きょうでぴゅあが亡くなって
ちょうど二ヶ月が経ったね。
未熟児で生まれたぴゅあちゃんは
3ヶ月経ってもまだ手のひらサイズで
1キロぐらいしかなかったね❤︎
来たときのぴゅあちゃんは
初めサークルから出てくることすら
出来んかったのに
いつのまにかうちのリビングは
ぴゅあちゃんのお部屋になったね❤︎
良いおともだちになってくれました❤︎
寂しがり屋のぴゅあのために
12年間テレビはずっと付けっぱなし、
お留守番のあいだも冷暖房完備の
お部屋で過ごしたおかげで
毛の種類がロングやったぴゅあの毛は
一生短いままでした❤︎笑
初めて見るこんな広い芝生で
一生懸命走ってたね❤︎
ほんでこの後椎間板ヘルニアに
なりました❤︎笑
下半身付随で歩ける可能性も
ほとんどないてゆわれたぐらいやのに
手術もがんばって乗り越えて
げんきに帰ってきてくれて
ありがとう。
それからうちの一階のフローリングは
ぴゅあが滑らへんように
廊下も全面じゅうたんに変わりました❤︎
冬になったらストーブは
さゆが寝るときは
ぜったい横に来ていっしょに寝たね❤︎
いたずらもいっぱいしました❤︎
ほんで悪いことしたの隠れ場所は
イスの下❤︎笑
ぴゅあちゃんはほんとうに
だいじな妹❤︎
そして、ぴゅあちゃんは完全に
輪嶋家の三女やったね❤︎
そんなぴゅあも12歳❤︎
2014.12.30
年末実家に帰ったさゆと
げんきにボール遊びもしたし、
ごはんもぱくぱくたべたね❤︎
ぴゅあしんどかったね。
元旦に痙攣おこして
あしたまで生きれる確立は二割、
あしたまで生きても
手術を乗り越えられる確立は五割、
そこから生き残れる確立は一割。
でも手術しなかったら
生きれる確立はゼロ。
正直、三キロしかなくて
ごはんも食べれてないぴゅあを
入院させて手術させるのは
ほんとに心苦しかったけど、
可能性があるならとおもって
手術するて選択したよ。
次の日、意識もどって
さゆらが来たらいつもみたいに
手の上に顎のせて甘えてくるぴゅあが
ほんとうにかわいくて、
ぜったいぴゅあならがんばれる
てみんなおもってたよ❤︎
て言われて手術室まではいったときは
もうがんばらなくていいよ
ておもったのに、
そこから一人でがんばって
麻酔から覚めてくれたね❤︎
きっとぴゅあちゃんも
もっと家族といっしょにおりたい
ておもって
がんばってくれたんやんね❤︎
ほんとによくがんばった❤︎
次の日、またかわいいお顔を
見せてくれてありがとう❤︎
がんばって
生きててくれてありがとう❤︎
この日が最期で
次の日会ったぴゅあちゃんは
もう息はしてなかったね。
でも、最期のぴゅあちゃんは
わるかった子宮も手術して
ぜーんぶ取れたし
体の中はきれいきれい❤︎
聞こえにくかった耳も
見えにくかったお目目も
動かなかった左足も
これでぜーんぶ元通りになって
いっぱいげんきに遊べるね❤︎
12年間さゆらに
幸せいっぱいくれて
ほんとうにありがとう❤︎
ぴゅあちゃんはうちの
だいじなだいじな三女❤︎
もっともっといっしょに
おりたかったけど、
これがぴゅあちゃんの寿命で、
最期までがんばって生きてくれたことが
家族全員のしあわせです❤︎
ぴゅあちゃんが居なくなった我が家は
ほんとーうにさみしいけど、
いまでもぴゅあちゃんが居てたときと
なにひとつ変わらへん生活❤︎
ごはんもいっしょに食べるし
ケーキもいっしょに食べるし
寝るときもいつもどおり❤︎
これからはいままでよりも
ずーっといっしょにおれるね❤︎
ほんで何十年後、またあおーね❤︎
それまでおりこうさんに待っててね❤︎
産まれてきてくれて、
うちの三女になってくれて、
ほんとうにありがとう❤︎
ぴゅあちゃんはずっとずっと
だいじな妹です❤︎














