別の旅行団。団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。
但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」
「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加
え、工作員の主導の元に、我が方に有利になる方法を採らしむ
るよう、工作せねばならない。
B.党派を超えた議員旅行団。議員の職業、当選回数、選挙区、
選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を
組織せしめる。
C.駐日大使館開設後1年以内に、全議員を最低1回、我が国へ
旅行せしめねばならない。
自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対
しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行
への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめる
よう工作せねばならない。
D.旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で
「C・H・工作」を秘密裏に行う。
3-4.対自民党工作
A.基本方針
自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
自民党より、衆議院では60名前後、参議院では10余名を
脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策を取っ
てはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党
に分裂せしめることも好ましくない。
これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、
右派自民党を利用する可能性が強いからである。
従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、又
表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には
権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも
大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。
B.手段
自民党内派閥の対立を激化せしめる。
�自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象
で通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲
りなりにも保持していく。
今回はそれを許してならない。田中派と福田派の対立の継続と
激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満
感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。
総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむる
という工作の原則は変わらない。
�派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派と
なって政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に
十分な政治資金を与えることである。
政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法
のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、Cから
Dへ、Dから議員又は団体という如く間接的に行うのは言う迄も
ない。
�先に述べた議員個人の掌握は、それ自体が連合政府樹立の有効な
手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりで
ある。
3-5.対社会・公明・民杜各党工作
A.基本方針
�各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめ
る。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作
を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わな
い。
�日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
B.手段
自民党の項に同じ。
3-6.「政党工作組」で統轄
対政党工作は「連合政府樹立工作」の中心をなすものであり、本工作
組に政党工作部を設け、その下部機構を、自民党班、社会党班、公明党
班、民社党班の四班に分かち、各班毎に派閥名を冠した派閥小組を設け
る。
第4.極右極左団体工作
4-1.対極右団体工作
我が党は日本解放、日本人民共和国樹立工作を進めるに当たって、
日本の極右団体に対する対策は必要であるか? 必要だとすればいか
なる対策をたてて工作を進めるべきか?
第一に認識しなければならない彼我の関係は、彼等は利用し得べき
中間層に属するものではなく、水火相容れざる敵であることである。
では、彼等の現有勢力はどうか? 東京における極右団体数は約
180余。シンパも含めて人数は約40万、全国には1人1党的な
ものも含めれば約800団体、総数100万未満で問題にするには足
りない。
世論の動向はどうか? 我が方は、逸早く「マスコミ」を掌握して、
我に有利なる世論作りに成功した。
敗戦日本を米帝が独占占領したことは悪質極まる罪悪であるが、
米帝が日本の教育理念、制度を徹底的に破壊し、国家・民族を口にす
ることが、あの悲惨な敗戦を齎した軍国主義に直結するものであると
教育せしめたことは、高く評価されねばならない。
極右は、嘗て輝かしい成果を収めたように、「国家」「民族」という
スローガンで民衆に近づく道を封じられているである。否、彼等がそれ
を強調すればする程、民衆は彼等から離れていくのである。
800に分裂し、マスコミを敵とし、直接に民衆へ呼び掛けても、
効果が上がらぬ彼等は、翼なきタカであるか? 工作の対象として取り
上げるに値しないものであるか?
ここで我々は、日本解放工作の最も困難なる点、即ち、我が方の弱点
の所在を十分に承知しておかなければならない。
�国会議員の過半数を工作組の掌握下に置き、国会での首班指名選挙
で、我が方の望む人物を選出させ、連合政府を成立させることは
合法行為で可能である。
�右は日本人大衆の意志とは、関連なく行い得る。
�マスコミは右の工作が順調に進むよう、背後に隠れ全面的に支援
する。
上の3点から連合政府樹立については、極右勢力がその阻害の素因と
なる恐れは殆どない。もし彼等が連合政府樹立前に武装反革命戦を惹き
起こせば、世論の総攻撃を受け、日本官憲によって弾圧粉砕されること
は間違いない。
問題は、連合政府樹立直後の民心の大変化にある。大衆は「連合政府
・・共和国成立」という革命図式がデマでなく真実だと直感するであろ
う。彼等を騙し続けてきたマスコミへの怒り、彼等の意志を完全に無視
して首班指名選挙を行った議員への怒り、生活様式が一変するという
恐怖感、これらが組織されて爆発したらどうなるのか?
この時点で、統一された、組織を操る極右勢力が存在すれば、これ程
大きな危険はない。彼等の微小な力「一」は、たちまちにして「百」
「千」となろう。大衆は、彼等の武装決起に背を向けないどころか、
それを望み、それに投じるであろう。もとより、最後の勝利は我が方に
帰するが、一時的にせよ、内戦は避けられず、それは我々の利益とはな
らない。
以上の分析に従えば、対策は自ずから決まってくる。
A.極右のマスコミ奪回の反激戦に対しては、常に先手をとって粉砕
せねばならない。
B.極右団体の大同団結、乃至は連携工作を絶対に実現せしめてはな
らない。凡ゆる離間、中傷工作を行って、彼等の感情的対立、
利害の衝突を激化させねばならぬ。
C.各団体毎に、早期に爆発せしめる。彼等の危機感をあおり、怒り
に油を注ぎ、行動者こそ英雄であると焚き付け、日本の政界、
マスコミ界、言論人等の進歩分子を対象とする暗殺、襲撃はもと
より、我が大使館以下の公的機関の爆破等を決行するよう、接触
線を通じて誘導する。
我が公的機関の爆破は建物のみの損害に留め得るよう、準備して
おけば実害はない。事後、日本政府に対して厳重抗議し、官憲を
して、犯人の逮捕はもとより、背後団体の解散をなさしめ、賠償
を要求し、マスコミには、全力を挙げて攻撃させ、人民の右派
嫌悪を更に高め、定着させる。
D.右のため、必要な経費と少量の米製武器弾薬を与える。これは
蒋介石一派が日本の極右に資金・武器を与えたのである、と日本
官憲に信じ込ませる如く工作して、二重の効果を生むよう配慮せ
ねばならない。
E.本工作は工作組長自ら指揮する直属機関「P・T・機関」をして
実施せしめる。
4-2.対極左団体工作
A.学生極左団体は、一定任務を与え得ない団体(又は個人)と一定
任務を与え得る者と区別して利用する。
B.前者には、資金・武器を与えて小規模な武装暴動を頻発せしめ、
全国的な社会不安を高めると共に、日本官憲をして奔命に疲れせ
しめる。犯人及び直接関係者は、駐日大使館において保護し、
必要ある場合は我が国の船舶で中国に逃亡せしめる。
C.後者には、各階層の極右分子中、我が工作の著しい阻害となる者
に対しての暗殺・脅迫・一時的監禁等を使用する。その保護に
ついては前項に同じ。
D.前二項に関連して起きる、日本官憲による我が大使館への「犯人
引き渡し要求」又は「捜査への協力要請」は、その事実無し、
必要無しとして断固拒否する。
続いて、マスコミの全力を挙げて官憲の不当を攻撃せしめ、日本
政府へは、国交断絶も辞せずと圧力を加え、官憲の要求を制約せ
しめる。
E.逮捕された犯人に対する援助は一切行ってはならない。又、その
犯人との接触に使用した中間連絡者に対しては、直ちに「P・T
・機関」をして必要、適切なる処置を構ぜしめ、官憲の追跡捜査
を許してはならない。
F.本工作は、対極右工作と共に「P・T・機関」をして実施せしめ
る。
第5.在日華僑工作
5-1.華僑の階級区分
約5万3千名に上る在日中国人は、現在の思想、言動を問わず、本質
的には資産階級、小資産階級に属する階級の敵であって、無産階級も
同志ではない。
しかし日本人民共和国成立以前においては、彼等を「階級の敵」と
規定してはならず、統一戦線工作における「利用すべき敵」に属する
ものとして規定し、利用し尽くさなければならない。
5-2.工作の第一歩・・逃亡防止
国交正常化が近づくにつれて、彼等は必然的に動揺し不安を感じる。
不安の第1は、我が駐日大使館開設後、祖国へ帰国させられるのでは
ないか? その際、在日資産を処分して得た携帯又は送金外貨を帰国後、
中国銀行に預金させられ封鎖されるのではないか、との不安である。
第2は、蒋介石一派の言動をとっていた者、及び「台湾独立運動」に
従事していた者の罪を恐れる恐怖不安である。
これに対し
「居住の許可、私有財産の保護は日本政府の保証する所であり、中共
大使館の干渉し得ざる内政干渉があること」
「民主国日本においては、思想・言動の自由が保護されており、それ
が外国人に及ぶことは、国府大使館時代の実例で証明されているこ
と」
等を挙げて、第一期、第二期工作員と共に、彼らの不安解消に全力を
挙げ、彼等に日本残留を決定せしめなければならない。
対在日華僑対策の第一歩は、彼等を掌握して利用する為に日本ヘ留め
ることであり、決して台湾又は東南アジア各地へ逃亡させてはならない。
5-3.工作の第二歩・・青少年把握
工作の第二歩は、華僑の小・中・高校・大学等の生徒学生及び青年を、
先ず掌握することである。
A.駐日大使館開設と同時に、大使自ら各地の華僑学校へ赴き、祖国
からの贈物として、施設拡充に十分なる寄付金を無条件で与え
使用させる。同時に、政治色のない図書館を大量に寄付する。
B.祖国から来日するスポーツ選手団の試合、各種の公演、展覧会に、
青少年を無料で招待する。
C.華僑学校へ女性の中国教師1名を派遣する。この一切の費用は
大使館で負担する。教師は初期においては一切、思想・政治教育
を行わず、忠実熱心な教員として全生徒の信望を勝ちとることに
全力を尽くす。
続いて、語学教育を通じて、全生徒に祖国愛を抱かせること、
及び生徒を通じて自然にその家族の状況を知ることの2点を任務
に加える。教員数も、教員に与える任務も漸増するが、その時期
を誤ってはならない。
D.祖国観光旅行。派遣教員による生徒の掌握が進んだ時点で、祖国
観光旅行へ招待する。この後、次第に、政治・思想教育を行って
青少年を完全に掌握する。
5-4.国籍の取得
A.駐日大使館開設後直ちに、在日華僑の中国国籍の取得、パスポー
ト発給申請の受理を開始するが、決して強制してはならず、且つ
受理期間を制限してはならない。
飽く迄も、彼等が個人の意志で決定し、自発的に申請するという
形式を取らせねばならぬ。時間が掛かることは問題とするに足ら
ない。
掌握せる青少年に「中国人が中国の国籍を取るのは当然のことで
ある」との考えが徹底すれば、彼等は自然に両親を説得する。
これ青少年の自発行為であり、子供と共に行動する親の行為も又
自発的行為であることは言う迄もない。
B.日本政府に対しては「在日中国人の国籍問題について」の秘密
交渉申し入れ、下記を要求する。
�在日中国人の日本への帰化を認めてはならないこと。
�在日中国人で中国国籍を取得せず、無国籍者を自称する者に対し
ては、各地の在日居留期間が満期となる際、居留期間の政治延長
許可を与えてはならないこと。
�蒋介石一派が発給するパスポートを認めない。その所持者に、
日本居住を許可してはならないし、旅行入国をも認めてはならな
い。
中国人について、2種類のパスポートを認めることは、2つの
中国を作る陰謀に該当する最も悪質な反中行為であることを認め
ること。
5-5.中国銀行の使用を指定
A.在日華僑の大部分は商人であり、その年商総額は約1兆円に達し
ている。駐日大使館開設と同時に、日本に進出して各地に支店を
設ける中国銀行は、中国との貿易に従事する全ての日本商社に
口座を開設せしめる他、華僑については、その大部分の資産を
中国銀行へ預金せしめる如く工作せねばならない。
B.資産階級は狡猾無比で、資産を分散隠匿して保全を図る習性を持
つ動物である。正面からの説得で、取引銀行を中国銀行一本に絞
ることはあり得ない。
青少年の掌握、国籍取得がゆきわたり、日本政府が我が方の国籍
問題についての要求を入れ、最早我が大使館の意志に抗し移行す
ることは困難となった段階で、下の諸点を実施する。
�「祖国の銀行を使おう」「事実で素朴への忠実を示そう」等の
スローガンの元に「中国銀行への預金運動」を華僑自体に展開さ
せる。
青少年に運動の先鋒隊として宣伝、説得工作をなさしめると共に、
父母の言動を監視せしめ、実行しない場合は摘発せしめる。
�預金を中央銀行一本に絞らなければ、パスポートの有効期限の
延長申請を大使館は受理しないであろう、と意識的なデマを口
から口へ伝えて、「延長申請が許可とならねば無国籍となって
日本に居住できない」との不安を煽る。
�華僑仲間の密告を「祖国への忠誠行為」として奨励することを
暗示する。
5-6.政治・思想教育
国籍を取得し、預金を中国銀行に集中せしめた後において、5万3千
の華僑を、日本解放の為の一戦力となすべく、政治教育、思想教育を
開始する。
5-7.「華僑工作部」で統轄
本工作に「華僑工作部」を設け、全工作を統轄せしめる。
転載元
http://web.archive.org/web/20071213040344/http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801Bchina.html
「日本解放第二期工作要綱」(B)
B.工作主点の行動要領
第1.群衆掌握の心理戦
第2.マスコミ工作
第3.政党工作
第4.極右極左団体工作
第5.在日華僑工作
第1.群衆掌握の心理戦
駐日大使館開設と同時になされなければならないのは、全日本
人に中国への好感、親近感を抱かせるという、群衆掌握の心理戦
である。好感、親近感を抱かせる目的は、我が党、我が国への
警戒心を無意識の内に捨て去らせることにある。
これは日本解放工作成功の絶好の温床となると共に、一部の
日本人反動極右分子が発する
「中共を警戒せよ!日本支配の謀略をやっている」
との呼び掛けを一笑に付し、反動極右はますます孤立すると
いう、二重の効果を生むものである。
この為に、以下の各項を速やかに、且つ継続的に実施する。
1-1.展覧会・演劇・スポーツ
中国の書画、美術品、民芸品等の展覧会、舞劇団、民族舞踊団、
民謡団、雑技団、京劇団の公演、各種スポーツ選手団の派遣を行う。
第一歩は、日本人大衆が中国大陸に対し、今なお持っている
「輝かしい伝統文化を持っている国」「日本文化の来源」「文を重
んじ、平和を愛する民族の国」というイメージを掻き立て、更に高
まらせることである。
我が国の社会主義改造の誇るべき成果についての宣伝は、初期に
おいては少ない方がよく、全然触れなくても構わない。
スポーツ選手団の派遣は、ピンポンの如く、試合に勝ちうるもの
に限定してはならず、技術的に劣っている分野の選手団をも数多く
派遣し、日本選手に学ぶという率直な態度を示して、好感を勝ち取
るべきである。
1-2.教育面での奉仕
A.中国語学習センターの開設。
全国都道府県の主要都市の全てに中国語学習センターを開設
し、教師を無報酬で派遣する。
教師は、1名派遣の場合は女性教師、複数の場合は男、女
半々とし、全て20歳代の工作員を派遣する。受講者資格は、
もとより無制限とし、学費は無料又は極めて小額とする。
B.大学への中国人中国語教師派遣の申し入れ。
中国語学習センターを開設し、日本人青年層に中国語学習熱
が高まったところで、私立、公立の大学には個別に、国立大
学については日本政府文部省へ中国人中国語教師の派遣を申
し入れる。
申し入れを婉曲に拒否した場合は、「我が国の純然たる好意、
奉仕の精神に対する非礼」を責めれば、日本のマスコミも
大衆も、学生も許さないであろう。
しかし、第1回で全勝を求める必要は無く全国大学の過半数
が受け入れればそれで良い。後は自然に受け入れ校は増加し
ていくものである。
C.委員会開設。
「中日文化交流協会」を拡充し、中日民間人の組織する
「日中文化教育体育交流委員会」を開設して実施せしめ、我
が大使館は、これを正式に支援する方式をとる。
尚、本綱の全ての項目は、初期においては、純然たる奉仕に
終始し、いささかも政治工作、思想工作、宣伝工作、組織
工作を行ってはならない。
第2.マスコミ工作
大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と読んだの
は、遠い昔のことである。次の時代には、新聞、雑誌が世論を作っ
た。今日では、新聞、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の
不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を
作り上げるのである。
偉大なる毛主席は
「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上
げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」
と教えている。
田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教
えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、
我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミで
はない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆ
まざる不断の工作とが、これを生んだのである。
日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼等
自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以
降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれ
を拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。
2-1.新聞・雑誌
A.接触線の拡大。
新聞については、第一期工作組が設定した「三大紙」に重点
を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方
紙と接触線を拡大する。
雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分で
あったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に
置かねばならない。接触対象の選定は「10人の記者よりは、
1人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対
象とする。
B.「民主連合政府」について。
「民主連合政府」樹立を大衆が許容する温床を作り上げるこ
と、このための世論造成、これが本工作を担当する者の任務
である。
「民主連合政府」反対の論調を挙げさせてはならぬ。しかし、
いかなる方式かを問わず、マスコミ自体に「民主連合政府」
樹立の主張をなさしめてはならない。これは、敵の警戒心を
呼び覚ます自殺行為に等しい。
「民主連合政府」に関連ある事項を全く報道せず、大衆はこ
の問題について無知、無関心であることが最も望ましい状態
である。
本工作組の工作の進展につれて、日本の反動極右分子が何等
の根拠も掴み得ないまま焦慮に耐え得ず、「中共の支配する
日本左派勢力は、日本赤化の第一歩として、連合政府樹立の
陰謀を進めている」と絶叫するであろう。
これは否定すべきであるか? もとより否定しなければなら
ない。しかし、否定は真正面から大々的に行ってはならず、
計画的な慎重な間接的な否定でなければならない。
「極右の悪質なデマで、取り上げるにも値しない」という形
の否定が望ましい。
C.強調せしむべき論調の方向
�大衆の親中感情を全機能を挙げて更に高め、蒋介石一派との
関係は完全に断つ方向へ向かわせる。
�朝鮮民主主義人民共和国並びにベトナム民主共和国との国交
樹立を、社説はもとより全紙面で取り上げて、強力な世論の
圧力を形成し、政府にその実行を迫る。
�政府の内外政策には常に攻撃を加えて反対し、在野諸党の反
政府活動を一貫して支持する。特に在野党の反政府共闘には
無条件で賛意を表明し、その成果を高く評価して鼓舞すべき
である。
大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは、
在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを
銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。
�人間の尊重、自由、民主、平和、独立の強調
ここに言う「人間の尊重」とは、個の尊重、全の否定を言う。
「自由」とは、旧道徳からの解放、本能の開放を言う。
「民主」とは、国家権力の排除を言う。
「平和」とは、反戦、不戦、思想の定着促進を言う。
「独立」とは、米帝との提携の排除、社帝ソ連への接近阻止を
いう。
2-2.テレビとラジオ
A.これらは、資本主義国においては「娯楽」であって、政府の
人民に対する意志伝達の媒介体ではない。この点に特に留意し、
「娯楽」として利用することを主点とすべきである。
具体的な方向を示せば、「性の解放」を高らかに謳い上げる
劇又は映画、本能を剌激する音楽、歌謡等は望ましい反面、
スポーツに名を借りた「根性もの」と称される劇、映画、動画、
または歴史劇、映画、歌謡並びに「ふるさとの歌祭り」等の
郷土愛、民族一体感を呼び醒ますものは好ましくない。
前者をより多く、後者をより少なく取り上げさせるよう誘導せ
ねばならない。
B.テレビのニュース速報、実況報道の利用価値は極めて高い。
画面は真実を伝えるものではなく、作るものである。目的意識
を持って画面を構成せねばならない。
C.時事解説・教養番組等については、新聞について述べた諸点が
そのまま適用されるが、これは極めて徐々に、少しずつ注意深
くなされねばならない。
2-3.出版(単行本)
A.我が国への好感、親近感を抱かせるものを、第一に取り上げさ
せる。風物写真集、随筆、家庭の主婦が興味を抱く料理、育児
所の紹介など、受け入れられ易いものを多面に亘って出版せし
める。
B.社会主義、毛沢東思想などに関する理論的著作も好ましい。
しかし、我が国の社会主義建設の成果、現況については、極右
分子の誹謗を困難ならしめるよう配慮させねばならない。
C.マスコミの主流から締め出された反動極右の反中国の言動は、
単行本に出路を求めているが、これは手段を尽くして粉砕せね
ばならない。
特に、社会主義建設の途上で生じる、止むを得ない若干の歪み、
欠点について、真実を伝えると称してなされる暴露報道を絶対
に放置してはならない。これらについては、誹謗、デマで両国
関係を破壊するものであるとして、日本政府に厳重に抗議する
と共に、出版社主、編集責任者、著者を告訴して根絶を期すべ
きである。
D.一般娯楽面の出版については「デンマークの進歩を見習え」と
して、出版界における「性の解放」を大々的に主張せしむべき
で、春画、春本の氾濫は望ましい。
E.単行本の出版についての今一つの利用法は「中間層文筆業者」
の獲得である。「中間層」とは思想的に純正左派、または右派
に属しない、中間の動揺分子を言い、「文筆業者」とは、凡そ
文筆を以て世論作りにいささかでも影響を与え得る者全てを言
う。
彼等に対しては或いは原稿料を与え、或いは出版の支援をなし
て接近し、まず「政治的・思想的立場の明快さを欠く」中間的
著作をなさしめ、徐々に我が陣営へと誘導する。
2-4.本工作にマスコミ部を設けて、諸工作を統轄する
第3.政党工作
3-1.連合政府は手段
日本の内閣総理は、衆参両院の本会議で首班指名選挙を行って選出
される。両院で議員総数の過半を掌握すれば、人民の意志とは関係な
く、任意の者を総理となし得るのである。
1972年7月の現況で言えば、自民党の両院議員中、衆議院では
約60名、参議院では10余名を獲得して、在野党と同一行動を取ら
せるならば、野党連合政府は容易に実現する。
しかし、この方式を取るならば、社会党、公明党の発言権を益する
に留まり、且つ最大の単独多数党は依然として自民党であり、この
2点は純正左派による「日本人民共和国」成立へと進む阻因となるこ
とは明らかである。
自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、無産
階級の政党ではなく、最終的には打倒されるべき階級の敵の政党で
あることを忘れてはならない。
本工作組に与える「民主連合政府の樹立」という任務は、日本解放
の第二期における工作目標に過ぎず、その実現は第三期の「日本人民
民主共和国」樹立の為の手段に過ぎない。
共和国樹立へ直結した、一貫的計画の元に行われる連合政府工作で
なければ、行う意義は全くない。
3-2.議員を個別に掌握
下記により国会議員を個別に掌握して、秘密裏に本工作員の支配下
に置く。
A.第一期工作組がすでに獲得したものを除き、残余の議員全員に
対し接触線を最少4線設定する。
B.上の他、各党の役職者及び党内派閥の首長、有力者については、
その秘書、家族、強い影響力を持つ者の3者に、個別に接触線
を最少2線設定する。
C.上の接触線設定後、各線を経て知り得る全情報を整理して、
「議員身上調査書」の拡充を期し、公私生活の全貌を細大漏さ
ず了解する。
D.右により各党毎の議員を「掌握すべき者」と「打倒排除すべき
者」に区別し、「掌握すべき者」については「連合政府の樹立
にのみ利用しうる者」「連合政府樹立より共和国成立に至る過
渡期においても利用し得る者」とに区別する。
ここに言う「打倒・排除」とは、その議員の党内における勢力
を削ぎ、発言権を低下せしめ、孤立に向かわせることを言う。
E.「掌握」又は「打倒」は調査によって明らかとなったその議員
の弱点を利用する。
金銭、権力、名声等、欲するものを与え、又は約束し、必要が
あれば中傷、離間、脅迫、秘している私事の暴露等、いかなる
手段を使用してもよい。
敵国の無血占領が、この一事に懸っていることを思い、いかな
る困難、醜悪なる手段も厭うてはならず、神聖なる任務の遂行
として、やり抜かねばならない。
3-3.招待旅行
上の接触線設置工作と並行して議員及び秘書を対象とする、我が国
への招待旅行を下の如く行う。
A.各党別の旅行団。団体の人数は固定せず、実情に応じて定める。
但し、団体構成の基準を、「党内派閥」「序列」「年齢」
「地域別」「その他」そのいずれかにおくかは慎重に検討を加
え、工作員の主導の元に、我が方に有利になる方法を採らしむ
るよう、工作せねばならない。
B.党派を超えた議員旅行団。議員の職業、当選回数、選挙区、
選挙基盤団体、出身校を子細に考慮し、多種多様の旅行団を
組織せしめる。
C.駐日大使館開設後1年以内に、全議員を最低1回、我が国へ
旅行せしめねばならない。
自民党議員中の反動極右分子で招待旅行への参加を拒む者に対
しては、費用自弁の個人旅行、議員旅行団以外の各種団体旅行
への参加等、形式の如何を問わず、我が国へ一度旅行せしめる
よう工作せねばならない。
D.旅行で入国した議員、秘書の内、必要なる者に対して、国内で
「C・H・工作」を秘密裏に行う。
3-4.対自民党工作
A.基本方針
自民党を解体し、多数の小党に分裂せしめる。
自民党より、衆議院では60名前後、参議院では10余名を
脱党せしめて、連合政府を樹立するというが如き、小策を取っ
てはならないことは先に述べた所であるが、右派、左派の二党
に分裂せしめることも好ましくない。
これは、一握りの反動右翼分子が民族派戦線結成の拠点として、
右派自民党を利用する可能性が強いからである。
従って、多数の小党に分裂する如く工作を進めねばならず、又
表面的には思想、政策の不一致を口実としつつも、実質的には
権力欲、利害による分裂であることが望ましく、少なくとも
大衆の目にはそう見られるよう工作すべきである。
B.手段
自民党内派閥の対立を激化せしめる。
�自民党総裁選挙時における派閥の権力闘争は常に見られる現象
で通常は総選挙を経て若干緩和され、一つの党として受けて曲
りなりにも保持していく。
今回はそれを許してならない。田中派と福田派の対立の継続と
激化、田中派と大平派、三木派、三派の離間、中間五派の不満
感の扇動等を主点として、第一期工作組は工作を展開中である。
総選挙後、若干の変動があっても、派閥の対立を激化せしむる
という工作の原則は変わらない。
�派閥対立を激化せしめる最も有効な方法は、党内の非主流派と
なって政治活動資金の調達に困難を生じている各派に個別に
十分な政治資金を与えることである。
政治献金は合法であり、これを拒む政治家はいない。問題は方法
のみであり、工作員からAへ、AからBへ、BからCへ、Cから
Dへ、Dから議員又は団体という如く間接的に行うのは言う迄も
ない。
�先に述べた議員個人の掌握は、それ自体が連合政府樹立の有効な
手段となるが、派閥対立激化についても活用するのはもとよりで
ある。
3-5.対社会・公明・民杜各党工作
A.基本方針
�各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめ
る。派閥というに足る派閥なき場合は、派閥を形成せしめる工作
を行う。但し、党を分裂せしめる必要はなく、分裂工作は行わな
い。
�日本共産党を含めた野党共闘を促進する。
B.手段
自民党の項に同じ。
3-6.「政党工作組」で統轄
対政党工作は「連合政府樹立工作」の中心をなすものであり、本工作
組に政党工作部を設け、その下部機構を、自民党班、社会党班、公明党
班、民社党班の四班に分かち、各班毎に派閥名を冠した派閥小組を設け
る。
第4.極右極左団体工作
4-1.対極右団体工作
我が党は日本解放、日本人民共和国樹立工作を進めるに当たって、
日本の極右団体に対する対策は必要であるか? 必要だとすればいか
なる対策をたてて工作を進めるべきか?
第一に認識しなければならない彼我の関係は、彼等は利用し得べき
中間層に属するものではなく、水火相容れざる敵であることである。
では、彼等の現有勢力はどうか? 東京における極右団体数は約
180余。シンパも含めて人数は約40万、全国には1人1党的な
ものも含めれば約800団体、総数100万未満で問題にするには足
りない。
世論の動向はどうか? 我が方は、逸早く「マスコミ」を掌握して、
我に有利なる世論作りに成功した。
敗戦日本を米帝が独占占領したことは悪質極まる罪悪であるが、
米帝が日本の教育理念、制度を徹底的に破壊し、国家・民族を口にす
ることが、あの悲惨な敗戦を齎した軍国主義に直結するものであると
教育せしめたことは、高く評価されねばならない。
極右は、嘗て輝かしい成果を収めたように、「国家」「民族」という
スローガンで民衆に近づく道を封じられているである。否、彼等がそれ
を強調すればする程、民衆は彼等から離れていくのである。
800に分裂し、マスコミを敵とし、直接に民衆へ呼び掛けても、
効果が上がらぬ彼等は、翼なきタカであるか? 工作の対象として取り
上げるに値しないものであるか?
ここで我々は、日本解放工作の最も困難なる点、即ち、我が方の弱点
の所在を十分に承知しておかなければならない。
�国会議員の過半数を工作組の掌握下に置き、国会での首班指名選挙
で、我が方の望む人物を選出させ、連合政府を成立させることは
合法行為で可能である。
�右は日本人大衆の意志とは、関連なく行い得る。
�マスコミは右の工作が順調に進むよう、背後に隠れ全面的に支援
する。
上の3点から連合政府樹立については、極右勢力がその阻害の素因と
なる恐れは殆どない。もし彼等が連合政府樹立前に武装反革命戦を惹き
起こせば、世論の総攻撃を受け、日本官憲によって弾圧粉砕されること
は間違いない。
問題は、連合政府樹立直後の民心の大変化にある。大衆は「連合政府
・・共和国成立」という革命図式がデマでなく真実だと直感するであろ
う。彼等を騙し続けてきたマスコミへの怒り、彼等の意志を完全に無視
して首班指名選挙を行った議員への怒り、生活様式が一変するという
恐怖感、これらが組織されて爆発したらどうなるのか?
この時点で、統一された、組織を操る極右勢力が存在すれば、これ程
大きな危険はない。彼等の微小な力「一」は、たちまちにして「百」
「千」となろう。大衆は、彼等の武装決起に背を向けないどころか、
それを望み、それに投じるであろう。もとより、最後の勝利は我が方に
帰するが、一時的にせよ、内戦は避けられず、それは我々の利益とはな
らない。
以上の分析に従えば、対策は自ずから決まってくる。
A.極右のマスコミ奪回の反激戦に対しては、常に先手をとって粉砕
せねばならない。
B.極右団体の大同団結、乃至は連携工作を絶対に実現せしめてはな
らない。凡ゆる離間、中傷工作を行って、彼等の感情的対立、
利害の衝突を激化させねばならぬ。
C.各団体毎に、早期に爆発せしめる。彼等の危機感をあおり、怒り
に油を注ぎ、行動者こそ英雄であると焚き付け、日本の政界、
マスコミ界、言論人等の進歩分子を対象とする暗殺、襲撃はもと
より、我が大使館以下の公的機関の爆破等を決行するよう、接触
線を通じて誘導する。
我が公的機関の爆破は建物のみの損害に留め得るよう、準備して
おけば実害はない。事後、日本政府に対して厳重抗議し、官憲を
して、犯人の逮捕はもとより、背後団体の解散をなさしめ、賠償
を要求し、マスコミには、全力を挙げて攻撃させ、人民の右派
嫌悪を更に高め、定着させる。
D.右のため、必要な経費と少量の米製武器弾薬を与える。これは
蒋介石一派が日本の極右に資金・武器を与えたのである、と日本
官憲に信じ込ませる如く工作して、二重の効果を生むよう配慮せ
ねばならない。
E.本工作は工作組長自ら指揮する直属機関「P・T・機関」をして
実施せしめる。
4-2.対極左団体工作
A.学生極左団体は、一定任務を与え得ない団体(又は個人)と一定
任務を与え得る者と区別して利用する。
B.前者には、資金・武器を与えて小規模な武装暴動を頻発せしめ、
全国的な社会不安を高めると共に、日本官憲をして奔命に疲れせ
しめる。犯人及び直接関係者は、駐日大使館において保護し、
必要ある場合は我が国の船舶で中国に逃亡せしめる。
C.後者には、各階層の極右分子中、我が工作の著しい阻害となる者
に対しての暗殺・脅迫・一時的監禁等を使用する。その保護に
ついては前項に同じ。
D.前二項に関連して起きる、日本官憲による我が大使館への「犯人
引き渡し要求」又は「捜査への協力要請」は、その事実無し、
必要無しとして断固拒否する。
続いて、マスコミの全力を挙げて官憲の不当を攻撃せしめ、日本
政府へは、国交断絶も辞せずと圧力を加え、官憲の要求を制約せ
しめる。
E.逮捕された犯人に対する援助は一切行ってはならない。又、その
犯人との接触に使用した中間連絡者に対しては、直ちに「P・T
・機関」をして必要、適切なる処置を構ぜしめ、官憲の追跡捜査
を許してはならない。
F.本工作は、対極右工作と共に「P・T・機関」をして実施せしめ
る。
第5.在日華僑工作
5-1.華僑の階級区分
約5万3千名に上る在日中国人は、現在の思想、言動を問わず、本質
的には資産階級、小資産階級に属する階級の敵であって、無産階級も
同志ではない。
しかし日本人民共和国成立以前においては、彼等を「階級の敵」と
規定してはならず、統一戦線工作における「利用すべき敵」に属する
ものとして規定し、利用し尽くさなければならない。
5-2.工作の第一歩・・逃亡防止
国交正常化が近づくにつれて、彼等は必然的に動揺し不安を感じる。
不安の第1は、我が駐日大使館開設後、祖国へ帰国させられるのでは
ないか? その際、在日資産を処分して得た携帯又は送金外貨を帰国後、
中国銀行に預金させられ封鎖されるのではないか、との不安である。
第2は、蒋介石一派の言動をとっていた者、及び「台湾独立運動」に
従事していた者の罪を恐れる恐怖不安である。
これに対し
「居住の許可、私有財産の保護は日本政府の保証する所であり、中共
大使館の干渉し得ざる内政干渉があること」
「民主国日本においては、思想・言動の自由が保護されており、それ
が外国人に及ぶことは、国府大使館時代の実例で証明されているこ
と」
等を挙げて、第一期、第二期工作員と共に、彼らの不安解消に全力を
挙げ、彼等に日本残留を決定せしめなければならない。
対在日華僑対策の第一歩は、彼等を掌握して利用する為に日本ヘ留め
ることであり、決して台湾又は東南アジア各地へ逃亡させてはならない。
5-3.工作の第二歩・・青少年把握
工作の第二歩は、華僑の小・中・高校・大学等の生徒学生及び青年を、
先ず掌握することである。
A.駐日大使館開設と同時に、大使自ら各地の華僑学校へ赴き、祖国
からの贈物として、施設拡充に十分なる寄付金を無条件で与え
使用させる。同時に、政治色のない図書館を大量に寄付する。
B.祖国から来日するスポーツ選手団の試合、各種の公演、展覧会に、
青少年を無料で招待する。
C.華僑学校へ女性の中国教師1名を派遣する。この一切の費用は
大使館で負担する。教師は初期においては一切、思想・政治教育
を行わず、忠実熱心な教員として全生徒の信望を勝ちとることに
全力を尽くす。
続いて、語学教育を通じて、全生徒に祖国愛を抱かせること、
及び生徒を通じて自然にその家族の状況を知ることの2点を任務
に加える。教員数も、教員に与える任務も漸増するが、その時期
を誤ってはならない。
D.祖国観光旅行。派遣教員による生徒の掌握が進んだ時点で、祖国
観光旅行へ招待する。この後、次第に、政治・思想教育を行って
青少年を完全に掌握する。
5-4.国籍の取得
A.駐日大使館開設後直ちに、在日華僑の中国国籍の取得、パスポー
ト発給申請の受理を開始するが、決して強制してはならず、且つ
受理期間を制限してはならない。
飽く迄も、彼等が個人の意志で決定し、自発的に申請するという
形式を取らせねばならぬ。時間が掛かることは問題とするに足ら
ない。
掌握せる青少年に「中国人が中国の国籍を取るのは当然のことで
ある」との考えが徹底すれば、彼等は自然に両親を説得する。
これ青少年の自発行為であり、子供と共に行動する親の行為も又
自発的行為であることは言う迄もない。
B.日本政府に対しては「在日中国人の国籍問題について」の秘密
交渉申し入れ、下記を要求する。
�在日中国人の日本への帰化を認めてはならないこと。
�在日中国人で中国国籍を取得せず、無国籍者を自称する者に対し
ては、各地の在日居留期間が満期となる際、居留期間の政治延長
許可を与えてはならないこと。
�蒋介石一派が発給するパスポートを認めない。その所持者に、
日本居住を許可してはならないし、旅行入国をも認めてはならな
い。
中国人について、2種類のパスポートを認めることは、2つの
中国を作る陰謀に該当する最も悪質な反中行為であることを認め
ること。
5-5.中国銀行の使用を指定
A.在日華僑の大部分は商人であり、その年商総額は約1兆円に達し
ている。駐日大使館開設と同時に、日本に進出して各地に支店を
設ける中国銀行は、中国との貿易に従事する全ての日本商社に
口座を開設せしめる他、華僑については、その大部分の資産を
中国銀行へ預金せしめる如く工作せねばならない。
B.資産階級は狡猾無比で、資産を分散隠匿して保全を図る習性を持
つ動物である。正面からの説得で、取引銀行を中国銀行一本に絞
ることはあり得ない。
青少年の掌握、国籍取得がゆきわたり、日本政府が我が方の国籍
問題についての要求を入れ、最早我が大使館の意志に抗し移行す
ることは困難となった段階で、下の諸点を実施する。
�「祖国の銀行を使おう」「事実で素朴への忠実を示そう」等の
スローガンの元に「中国銀行への預金運動」を華僑自体に展開さ
せる。
青少年に運動の先鋒隊として宣伝、説得工作をなさしめると共に、
父母の言動を監視せしめ、実行しない場合は摘発せしめる。
�預金を中央銀行一本に絞らなければ、パスポートの有効期限の
延長申請を大使館は受理しないであろう、と意識的なデマを口
から口へ伝えて、「延長申請が許可とならねば無国籍となって
日本に居住できない」との不安を煽る。
�華僑仲間の密告を「祖国への忠誠行為」として奨励することを
暗示する。
5-6.政治・思想教育
国籍を取得し、預金を中国銀行に集中せしめた後において、5万3千
の華僑を、日本解放の為の一戦力となすべく、政治教育、思想教育を
開始する。
5-7.「華僑工作部」で統轄
本工作に「華僑工作部」を設け、全工作を統轄せしめる。
転載元
http://web.archive.org/web/20071213040344/http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801Bchina.html
ナツミカンのブログより転載
2014-05-18 09:16:47
テーマ:日本の歴史
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2249.html#more より転載一部加工
斉南事件
済南事件0503-1
憲法記念日ですが、いい日を選んだものです。なにせゴ(5)ミ(3)の日です。
その憲法記念日以上に、日本人が絶対に忘れてはならないのが、昭和3(1928)年5月3日に起きた「済南事件(さいなんじけん)」です。
今日は、この事件と、その背景を振り返ってみたいと思います。
少し時をさかのぼります。
大正6(1917)年にロシア革命が起こると、世界を共産主義支配下に置こうとするいわゆる共産主義革命の嵐が世界を覆いました。
この影響で支那では、共産主義者でもなんでもないならず者たちが、共産主義革命を標榜して徒党を組み、あちこちで乱暴狼藉をはたらくようになりました。
なにせ、共産主義に共鳴するという体裁をとりさえすれば、背後にいるソ連が、湯水のように銃や実弾やカネを提供してくれるのです。ならず者たちにとって、これほど都合のよいことはありません。
これによって、普通に生活をしようとする、支那にいる多くの庶民が犠牲になりました。
当時の支那は、明治44(1912)年に清王朝が倒れたばかりです。
同年1月1日に、南京で孫文(そんぶん)が中華民国臨時政府を樹立し、臨時大総統職に就任するのだけれど、軍事力の弱い孫文は、結果として北京軍閥の長である袁世凱(えんせいがい)に大統領職を譲り、大正5(1916)年には、その袁世凱が、中華帝国を名乗り、初代皇帝に即位しています。
ところがその即位も、内外から総スカンを食い、失意のうちに袁世凱が死亡すると、その後の支那は長く続く内乱の時代にはいってたのです。
こうした中で、大正9(1920)年に起こったのが「尼港事件(にこうじけん)」です。
「尼港事件」は、ロシアのトリャピーチン率いる、ロシア人、朝鮮人、支那人約四千のならず者たちが、共産パルチザンを名乗って、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(現・ニコライエフスク)にいた石田領事以下約七百名余の日本人居留民を虐殺したという事件です。
その様相は、まるで映画バイオハザードでゾンビの大軍に取り囲まれた少数の人間の戦いそのものです。
衆寡敵せず、日本人居留民は極めて残虐な方法で全員殺害されました。
この事件で味をしめた共産パルチザンは、日増しに乱暴狼藉を激化させていきました。
そして満州においても、共産パルチザンによる日本人への迫害や、鉄道への侵害事件などが激化して行ったのです。
最近でも、支那人の増えた北海道では、相次いで鉄道トラブルが続発していますが、当時の満鉄の状況はそんなものではありません。奉天鉄道事務所管内だけでも、年間の30万件を越える鉄道被害が発生していたのです。
電話線を切られたり、線路をはがされたり、枕木を外して焚き木にされたり、挙げ句、日本の守備隊の軍人まで拉致され殺害される事件まで起りました。
日本総領事は、その都度「遺憾、厳重抗議」という「きまり文句」を口にしました。
けれど、そのような言葉だけの「遺憾」が支那人たちになんの効果もないのは、100年前も今もまったく同じです。
ただ、いまと違うのは、その「遺憾」や「厳重抗議」の対象となった案件が、昭和2(1926)年には、未済案件だけで370件も達していたことです。
そのくらい、被害が多発していたのです。
当時満州には、日本陸軍の関東軍が駐屯していました。
けれど、軍は、国の命令がなければ動けません。
命令がない限り、軍は何があっても傍観しているだけです。
ですから満州の日本人会の人たちは怒りました。
ある会議のとき、青年連盟の岡田猛馬が会場で立ち上がり、壇上にいる陸軍の幹部に言ったのが、有名な、
「関東軍は刀の抜き方を忘れたか。腰の軍刀は竹光か!」です。
当時の日本では、軍人はとても尊敬されていました。
にもかかわらず民間人が軍人に対して、これほどまでにきつい言葉を吐いたのは、おそらく日本に武人が置かれるようになった古代の昔から、史上初といえる出来事であったのではないかと思います。
岡田猛馬のこのときの発言を、感情的なヤジのようにいう人もいますが、それは違います。
まさに、血涙を流しながらの発言だったのです。
ですから罵倒された側の軍人の思いも、同じです。
気持ちは痛いほどわかっていたのです。
ところが、です。
昭和2年頃というのは、大正デモクラシーの影響で、日本の思想界、言論界、政界、財界、メディアとも、極端に平和主義で反軍的な時代でした。
日本が安全保障理事国を務めた国際連盟の平和思想や、欧米列強の軍縮の呼びかけなどの影響もあったものと思います。
ですからいまどきの、どこかの国とそっくり同じで、日本の軍隊の存在を、存在自体を悪だと決めつけるような風潮が日本にも蔓延していました。
「むしろ日本の軍傭を縮少し、支那や欧米に対して、萎縮外交をせよ」
「内需経済にこそ、歳費を注ぐべきだ」といった議論が、日本国内の主流をなす言論風潮だったのです。
おそらく、そこにはスパイ工作もあったことでしょう。
実際、そうした日本国内の風潮を、日本の「弱味」とみた英米ソは、その魔の手を支那に差し伸べ、支那人をそそのかし、日本に対する露骨な排日侮日運動が行われ出したのです。
もちろん、軍隊内部からも、また政友会や一部の新聞においても、満蒙の邦人擁護のために日本は軍事力を行使すべし、という主張はありました。もはや平和外交では満州問題は解決しない、正義は力を振るってこそ正義となり、力なき正義は、悪徳に他ならないという主張もあったのです。
けれど国論の主流は、相変わらずでした。
尼港で700余名の邦人の命が、極めて残虐な方法で奪われたという現実があったにも関わらず、腰が定まらない。
まるで、腰抜けのでくのぼうのような平和主義が主流派をなしていたのです。
そんな中で起ったのが、昭和3(1928)年5月3日の「済南事件」でした。
済南というのは、山東省にある商業都市です。
日本人をはじめ、多くの外国人が居住していました。
その斉南で、支那の軍閥同士での、大規模な内戦が起こったのです。
日本は居留民保護のために、同年4月下旬には済南に兵を派遣していました。
派遣軍は城外の商埠地に戦いが波及しないよう、バリケードを築いました。
ところが総司令の蒋介石は、
「治安は国民党軍が確実に確保するので、日本は(バリケードを)撤去して欲しい」と日本に要請してきました。
治安が崩壊しているから、日本は出兵しているのです。
そんな中で、バリケードを取り去るなどということは、軍事的にはあり得ません。
けれど現場は、中央の指示によってこれを受入れ、5月2日に、バリケードを撤去しています。
そして事件が起こったのです。
5月3日、蒋介石の国民党軍の兵士が、満州日報の取次販売店を襲撃して掠奪を働きました。
ここで注意したいのは、昨今の支那の反日デモのような「暴徒」ではなく、当時済南であったのは、武器を持った兵であったということです。武器がなくても、あれだけ暴れ回るのが支那人です。
それが武器を手にしていたら、どうなるか。
暴兵たちは、駆けつけた日本人の巡査にも、多数で暴行を加えました。
知らせを受けた日本陸軍は、急きょ救援部隊を現場に急行させました。
すると支那兵たちは、たちまち遁走し、国民党の兵舎に隠れて、銃撃を加えてきたのです。
やむなく日本軍はこれに応戦しました。
すると今度は、市内のあちこちで、一斉に国民党兵による乱射や掠奪、暴行がはじまったのです。
日本側は、全体の治安維持のために、冷静に国民党軍に停戦を呼びかけました。
現に、そのすこし前には、国民党の総統であり、最高司令官である蒋介石自身の口から、
「済南の治安は国民党が守る、日本人は一切を国民党に任せて、バリケードも解いてよろしい、安全は自分が保証する」と約束しているのです。
ところが白旗を掲げて停戦を呼びかける日本軍の軍使にさえ、支那兵は銃撃を加えてこれを射殺しました。
戦時国際法も何もあったものではありません。
市内全域はたちまちのうちに修羅場と化し、各所で多数の日本人居留民の男女が、暴兵の手で惨殺されたのです。
この事件で、日本人女性が両腕を帯で後手に縛られたうえ、顔面、胸部、乳房に刺創、助骨折損、陰部には棒をさしこまれ惨殺されていた写真などが現在でも残っています。下のものです。
斉南事件の被害者(24歳の女性)
斉南事件の被害者24歳の女性
この事件で被害にあった男性は、両手を縛られ地上を引きずられたうえ、頭骨破砕、小脳露出、眼球突出して殺害されていた者、顔面破砕され、両眼を摘出して石をつめられて殺害された者、頭および顔の皮をはがれたうえ、眼球摘出、内臓露出、陰茎切除して殺害されるなど、およそ人間のすることとは到底思えないような残酷さで12名が、凄惨な殺され方をし、その他約四百余名が暴行、強姦、掠奪によって重軽傷を負う被害を受けました。
当時の外務省公電にある公式文書です。
=======
腹部内臓全部露出せるもの、
女の陰部に割木を挿し込みたるもの、
顔面上部を切り落としたるもの、
右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、
全身腐乱し居れるもの各一、
陰茎を切り落とし・・・(以下略)
======
現場を視察した南京駐在武官佐々木到一中佐の手記です。
======
予は病院において偶然其の死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の 極だった。
手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、或いは滅多切りとなし、
婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
或る者は焼 かれて半ば骸骨となってゐた。
焼残りの白足袋で日本婦人たる事がわかったやうな始末である。
我が軍の激昂は其の極に達した。
======
href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140519/11/srfp/e0/83/j/o0306028212945983155.jpg">
ちなみに上にある女性の写真は、間違いなく済南事件のときの新聞報道写真であり、被害者の女性も日本人、横に立っている男性も間違いなく日本人医師なのですが、いまの中共政府はこの写真を「日本陸軍七三一部隊による人体実験の犠牲者の写真」として流用し、さらに同じ写真を南京事件の支那人被害者として流用し、展示しています。
支那の歴史教科書にも掲載(翻訳版)
中国の歴史教科書のねつ造記事
731部隊記念館では蝋人形になって展示
731部隊記念館に使われたウソ
デタラメもたいがいにしろと言いたくなります。
泥棒や強盗が好き放題に暴れ回っているなら、それが国内なら警察力を強化して防犯と取締にあたるのは当然のことです。
けれど警察というのは、日本国内の日本の国内法が及ぶ範囲でしか活動できません。
事件の起きているのが国外なら、そこに日本の法は適用されませんから、軍隊が治安を維持する他ないのです。
その軍隊の軍事力を、政治的に行使できなくしたらどうなるか。
泥棒や強盗などの凶悪犯の前で、警察官に丸裸になれと言っているのと同じです。
そしてそのことが現実となったのが事件が、済南事件だったのです。
こうした尼港事件から斉南事件までの流れについて、「もし当時の日本が早期に徹底した武力を用いて支那の反日勢力に対して徹底的な弾圧と報復を行っていたら、事態はここまで深刻にならずに済んでいたのではないか」という議論があります。
なぜそういえるのかというと、同じ時期、英米仏蘭独伊などは、支那人に襲われていないからです。
なぜなら彼らは、たったひとりでも自国民にケガ人が出ようものなら、徹底的な反撃と打撃を支那人たちに与える。だからさしもの支那人たちも怖くて手が出せなかったというわけです。
もちろん、それもあろうかと思います。
ただ日本だけが標的にされたのには、もうひとつの裏の事情があります。
日本国内でも、たとえば九州や北海道のご出身の方が東京や千葉、埼玉にたくさんおいでになりますが、これが陸続きの地域となれば、人の往来と移動はさらに激しくなります。
ですから、当時の支那には、たくさんの朝鮮人が仕事を求めて散らばっていました。
その散らばっていた支那は、古来、中華思想の国です。
この中華思想は、支那に古代から存在する一般的思想と思われがちですが、これは違います。
歴代の支那の王朝は、紀元前に成立した前漢以外は、すべて外来王朝です。
たとえば最初に支那を統一した隋は、鮮卑(せんぴ)系の遊牧騎馬民族が建てた王朝です。
そもそも隋という国号の文字は「祭りの肉の余り」という意味の漢字ですから、いかにも肉食の遊牧民らしい国名です。
唐(とう)も「大きな口」という意味で、これまた鮮卑系です。
宋(そう)も皇帝は趙氏の一族で、これまた遊牧民族系です。
元(げん)が、モンゴルの遊牧民王朝であることは、これは有名な話です。
明(みん)は、漢族である安徽省の貧農の末子、朱元璋(しゅげんしょう、漢族)が建国した国ではありますが、この時代、国の北は北元(モンゴル族)と後金(ツングース)によって征圧され、度重なる遊牧民族の侵入で常に国が危機状態に置かれていたわけで、これは統一支那王朝とは言い難く、実際、国土のほとんどを遊牧民族に奪われています。
そして、ここまでの王朝は、すべてそれら外来の皇帝が君臨し、支那の土着民である漢族や、チベットウイグルなどの周辺諸族を、平等に下に従えていた王朝でした。
中華思想といいますが、外来王朝が中華として君臨し、それ以外の諸民族は、すべて下、というのがそれまでの中華思想であったわけです。
ところがこの思想に変更を加えたのが、清(しん)王朝でした。
清(しん)は、女真族(満州族)が建てた王朝ですが、彼らは武力が劣ったため、漢族を支配し、それ以外の諸族を、すべて漢族の下においたのです。
つまり、女真族>漢族>それ以外の諸族、というように、民族に序列をつけたわけです。
そしてその清王朝が滅んだとき、清王朝によって自尊心を植え付けられた漢族が、他の民族よりも「俺たちは上だ」と考え始めました。これが清朝以降の中華思想です。
ところがその清朝が滅ぶ少し前の1900年(明治33年)に、義和団事件が起こりました。
義和団というのは、一種の宗教団体で、その宗教を信じれば、斬られても突かれても撃たれても死なないという、おかしな信仰です。
そしてその信者たち約20万人が、北京にいる11カ国の外国人の外国人特区を襲撃したのです。
この襲撃は、日本の柴五郎中佐(最終階級陸軍大将)などの奮戦によって、なんとか撃退し、11カ国は当時の清朝政府との間で「北京議定書」を交わし、治安維持と居留民保護のために、支那への出兵を清朝政府に認めさせました。
そしてこの北京議定書の定めに従って、日本も現代風にいうならば、いわばPKO部隊として支那への派兵をしていたのです。
ところが、平和を願う支那人たちや、諸外国の思いと裏腹に、支那大陸では、当時日韓併合によって「日本人」となった朝鮮人たちが、「ウリたちは世界最強の日本人だ」と言い放ち、支那大陸のあちこちで乱暴狼藉を働きました。
もともと支那人にせよ、朝鮮人にせよ、儒教国です。そして儒教というのは、なによりも上下関係を重んじます。そして上に立ったら、下に対してはありとあらゆる収奪(強姦や暴行を含む)が許されると考えるのが、彼らにとっての儒教です(日本の平和的な儒教思想とは異なります)。
するとここにおかしな対立が生まれました。
支那にいる漢族は、清朝以来の中華思想に基づき、自分たちが世界最高の民族であると思っています。
ところが、日韓併合になる前まで、その漢族の下で、まるで南北戦争前の米国の黒人奴隷さながらに人権などなく、ただ野蛮人としてこき使われていただけの朝鮮族が、こんどは「ウリたちは日本人だ。世界最強だ。お前たち漢族よりも偉いんだ」と言って、支那人を襲撃し、財物を奪い、女性に対して次々と強姦をはたらき、証拠隠滅のために殺人を犯し始めたのです。
もちろん、そのようなことをするのは、ごく一部の不逞朝鮮人でしかありませんし、大多数の朝鮮人たちは、まじめに普通に暮らそうとしていたのが事実です。
しかし、国際社会では、たったひとりでも、おかしな行動をすれば、「○○人は」と言われてしまうものです。
まして、そのおかしな行動が、強姦や殺人などの凶悪犯であればなおのことです。
漢族たちも、こうした犯罪に対して、手をこまねいていたわけではありません。
彼らは、徒党を組んで犯人のあぶりだしをしました。
ところが、悪事が露見して、ヤバイと感じた不逞朝鮮人は、その度ごとに、「ウリは日本人ある。支那人に襲われて危険ある」といって、日本の軍隊に保護を求めてきました。
日本軍としては、形式上は彼らは「日本人」ですから、保護せざるを得ません。
そして支那人たちの言い分も聞くのだけれど、朝鮮人と支那人では、言っている言い分がまるで違っている。
日本軍としては、とりあえず朝鮮人の身柄を保護し、支那人たちに引きさがってもらうしかありませんでした。
しかし、犯罪による被害にあったという恨みは、決して曖昧にはならないものです。
実際、自分の妻や娘が殺されたとあっては、絶対に許せないと思うのは、これまた万国共通の人間としての本能です。そして恨みはますますつのる。
そしてそういう対立が生まれているところに、さらに対立をあおり、火に油を注いで事態を混乱させるのは、まさに共産主義者の常套手段です。
対立をあおられた被害者らは、共産主義パルチザンとなって、徒党を組み日本軍を襲撃し、満鉄への破壊工作を繰り返しました。
そしてそうした行動は、だんだん大きな戦略的な動きとなり、そしてついに大惨事を招くことになったのが、尼港事件であり、この済南事件であり、その後に起こる通州事件であったわけです。
ベトナム戦争でも、韓国軍は出動し、軍事的にはほとんど貢献しなかった一方で、銃を突きつけて村人たちを皆殺しにしたり、女性を陵辱しました。
ベトナム戦争は、北ベトナムという資本力も乏しく、国土も狭く、しかも大陸内の陸続きの国が、南ベトナムと世界最強の名高い米軍等を相手に、ついに勝利した戦いです。
世界中、共産軍というのは、相手が強ければすぐに逃げ出す弱兵なのに、なぜ、北ベトナムだけがそこまで強かったのか。
自分の女房や子供を、敵兵によって陵辱され殺されたなら、男なら誰だって命の限り戦います。たとえ両手両足がなくなっても、噛み付いてでも戦い抜く。
韓国人との混血児であるベトナムのライダハンは、釜山日報によれば3万人とのことですが、強姦され妊娠、出産する確立が10分の1と考えると、他にも陵辱され殺害された女性たちが数多くいたことを考えれば、いったいどれだけの数の女性たちが犠牲になったのか、想像を絶するものがあります。
だから北ベトナムの男たちは戦いました。
枯れ葉剤を巻かれて、息ができなくても、どんなに苦しくても戦い続けました。
思想の問題ではないのです。悲しみが結果としてどこまでも戦うという道を選び、そして北ベトナムに勝利を招いたのです。
その意味では、米国も敗戦の憂き目を見ましたが、ある意味、朝鮮族の被害者であったということができます。
米国のペンタゴンは、いまも韓国人をたいへんに嫌っているといいますが、さもありなんと思います。
韓国民の全て、あるいは朝鮮族の全てがこのような悪党とはいいません。
けれども、そういう悪事をはたらく者が、ひとりでもいれば、そこに恨みが残り、その恨みは増殖するのです。
ですから要するに、済南事件においても、通州事件においても、その原因をたどれば、不逞朝鮮人に行き当たります。
そしてそのことが、結果として、彼ら朝鮮族を庇護した日本軍への怨嗟となり、漢族の日本人への恨みとなって、支那に派兵していた11カ国の中で、日本だけが標的になるという事態を招きました。
済南事件は、日本人が、忘れてはならない事件だと思います。
~~~~~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%8D%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
済南事件ウィキペディア

2014-05-18 09:16:47
テーマ:日本の歴史
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2249.html#more より転載一部加工
斉南事件
済南事件0503-1
憲法記念日ですが、いい日を選んだものです。なにせゴ(5)ミ(3)の日です。
その憲法記念日以上に、日本人が絶対に忘れてはならないのが、昭和3(1928)年5月3日に起きた「済南事件(さいなんじけん)」です。
今日は、この事件と、その背景を振り返ってみたいと思います。
少し時をさかのぼります。
大正6(1917)年にロシア革命が起こると、世界を共産主義支配下に置こうとするいわゆる共産主義革命の嵐が世界を覆いました。
この影響で支那では、共産主義者でもなんでもないならず者たちが、共産主義革命を標榜して徒党を組み、あちこちで乱暴狼藉をはたらくようになりました。
なにせ、共産主義に共鳴するという体裁をとりさえすれば、背後にいるソ連が、湯水のように銃や実弾やカネを提供してくれるのです。ならず者たちにとって、これほど都合のよいことはありません。
これによって、普通に生活をしようとする、支那にいる多くの庶民が犠牲になりました。
当時の支那は、明治44(1912)年に清王朝が倒れたばかりです。
同年1月1日に、南京で孫文(そんぶん)が中華民国臨時政府を樹立し、臨時大総統職に就任するのだけれど、軍事力の弱い孫文は、結果として北京軍閥の長である袁世凱(えんせいがい)に大統領職を譲り、大正5(1916)年には、その袁世凱が、中華帝国を名乗り、初代皇帝に即位しています。
ところがその即位も、内外から総スカンを食い、失意のうちに袁世凱が死亡すると、その後の支那は長く続く内乱の時代にはいってたのです。
こうした中で、大正9(1920)年に起こったのが「尼港事件(にこうじけん)」です。
「尼港事件」は、ロシアのトリャピーチン率いる、ロシア人、朝鮮人、支那人約四千のならず者たちが、共産パルチザンを名乗って、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(現・ニコライエフスク)にいた石田領事以下約七百名余の日本人居留民を虐殺したという事件です。
その様相は、まるで映画バイオハザードでゾンビの大軍に取り囲まれた少数の人間の戦いそのものです。
衆寡敵せず、日本人居留民は極めて残虐な方法で全員殺害されました。
この事件で味をしめた共産パルチザンは、日増しに乱暴狼藉を激化させていきました。
そして満州においても、共産パルチザンによる日本人への迫害や、鉄道への侵害事件などが激化して行ったのです。
最近でも、支那人の増えた北海道では、相次いで鉄道トラブルが続発していますが、当時の満鉄の状況はそんなものではありません。奉天鉄道事務所管内だけでも、年間の30万件を越える鉄道被害が発生していたのです。
電話線を切られたり、線路をはがされたり、枕木を外して焚き木にされたり、挙げ句、日本の守備隊の軍人まで拉致され殺害される事件まで起りました。
日本総領事は、その都度「遺憾、厳重抗議」という「きまり文句」を口にしました。
けれど、そのような言葉だけの「遺憾」が支那人たちになんの効果もないのは、100年前も今もまったく同じです。
ただ、いまと違うのは、その「遺憾」や「厳重抗議」の対象となった案件が、昭和2(1926)年には、未済案件だけで370件も達していたことです。
そのくらい、被害が多発していたのです。
当時満州には、日本陸軍の関東軍が駐屯していました。
けれど、軍は、国の命令がなければ動けません。
命令がない限り、軍は何があっても傍観しているだけです。
ですから満州の日本人会の人たちは怒りました。
ある会議のとき、青年連盟の岡田猛馬が会場で立ち上がり、壇上にいる陸軍の幹部に言ったのが、有名な、
「関東軍は刀の抜き方を忘れたか。腰の軍刀は竹光か!」です。
当時の日本では、軍人はとても尊敬されていました。
にもかかわらず民間人が軍人に対して、これほどまでにきつい言葉を吐いたのは、おそらく日本に武人が置かれるようになった古代の昔から、史上初といえる出来事であったのではないかと思います。
岡田猛馬のこのときの発言を、感情的なヤジのようにいう人もいますが、それは違います。
まさに、血涙を流しながらの発言だったのです。
ですから罵倒された側の軍人の思いも、同じです。
気持ちは痛いほどわかっていたのです。
ところが、です。
昭和2年頃というのは、大正デモクラシーの影響で、日本の思想界、言論界、政界、財界、メディアとも、極端に平和主義で反軍的な時代でした。
日本が安全保障理事国を務めた国際連盟の平和思想や、欧米列強の軍縮の呼びかけなどの影響もあったものと思います。
ですからいまどきの、どこかの国とそっくり同じで、日本の軍隊の存在を、存在自体を悪だと決めつけるような風潮が日本にも蔓延していました。
「むしろ日本の軍傭を縮少し、支那や欧米に対して、萎縮外交をせよ」
「内需経済にこそ、歳費を注ぐべきだ」といった議論が、日本国内の主流をなす言論風潮だったのです。
おそらく、そこにはスパイ工作もあったことでしょう。
実際、そうした日本国内の風潮を、日本の「弱味」とみた英米ソは、その魔の手を支那に差し伸べ、支那人をそそのかし、日本に対する露骨な排日侮日運動が行われ出したのです。
もちろん、軍隊内部からも、また政友会や一部の新聞においても、満蒙の邦人擁護のために日本は軍事力を行使すべし、という主張はありました。もはや平和外交では満州問題は解決しない、正義は力を振るってこそ正義となり、力なき正義は、悪徳に他ならないという主張もあったのです。
けれど国論の主流は、相変わらずでした。
尼港で700余名の邦人の命が、極めて残虐な方法で奪われたという現実があったにも関わらず、腰が定まらない。
まるで、腰抜けのでくのぼうのような平和主義が主流派をなしていたのです。
そんな中で起ったのが、昭和3(1928)年5月3日の「済南事件」でした。
済南というのは、山東省にある商業都市です。
日本人をはじめ、多くの外国人が居住していました。
その斉南で、支那の軍閥同士での、大規模な内戦が起こったのです。
日本は居留民保護のために、同年4月下旬には済南に兵を派遣していました。
派遣軍は城外の商埠地に戦いが波及しないよう、バリケードを築いました。
ところが総司令の蒋介石は、
「治安は国民党軍が確実に確保するので、日本は(バリケードを)撤去して欲しい」と日本に要請してきました。
治安が崩壊しているから、日本は出兵しているのです。
そんな中で、バリケードを取り去るなどということは、軍事的にはあり得ません。
けれど現場は、中央の指示によってこれを受入れ、5月2日に、バリケードを撤去しています。
そして事件が起こったのです。
5月3日、蒋介石の国民党軍の兵士が、満州日報の取次販売店を襲撃して掠奪を働きました。
ここで注意したいのは、昨今の支那の反日デモのような「暴徒」ではなく、当時済南であったのは、武器を持った兵であったということです。武器がなくても、あれだけ暴れ回るのが支那人です。
それが武器を手にしていたら、どうなるか。
暴兵たちは、駆けつけた日本人の巡査にも、多数で暴行を加えました。
知らせを受けた日本陸軍は、急きょ救援部隊を現場に急行させました。
すると支那兵たちは、たちまち遁走し、国民党の兵舎に隠れて、銃撃を加えてきたのです。
やむなく日本軍はこれに応戦しました。
すると今度は、市内のあちこちで、一斉に国民党兵による乱射や掠奪、暴行がはじまったのです。
日本側は、全体の治安維持のために、冷静に国民党軍に停戦を呼びかけました。
現に、そのすこし前には、国民党の総統であり、最高司令官である蒋介石自身の口から、
「済南の治安は国民党が守る、日本人は一切を国民党に任せて、バリケードも解いてよろしい、安全は自分が保証する」と約束しているのです。
ところが白旗を掲げて停戦を呼びかける日本軍の軍使にさえ、支那兵は銃撃を加えてこれを射殺しました。
戦時国際法も何もあったものではありません。
市内全域はたちまちのうちに修羅場と化し、各所で多数の日本人居留民の男女が、暴兵の手で惨殺されたのです。
この事件で、日本人女性が両腕を帯で後手に縛られたうえ、顔面、胸部、乳房に刺創、助骨折損、陰部には棒をさしこまれ惨殺されていた写真などが現在でも残っています。下のものです。
斉南事件の被害者(24歳の女性)
斉南事件の被害者24歳の女性
この事件で被害にあった男性は、両手を縛られ地上を引きずられたうえ、頭骨破砕、小脳露出、眼球突出して殺害されていた者、顔面破砕され、両眼を摘出して石をつめられて殺害された者、頭および顔の皮をはがれたうえ、眼球摘出、内臓露出、陰茎切除して殺害されるなど、およそ人間のすることとは到底思えないような残酷さで12名が、凄惨な殺され方をし、その他約四百余名が暴行、強姦、掠奪によって重軽傷を負う被害を受けました。
当時の外務省公電にある公式文書です。
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腹部内臓全部露出せるもの、
女の陰部に割木を挿し込みたるもの、
顔面上部を切り落としたるもの、
右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、
全身腐乱し居れるもの各一、
陰茎を切り落とし・・・(以下略)
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現場を視察した南京駐在武官佐々木到一中佐の手記です。
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予は病院において偶然其の死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の 極だった。
手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、或いは滅多切りとなし、
婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
或る者は焼 かれて半ば骸骨となってゐた。
焼残りの白足袋で日本婦人たる事がわかったやうな始末である。
我が軍の激昂は其の極に達した。
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href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140519/11/srfp/e0/83/j/o0306028212945983155.jpg">

ちなみに上にある女性の写真は、間違いなく済南事件のときの新聞報道写真であり、被害者の女性も日本人、横に立っている男性も間違いなく日本人医師なのですが、いまの中共政府はこの写真を「日本陸軍七三一部隊による人体実験の犠牲者の写真」として流用し、さらに同じ写真を南京事件の支那人被害者として流用し、展示しています。
支那の歴史教科書にも掲載(翻訳版)
中国の歴史教科書のねつ造記事
731部隊記念館では蝋人形になって展示
731部隊記念館に使われたウソ
デタラメもたいがいにしろと言いたくなります。
泥棒や強盗が好き放題に暴れ回っているなら、それが国内なら警察力を強化して防犯と取締にあたるのは当然のことです。
けれど警察というのは、日本国内の日本の国内法が及ぶ範囲でしか活動できません。
事件の起きているのが国外なら、そこに日本の法は適用されませんから、軍隊が治安を維持する他ないのです。
その軍隊の軍事力を、政治的に行使できなくしたらどうなるか。
泥棒や強盗などの凶悪犯の前で、警察官に丸裸になれと言っているのと同じです。
そしてそのことが現実となったのが事件が、済南事件だったのです。
こうした尼港事件から斉南事件までの流れについて、「もし当時の日本が早期に徹底した武力を用いて支那の反日勢力に対して徹底的な弾圧と報復を行っていたら、事態はここまで深刻にならずに済んでいたのではないか」という議論があります。
なぜそういえるのかというと、同じ時期、英米仏蘭独伊などは、支那人に襲われていないからです。
なぜなら彼らは、たったひとりでも自国民にケガ人が出ようものなら、徹底的な反撃と打撃を支那人たちに与える。だからさしもの支那人たちも怖くて手が出せなかったというわけです。
もちろん、それもあろうかと思います。
ただ日本だけが標的にされたのには、もうひとつの裏の事情があります。
日本国内でも、たとえば九州や北海道のご出身の方が東京や千葉、埼玉にたくさんおいでになりますが、これが陸続きの地域となれば、人の往来と移動はさらに激しくなります。
ですから、当時の支那には、たくさんの朝鮮人が仕事を求めて散らばっていました。
その散らばっていた支那は、古来、中華思想の国です。
この中華思想は、支那に古代から存在する一般的思想と思われがちですが、これは違います。
歴代の支那の王朝は、紀元前に成立した前漢以外は、すべて外来王朝です。
たとえば最初に支那を統一した隋は、鮮卑(せんぴ)系の遊牧騎馬民族が建てた王朝です。
そもそも隋という国号の文字は「祭りの肉の余り」という意味の漢字ですから、いかにも肉食の遊牧民らしい国名です。
唐(とう)も「大きな口」という意味で、これまた鮮卑系です。
宋(そう)も皇帝は趙氏の一族で、これまた遊牧民族系です。
元(げん)が、モンゴルの遊牧民王朝であることは、これは有名な話です。
明(みん)は、漢族である安徽省の貧農の末子、朱元璋(しゅげんしょう、漢族)が建国した国ではありますが、この時代、国の北は北元(モンゴル族)と後金(ツングース)によって征圧され、度重なる遊牧民族の侵入で常に国が危機状態に置かれていたわけで、これは統一支那王朝とは言い難く、実際、国土のほとんどを遊牧民族に奪われています。
そして、ここまでの王朝は、すべてそれら外来の皇帝が君臨し、支那の土着民である漢族や、チベットウイグルなどの周辺諸族を、平等に下に従えていた王朝でした。
中華思想といいますが、外来王朝が中華として君臨し、それ以外の諸民族は、すべて下、というのがそれまでの中華思想であったわけです。
ところがこの思想に変更を加えたのが、清(しん)王朝でした。
清(しん)は、女真族(満州族)が建てた王朝ですが、彼らは武力が劣ったため、漢族を支配し、それ以外の諸族を、すべて漢族の下においたのです。
つまり、女真族>漢族>それ以外の諸族、というように、民族に序列をつけたわけです。
そしてその清王朝が滅んだとき、清王朝によって自尊心を植え付けられた漢族が、他の民族よりも「俺たちは上だ」と考え始めました。これが清朝以降の中華思想です。
ところがその清朝が滅ぶ少し前の1900年(明治33年)に、義和団事件が起こりました。
義和団というのは、一種の宗教団体で、その宗教を信じれば、斬られても突かれても撃たれても死なないという、おかしな信仰です。
そしてその信者たち約20万人が、北京にいる11カ国の外国人の外国人特区を襲撃したのです。
この襲撃は、日本の柴五郎中佐(最終階級陸軍大将)などの奮戦によって、なんとか撃退し、11カ国は当時の清朝政府との間で「北京議定書」を交わし、治安維持と居留民保護のために、支那への出兵を清朝政府に認めさせました。
そしてこの北京議定書の定めに従って、日本も現代風にいうならば、いわばPKO部隊として支那への派兵をしていたのです。
ところが、平和を願う支那人たちや、諸外国の思いと裏腹に、支那大陸では、当時日韓併合によって「日本人」となった朝鮮人たちが、「ウリたちは世界最強の日本人だ」と言い放ち、支那大陸のあちこちで乱暴狼藉を働きました。
もともと支那人にせよ、朝鮮人にせよ、儒教国です。そして儒教というのは、なによりも上下関係を重んじます。そして上に立ったら、下に対してはありとあらゆる収奪(強姦や暴行を含む)が許されると考えるのが、彼らにとっての儒教です(日本の平和的な儒教思想とは異なります)。
するとここにおかしな対立が生まれました。
支那にいる漢族は、清朝以来の中華思想に基づき、自分たちが世界最高の民族であると思っています。
ところが、日韓併合になる前まで、その漢族の下で、まるで南北戦争前の米国の黒人奴隷さながらに人権などなく、ただ野蛮人としてこき使われていただけの朝鮮族が、こんどは「ウリたちは日本人だ。世界最強だ。お前たち漢族よりも偉いんだ」と言って、支那人を襲撃し、財物を奪い、女性に対して次々と強姦をはたらき、証拠隠滅のために殺人を犯し始めたのです。
もちろん、そのようなことをするのは、ごく一部の不逞朝鮮人でしかありませんし、大多数の朝鮮人たちは、まじめに普通に暮らそうとしていたのが事実です。
しかし、国際社会では、たったひとりでも、おかしな行動をすれば、「○○人は」と言われてしまうものです。
まして、そのおかしな行動が、強姦や殺人などの凶悪犯であればなおのことです。
漢族たちも、こうした犯罪に対して、手をこまねいていたわけではありません。
彼らは、徒党を組んで犯人のあぶりだしをしました。
ところが、悪事が露見して、ヤバイと感じた不逞朝鮮人は、その度ごとに、「ウリは日本人ある。支那人に襲われて危険ある」といって、日本の軍隊に保護を求めてきました。
日本軍としては、形式上は彼らは「日本人」ですから、保護せざるを得ません。
そして支那人たちの言い分も聞くのだけれど、朝鮮人と支那人では、言っている言い分がまるで違っている。
日本軍としては、とりあえず朝鮮人の身柄を保護し、支那人たちに引きさがってもらうしかありませんでした。
しかし、犯罪による被害にあったという恨みは、決して曖昧にはならないものです。
実際、自分の妻や娘が殺されたとあっては、絶対に許せないと思うのは、これまた万国共通の人間としての本能です。そして恨みはますますつのる。
そしてそういう対立が生まれているところに、さらに対立をあおり、火に油を注いで事態を混乱させるのは、まさに共産主義者の常套手段です。
対立をあおられた被害者らは、共産主義パルチザンとなって、徒党を組み日本軍を襲撃し、満鉄への破壊工作を繰り返しました。
そしてそうした行動は、だんだん大きな戦略的な動きとなり、そしてついに大惨事を招くことになったのが、尼港事件であり、この済南事件であり、その後に起こる通州事件であったわけです。
ベトナム戦争でも、韓国軍は出動し、軍事的にはほとんど貢献しなかった一方で、銃を突きつけて村人たちを皆殺しにしたり、女性を陵辱しました。
ベトナム戦争は、北ベトナムという資本力も乏しく、国土も狭く、しかも大陸内の陸続きの国が、南ベトナムと世界最強の名高い米軍等を相手に、ついに勝利した戦いです。
世界中、共産軍というのは、相手が強ければすぐに逃げ出す弱兵なのに、なぜ、北ベトナムだけがそこまで強かったのか。
自分の女房や子供を、敵兵によって陵辱され殺されたなら、男なら誰だって命の限り戦います。たとえ両手両足がなくなっても、噛み付いてでも戦い抜く。
韓国人との混血児であるベトナムのライダハンは、釜山日報によれば3万人とのことですが、強姦され妊娠、出産する確立が10分の1と考えると、他にも陵辱され殺害された女性たちが数多くいたことを考えれば、いったいどれだけの数の女性たちが犠牲になったのか、想像を絶するものがあります。
だから北ベトナムの男たちは戦いました。
枯れ葉剤を巻かれて、息ができなくても、どんなに苦しくても戦い続けました。
思想の問題ではないのです。悲しみが結果としてどこまでも戦うという道を選び、そして北ベトナムに勝利を招いたのです。
その意味では、米国も敗戦の憂き目を見ましたが、ある意味、朝鮮族の被害者であったということができます。
米国のペンタゴンは、いまも韓国人をたいへんに嫌っているといいますが、さもありなんと思います。
韓国民の全て、あるいは朝鮮族の全てがこのような悪党とはいいません。
けれども、そういう悪事をはたらく者が、ひとりでもいれば、そこに恨みが残り、その恨みは増殖するのです。
ですから要するに、済南事件においても、通州事件においても、その原因をたどれば、不逞朝鮮人に行き当たります。
そしてそのことが、結果として、彼ら朝鮮族を庇護した日本軍への怨嗟となり、漢族の日本人への恨みとなって、支那に派兵していた11カ国の中で、日本だけが標的になるという事態を招きました。
済南事件は、日本人が、忘れてはならない事件だと思います。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%8D%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
済南事件ウィキペディア


