2012年9月6日 - 馬術
浅川&ロザード、フリースタイルを終えて
9月4日、ロンドンのグリニッジパークで馬術の自由演技G2とG1bが行われた。
自由演技では規定の演技をアレンジし、独自に選んだ音楽に合わせて人馬が舞う。
15人馬中12人馬目。曲が始まり、浅川とロザードが入場。小休止に合わせて停まり、あいさつをする。
速いテンポと遅いテンポが交互に入れ替わる音楽に、人馬とも見事に合わせて演技する。曲のテンポが変わるときの馬の反応も良好。
音楽が終了し、中央に戻ってあいさつをして終わる。
競技結果は 得点 64.250%だった。
「音楽にも乗れて、ロザードもいい演技ができたと思う。もう思い残すことはない」浅川信正は、ミックスゾーンで微笑んだ。9月3日、馬術競技1bの最後にあたるフリースタイルの演技を終え、浅川は引退宣言した。北京からロンドンまで、ちょうど4年間になる挑戦だった。
障害馬術の世界でキャリアをもっていた浅川は、脊椎損傷で車椅子となってから、2008年・北京でパラリンピック馬術を観戦。馬場馬術への挑戦を決めた。しかし浅川の障害は重度すぎ、馬に乗れないと判断された。それでもあきらめず、クラシファイアーが日本を訪れたとき、騎乗できることを証明し「グレード1b」のクラスをもらうことができた。
ロンドンへの中間年に行なわれた、2010年・オールテックFEI世界選手権(ケンタッキー)は、浅川を待っていたかのようだった。「パラエクエストリアン(障害者馬術)」が、一般種目の一つに組み込まれ、他の種目同様に扱われた最初の大会だった。障害のある馬術選手に世界が門戸を開いた年、浅川はここでG1b自由演技7位(17人馬中)に入り、パラリンピックへの自信がついたという。
浅川は自ら馬術クラブを経営し、選手の育成にも取り組んでいる。そんな浅川にとって、ロンドンは「神様からの贈り物」と思えたようだ。つまり、健常者の自分がなしえなかった世界の舞台へ障害をもつことで立つことができたと、浅川は考えている。
<馬の調達>
パートナーの馬ロザードは、パラリンピックのために新たに購入した。ケンタッキーをともに戦った同じオランダ種のユニコと比べて、ロザードは、大きな大会でも十分耐えられると判断したためだ。
パラリンピック馬術で、馬の調達が大きな課題になっているというのがこれまでパラフォトでも伝えてきたことだが、浅川の状況はまったく違っていた。すでにベストな馬を調達する術をもっており、それは、当然のことのように行なわれた。浅川に続く選手がいれば、彼のアドバイスを得てチャレンジできるだろう。しかしこのように競技に参加することができる者は日本では限られている。経済的な事情が大きいこともあるが、イギリス人のようにこの競技を楽しみたいなら、それは、馬とふれあう機会をもっともっと増やしていかなければならないだろう。
なお、1b金メダルはペポ・プッチ&ファインフィーリング(オーストリア)79.150、銀はカチャ。カージャライネン&ロージー(フィンランド)74.250 銅はリー・ピアソン&ジェントルマン(イギリス)74.200だった。
*グレード(G)とは、障害の度合いにより選手をグループ分けしたもの。最重度のグレードIaに始まり、全部で5つのグレードがある。
クラスの詳細はこちら
http://www.jrad.jp/p20/p22.html
(写真:森正)
(佐々木延江)