自作の小説のキャラのお一人です
白地紅点の・・・・・・
おたの申しの動画
作者 白地紅点
SIRAJIKOUTEN(白地紅点)
の・・・・・・ テスト中です
本土から離れた沖合に少しばかり。その小島には鬼が住むと言われ、誰も近づかない。
鬼、を見た者は、「大きな体、ごつい顔つき、長く太い手足に体毛がもじゃもじゃ。話す言葉も聞き取れず、きっと奴らは、凶暴で邪悪に違いない」と言って、鬼を直接に見ていない人々に恐怖を植え付けた。
具体的な被害はないから役所も、鬼、を取り締まる事はできない。
そもそも、鬼、なる者が本当に存在するかも定かではなかった。
しかし、人々の心の中には確かに存在ししていて、恐怖、害悪の元、差別の対象となった。
不在の鬼、の存在は、良い面もあった。人々は、鬼、に恐怖する事で、対抗しようと、連帯し防衛の体制を作った。
その体制には、組織の役割があり、人々に身分階層を作った。
身分階層、そのヒエラルキーの中で、権限を得る者と、権限を成らしめる従属者達。
不在の鬼の存在は、ヒエラルキー上層の人には歓迎すべ事である。
鬼、が邪悪であればあるほど、その権限から得られる利益は拡大する。
鬼、による被害があれば、具体的な対応方法が検討されるのだが、被害が無いのだから、人々の恐怖は無限に拡大し組織も拡大した。
被害への防衛ではなく、恐怖への防衛だと言うことに、人々は気づかない。
長年続くと人々は恐怖に麻痺して、防衛組織の依存割合を軽視するようになる。
ヒエラルキー上層で利益を得ていた者は、己が得ている利益構造を理解はしていなかった。が得ている利益状態は安定させたいと考えていた。
そこで、具体的な鬼が必要となった。
ある日、港町に宝を満載した小舟が入港した。
小舟を操るのは若い青年で、桃太郎、と名乗った。
桃太郎は、小舟の宝を荷車に載せ替え、祖父母の村へ向かう途中、人々に話して聞かせた。
それが、桃太郎の話、である。
桃太郎の話は、村へ向かう途中、何度も話の内容が変わり、現在伝えられているのが、その完成した物語である。
最初、桃太郎は一人で鬼を退治した、となっていたが、話を聞いた人々の中に、疑うものが出てきたので、その疑いを消すために、猿を登場させ、キジそして、犬まで加わったのだ。
鬼を退治した桃太郎。
持ち帰った財宝。
それだけでは人々は、鬼退治を信じない。
犬、猿、キジを同行していれば、信憑性が出てくる。
もともと、不在の鬼である。
鬼は不在のままだが、それを退治した桃太郎を経由して、鬼が本当にいるのだと人々は実感した。
おまけに、鬼から取り上げた財宝がある。
桃太郎は、祖父母の家に着くと、集まってきた人々に、鬼退治の話をし、財宝を人々へ与えた。
人々は長年、鬼に恐怖し防衛組織へ、税金から費用を支払ってきた。
その総額がいくらになるのか? 膨大な額としか、知らされていない。
桃太郎が鬼から取り上げた財宝の価値は、防衛組織へ支払った総額に比べれば、極々僅かである。
しかし、この僅かな出費で防衛組織は、不在の鬼、の恐怖を回復できたのだ。
本当だと思う事実や証拠、それは発見者が見つけたのか、それとも何者かに、見せられたのか?
よくよく考えてみよう。
桃太郎の話では、鬼の存在を肯定している。
財宝により、その説得力を後押ししている。
財宝と鬼の存在、その因果関係は定かではない。
そして桃太郎。
祖父母への孝行心と、財宝を人々に分け与えている。
そのことで、桃太郎の誠実さをアピールしている。
つまり、鬼を具体的に示す証拠が無い。間接的な証拠で人々の心に、鬼、を存在させているのだ。
桃太郎は昔話である。
この話と同じように、現代の人々が騙されたりしていない、だろうか?
北朝鮮問題、尖閣諸島問題、オスプレイ配備、などなど。
自分の頭で考えもわからない問題は多い。
世に氾濫する情報で、そう考えるように人々の考えは、調整されている、のでは?
考える事と、なにかしら情報を知り、その事で反射的に頭のなかに浮かんだ事は違う!
言葉による、たぶらかし、である。
小説や歌などの物語は、たぶらかし、の結果、人を幸福にするものだから良いのだ。
しかし、たぶらかし、の結果、害悪となる場合。
オーム教のサリン事件や霊感商法。融資と称して多額の出資者を募る詐欺商法。
ひとは、言葉により、なにかしら思うが、その思いについて、思考することが必要だ。
思う事と、考えること、明確な境界線はないから難しい。
作 SIRAJIKOUTEN
よなはたかし
【飴玉、三個】
彼女との付き合いを始めて3年になる。
喧嘩もしたし、好きなところ、嫌いなところ。得意、不得意。恋いの感情だけでなく、人間性の理解もできた。
と思う。
愛情というのが、感情面でいうところの執着というのなら、彼女との関係は「愛している」との言葉では表現できない。初めての特別な人間関係である。
過去につきあった女性とでは、築けなかった関係だ。
僕たちは富士山周辺、湖畔沿いのレストランに入った。
僕はカプチーノ、彼女はダージリンを注文した。
窓ガラスの向こうに湖の見える。
今日は、穏やかな風。湖面に細波。白鳥を模した足こぎのボートがうゆっくりと流れている。
今日の彼女。機嫌がいいのだろう。
柔らかい笑顔が、僕に優しい。
今日は、早朝からバイクの二人乗りで、3時間。都内のマンションから休憩もなしに走ってきた。
途中、運転席とタンデムシートを二回、交代した。
昨晩、彼女の方はSEXを欲していたが翌朝、バイクで出かけるという事で、僕に疲れさせないよう気を使ってくれた。
正直、昨晩の僕はSEXはいやだった。
彼女は、自分の事よりも僕の事を優先して、考えてくれる。
有り難い。
しばらくして、カプチーノとダージリンが運ばれてきた。
一口飲むと、彼女がシャツの襟から手を入れて、胸元から三つの飴玉を取り出してテーブルの上に置いた。
飴玉の一つを手に取ると、少し温かい。
僕は、彼女と二人で映画のビデオを見ながら、彼女の柔らかい胸を触っているのがとても好きだ。
安心するのである。
僕は、物心つく前に母親をなくしている。彼女の胸の柔らかな感触に、母親を感じていたのかもしれない。
時々、彼女はイタズラ半分な気持ちで、僕の反応を楽しんでいるのだ。
彼女のブラジャーからは、飴玉、電車の半券、携帯電話機、バイクのキーと、まるでドラえもんのポケットのように色々と出てくる。そのタイミングは、どれも僕を喜ばせてくれる。
彼女は、僕の手から飴玉を取り上げ、テーブルの上に置いた。
そして彼女は言った。
「これは、何でも飴です。一個で一つ、なんでも願いが叶います。その願いは予め決めてなくてはならないし、後で変更はできない」
と僕の願いを、彼女は聞いてきたのだ。
僕は即時に答えた。後で僕自身驚いのだが。なにも考えず、即答したと言うことは、それが僕の本心だったんだろう。
「一つめの飴は、君にプロポーズする時に、君の口に入れる」
彼女は、嬉しそうな、
不思議そうな表情を顔に浮かせて、次を聞いてきた。
「二つめの飴は?」
僕は答えた。
「僕たちの赤ちゃんが生まれた時に」
彼女は、先ほどよりも、嬉しそうな、不思議そうな表情となり、次を聞いてきた。
「三つ目の飴は?」
僕は答えた。
「僕と君の人生の終わりに」
彼女の嬉しそうで不思議そうな表情が、確信となり完全な笑顔が表れた。
そして僕は続けた。
「この飴は、僕の心の内を、誤解無く伝える事ができる。これから先、君と過ごす人生の時間。互いの気持ちが解らなくて、不安や疑い、イラツいて喧嘩する事も有るだろうけど、本当に大事な時。人生の時間、三度は僕の本心を伝えたい。それが僕の真心だ」
しばらく(二時間ほど)、僕と彼女は無言で窓の外の湖畔の風景を眺めていた。
レストランを出て、バイクに座る時に、僕は一つ目の飴玉を彼女の口に入れた。
先に、タンデムシートに座った彼女。
運転席に座り、僕はバイクを走らせた。
都内のマンションまで、ノンストップでバイクを走らせた。
帰り道の間、背中に感じていた彼女の胸の柔らかさ。
僕は、気付いたと思う。
彼女の柔らかい胸に、安心するのは、胸の柔らかな感触に彼女の心を感じているからではないか?
僕は、飴玉を使ってしか心を伝えられない。
しかし彼女の方は、いつでも心を伝えていたんだ。
オシマイ
作者・白地紅点 (@_@)/
アドバイザー・よなはたかし
汚染水攻撃。
汚染水という言葉から、何が連想されるだろう?
放射性汚染物質! 危険な水!。
福島原子力発電所の動向は常に関心事である。
この危険な水は原子力発電で使われる燃料棒の冷却に使用された水である。
大震災により通常の冷却システムが崩壊し……、本来なら安全な水であったのだが・・・・・・
大震災後、三年がすぎ、膨大な量の危険な水が生産された。
さて、この危険な水はどこで保管されるのか?
今後、この危険な水は濃縮され数量は少なくなるらしいが、高濃度かされた超危険な水となるらしい。
危険な水は、超危険な水となるのだ。
この水!
そこにあるだけで社会を混乱させる害悪となりえる。
高濃度化されているが水である。
通常の水と同じ運搬方法が可能だ!
川に流す、ダムに混入、水道へ・・・・・・
とすぐに思いつく。
しかも簡単に実行できる。
もしも、超汚染水が数十リットル盗まれ、その一部がどっこかで発見されたら?
どこかって?
スカイツリーの展望エリアにペットボトルが置かれている。
電車の網棚。映画館の客席シート。
皇居の周辺では多くの人々がジョギングしているから、その人らが忘れたって感じで、置き忘れられた水筒。
人が大勢集まる場所、日常の生活エリア、そんな場所ならどこでもいい、超汚染水が発見されれば社会は大混乱。
その対策に膨大な資金、人材、時間が消費される事になる。
人々の信頼関係も消える。誰が犯人か特定できないからだ。
外国からの旅行者は途絶え、東京オリンピックなんてできない。それどころか日々の生活さえ怪しい!
超汚染水は高濃度なので、百倍に薄めても危険性は変わらない。
数十リットルの超汚染水は、数千リットルに薄めて増やしても先に記述した意味での害悪性は変わらない。
他の危険な物質は薄めて、大気中や海水中へ放出して処理している。
自動車の排気ガス、これも集めて濃縮すれば、超危険なガスとなる。
水銀、化学薬品、なども薄めて害悪性を低くしているのに、濃縮したら殺人方法に使える。
薄めるということで、安全性を確保しているのに真逆の事をしているのが、超危険な水(福島原子力発電所の冷却水)
さて、この超危険な汚染水、金銭的、人材的、政治的、などなど社会的なコストは膨大である。どんな天才でもそのコストを数値化できないだろう。なぜなら、超危険な汚染水が無害になるのに、一万年とか二十万年などと言われ、人間の理解を越えた時間的スケールだからだ。
原子力発電技術については、すでにリスク状態からダメージ状態へ移行している事に気づいていないのだろうか?
原子力発電所は危険、ではなく、すでに膨大な被害を及ぼしている。
原子力発電所の害悪と、他の価値観を比較考慮する事が可能なのか?
発電コストと原子力発電所の利便性を比較するのは可能だが、それにより失われる利益や、負担の大きさを併せて考えないといけないのだろう。
オシマシ(-_-;)
作・白地紅点
「カレーを食べた。」
知人の家でご馳走になった。お世辞でも旨いとは言い難い。
そんなカレーである。
なぜ僕が、こうも遠慮がちな表現をするのか?
それはこのカレーが、特別な努力をして作られていたからだ。
普通は市販されているルー(チョコレートみたいな固まり)を水と、野菜、肉等の具材と共に煮て作のが一般的である。
しかし、この特別のカレーは、複種の香辛料を絶妙の割合で配合して作る。
具材も材料に応じて下処理をしている。
非常に手間をかけているし、特別な熱意が感じられる。
そのような特別なカレーを、僕の貧相な美食感覚で、不味いなんて言えない。
また特別な熱意を受け入れる以外の反応を示す勇気はないのだ。
僕は、心の内を気付かれないかと過剰に反応してしまい。食べたくないのに、その特別のカレーをお代わりした。
カレーを食べながら、知人と話をした。手作りのカレーは、これが初めてのチャレンジで、いつもは市販のルーを使っているとの事。
知人がなぜ? 今回特別なカレーを作る気になったかは、聞かなかった。
終電の二つ前の時間にあわせて、僕は知人の家を出た。
駅まで送ると言って知人も家を出た。駅まで歩いている間、知人は何も話さなかったが、別れ惜しそうな雰囲気を発していた。
しかし僕は、カレーのが気になっていた。
やがて数日が過ぎ、カレーの事は忘れた。
さらに数日が過ぎて僕は知った。
カレー作った知人は、仕事の都合で遠方へ引っ越した。
まだ その知人とは連絡(メール、スカイプなど)していない。
作文・YONAHATAKASI
安倍総理大臣の、説明会。
先日、夕方、憲法解釈について安倍総理大臣から日本国民へ向けて表明がなされた。
近時、話題となっている集団的自衛権についてである。
安倍総理大臣は、以前から自分の考えをいろいろなところで説明していた。民主党政権時やそれ以前の第一次安倍内閣のときにも。
戦後、日本には国軍はない。戦争はしない。戦力もない。という事で過ごしてきた。
だが、実際には地上戦力は世界第一の戦車部隊が作られ、索敵能力世界一の潜水艦技術を保有し、自分は戦わないで米国に戦わせる、ヘンテコな同盟関係をつくってきた。
自衛隊と言われる軍隊は、世界でもトップクラスの戦う軍団である。
憲法から逸脱しているではないか。
普通に憲法の条文を読みとればそうなるのだが、不思議な事に、日本のエリート連中(高級官僚や政治家)によると、憲法とは矛盾しないらしい。
普通の人には理解できない、日本語の解釈方法があるらしい。
日本は戦争する気か?
と心配する人々もいる。
しかし僕の心配は、他にある。
それは、無限の解釈能力である。
憲法に書かれている内容とは、真逆の内容を導きだす解釈能力。
集団的自衛権、には僕は賛成である。なので正当な手続きで集団的自衛権を行えるようにすればいいのだ。
国民投票して憲法を修正すればいい。自衛戦争は可能だと。
国民投票による改憲は難しい、時間がかかる。それでは台頭する中国の驚異に対抗できない。というのなら、せめて国会で、集団的自衛権について議論し、その議論の内容を国民が判断すればよい。そして衆参議員を解散して、選挙を行い国民の意志を確認すればよいのだ。
戦争を行う決断は、国民自身でするべきだ。
怖いのは、集団的自衛権による戦争になる危険ではない。
憲法の条文から真逆の内容を導き出す「無限の解釈能力」である。