経営戦略論を考えるためのビジネス本書評
Amebaでブログを始めよう!

『取り逃がした未来―世界初のパソコン発明をふいにしたゼロックスの物語』

戦略とは、企業や事業の「あるべき姿としての構想」と「そこに至るまでのシナリオ」を描いたものである。   「構想」とは、企業レベルでいえばドメイン(企業の生存領域)や複数の事業をもつ場合の編成の仕方を描いたものや、事業レベルでいえば対象とする顧客や競争相手の範囲、あるいは自社の業務活動分野を描いたものをいう。

 「シナリオ」とは、構想を実現するためのオプションを選択することであり、たとえば複数事業の編成を描いた際に、自力で達成するのか、M&Aによって実現するのかを選択する場合などがそれに当たる。


実際に「実現された戦略」が、構想とシナリオによって「意図した戦略」の通りにいかないことは少なからずあることである。企業はそこから「学習」をして、また「新たな戦略」を策定していくのである。

 戦略が意図した通りに運ばないことはひとつの失敗であるが、戦略の失敗には別の意味のものがある。「シナリオの段階での失敗」のことである。それは、ある戦略オプションをシナリオに組み込むことから除外したために、大きな成果を逃してしまったケースのことを指す。


以下のケースはその典型的なモデルである。


Douglas K. Smith and Robert C. Alexander, FUMBLING THE FUTURE: How Xerox Invented, Then Ignored, the First Personal Computer(山崎賢治訳『取り逃がした未来―世界初のパソコン発明をふいにしたゼロックスの物語』)

日本評論社,2005年1月20日

  通常の視聴者はもちろん、パソコン利用者にとってすら、「ゼロックス」という企業名をパソコン業界と結びつけて考えることはむずかしいはずだ。世界で最初のパソコンを発明し、一九七九年にコマーシャルでそれを宣伝した実績をもってしても、人々が「ゼロックス」と聞いて思い浮かべるのは、相変わらず「コピー」だろう。歴史に「もし」はないが、その一九七九年のコマーシャルが成功していたら、「ゼロックス」という響きには「コピー機」という響き以上のものがあっただろう。―中略―  しかし、パーソナルコンピューティングに対するビジョンにしても事業化にしても、ゼロックスは開拓者として認知されなかったし、商業的にも成功しなかった。そして、それらはIBMやアップルのものとなった。―中略―  しかし、テレビコマーシャルを何回か流したにもかかわらず、一九七九年、ゼロックスはアルトをマーケティングしないことに決めた。