最近、いろいろな分野で活躍している方の話を、直接聴かせていただく機会に恵まれている。もっとも、誰一人として著名人と呼ばれる人はいないし、その道の権威でもない。ましてやインターネットで名前を検索しても、その人を見つけ出すのは困難か、もしかしたらインターネット上では存在していないかもしれない。でも、その活躍ぶりは、まぶしく、時に見せる苦しい表情でさえ美しく、その思いや願いは太陽の光より熱く、その動きは、インターネットの拡散など足元にも及ばないほど速く力強く、そして何より正しく誠実でまっすぐだ。
何だろうか?私が無意味にインターネット上をさまようからだろうか?インターネットでは、誠実で力強くしなやかな幹が見当たらない。誰もが誰かのコピーのように見えて仕方がないのだ(自分も含めて)。だんだんとインターネットもテレビのようになっていくのだろうか?嘘とまではいわないが、なにか現実離れしているような…「あっ。あれはテレビだから…」とか「あっ。あれはインターネットだから…」とか。
本当の声は、集まってこない。「この指とまれ!」と声をあげたところで、集まるのは気になる人の声だけ。テレビにはテレビの、インターネットにはインターネットの、集まりやすい人たちの声だけが、さも大多数かのように取り上げられる。
でも、ひとりひとり、ひざを突き合わせて話を聴いてみると、その【熱】はスゴイ!。そして、その【熱】を多くの人に伝えたいのだが、何かを間に入れる伝え方では伝わらない。
まだまだ、インターネットの時代は続くのだろう。でも、その時代が続くのならば、生の声を自ら拾いに西へ東へ足を運び、聴いたことを自分のものにするまでしっかりかみ砕き、嫌というほど反芻し、すべてを吸収して生まれ変わった自分が、自分の【行動】で多くの人に伝えていく…いや、自然にじわじわ伝わっていくことこそ、大切であり続けるはずだ。
この記事を含めて、世の中「聞いて!聞いて!」のオンパレードだ。しかし「聴かせて!聴かせて!」はあまり見かけない。
自分らしさとか、個性とか、それは、多くの人のところに自ら出向き、その【生の声】を山のように聴くことで、おぼろげながら見えてくるものだと私は思う。
さぁ、明日もいろいろな場面で、いろいろな生の声に触れる。それは朝の妻子との「おはよう」に始まり、様々な人の声に触れ、寝る前の妻子との「おやすみ」に終わる。
散々書き散らしておいてこういうのもおかしいが、皆さんの熱き思いと【生の声】を拾い、自らの【行動】でじわじわ何かを伝えられる人間になりたいと思う。
また、このうざい記事がひとつ、幹のないインターネットの中につながれた。よくもわるくも。

