文京史跡巡り
気になってた文京ふるさと歴史館ジオラマが面白かった。これは駒込のやっちゃば(野菜市場)団子坂の菊人形の見世物。今の千駄木駅の駒込と反対側の坂らしい。昔は植木屋さんが多かったそう江戸からの文教地区という説明で湯島聖堂が儒学のメッカでそこの西(今の医科歯科あたり)作った昌平坂学寮と言うのが後の師範学校と女子師範学校になったとあり、でも今の場所と違うのは何故かと思ったらどういうことかと思ったら、ボランティアのおじいさんが昔湯島聖堂の所をを文部省にしようと言う計画があり筑波と御茶ノ水が茗荷谷に移ったと教えてくれました。しかしウィキ先生によると少なくともお茶の水は関東大震災後医科歯科の拡張で移転ってあったし、筑波の方はそれより前だけど移転は明治36年と明治になってからかなり経ってるけどなあ。つか湯島聖堂のところに当時の文部省出来たのは師範学校出来る前だ。結局筑波の方の移転の理由はわからんそれよりもおじいさんは熱心にいだてんの人も湯島聖堂の寮から茗荷谷の今の筑波の方まで走ってたんですよと言われたけれどいだてん見てないからようわからんかった 歴史館の後に訪れた樋口一葉縁の井戸。旧居跡は人の家なのであまりおおっぴらに宣伝してないみたい坪内逍遥邸跡はちゃんと碑が立ってた