何か今日都条例の反対集会だとおもってたら一日間違えてました。


しかし全く石原氏どうかしてるよ。

あの人も創作者の端に居ると思ってたんですけどね。


その上小説だけは守ろうというのが…ていうか、まあ正直規正やむなしな部分あるのは否めないけどなんかこう多くの現代社会人の受動的な態度と自分で責任をとりたくないという姿勢の表れが世相にも現れているんじゃないか?

それが現実的な形になったというのが都条例改正なのではないか、と。


まあ、いずれにせよやりすーな感じ否めませんよ。


インターネットでグロ画像踏んじゃうのやだからグロをアップしたら逮捕ってかグロを所持してたら逮捕ていうか究極にはグロい事考えたら逮捕みたいな。


マジ思うことは自由ですから!!



さらに「テレビなんかにも同性愛者が普通にでるでしょ。日本は野放図になりすぎている。使命感を持ってやります」発言。


全く個人的な観点で言うなら、私は同性愛者や性的マイノリティが差別されがちであることはある程度仕方がないと思っています。

何故なら、やはり生物学的に繁栄に繋がらない事は白い眼で見られるように遺伝子の奥にプログラミングされているとおもうからです。


だから近親相姦も同性愛も小児愛もそんなおおっぴらにできないものであるということは本人達も判っていると思うんですよ。


しかしこの発言、究極に言えば「日本は自由すぎだと思うからこれからは性的マイノリティをガンガン差別していく、ていうか性的マイノリティなんて死ねば良いということを法で訴えて殲滅作戦に出るからヨロシク!!」と言っている事となんら変わりないと思います。


「私達をあまり苛めるな」by寄生獣


友人は言いました。

「我々はもう大人だから規正されるとうわってなるかもしれないが、確かにこれからの世代を考えるとその言い分もわからないではない。何故なら、性的マイノリティにとって漫画やその他がストレスの解消になるかもしれないが、逆に寝た子を起こしてしまう可能性があるからだ。」


ただ私が思うのは、生まれたときから目が見えない人に幾ら赤と言う色を口で説明したってわからない様に実際にそれを見るということはかなり大事だと思うわけです。

先程の理論を言い換えると、生まれたときから目が見えなければ気持ち悪いものもみる事はないし、安全☆というような考え方なんでしょうけど、私はそのようなところから高度な文化活動が生まれるとはとても思えません。


逆にそのような文化にはかつての社会主義体制のような…全体主義体制のようなある種の恐ろしさを感じます。


気持ち悪いものを見てしまう危険があるこそ、我々は自分で情報を集めて其処から選び取り、自分で見たものに責任を感じる必要があると思うのです。


それを法的に管理させようなんて、自分で子供の見るものを管理できない自分の見るものに自分で責任を取ることのできない依頼心の強さ、受動性が表れている気がします。


私は思います。

受動的なだけじゃ幸せにはなれないんですよ。


最も、幸せの意味すらメディアに管理されていないと不安と言う人々が多いような気がしますが。


友人は言いました。

「恐らく、最終的にはネットや全体の表現を規正したいのだと思う。そのような圧力が掛かっていたり、そこで何らかの成果をあげなければならないことが求められているのだと思う。しかしネットはもう世の中に蔓延しているので其処で早急に成果を上げることなんてできない。だからわかりやすい成果を挙げる記号としての漫画の規正と言う方向で動いているのではないか」


ありえるー!!


とにかく、私はこの改正には反対です。


もし色々駄目になったら…

創作する人々をあつめて土地を確保して表現の自由な王国を作りたい…

みたいな妄想までしてしまいましたが、普段ならこれを漫画に描くところですよ。

それすら駄目になるなんて! !


私は思い込みも激しいし、創作活動をしていなかったら火炎瓶投げていたと思うのですがそれがこんな形で思い起こされるなんて本当に皮肉です。