滅亡からのお家再興・井伊直政公
徳川四天王のひとりである井伊直政公の人物像をインド占星術から探ります。
直政公は井伊家当主・井伊直親公の長男・虎松として誕生しました。虎松2歳の時に父・直親公は謀反の疑いで今川氏真公により暗殺されました。このことから後見人で義母の井伊直虎公が女城主となりますが、後に井伊家は取潰されます。
のちに寅松は実母と再婚した松下清景公の養子となりますが、井伊家の再興を願う虎松にチャンスが訪れます。Ra/水星期1572年2月に鷹狩をする徳川家康公から見出されました。
10室 魚座 Su |
11室 牡羊座 Ju Ve |
12室 牡牛座 Sa |
1室 双子座 Rag |
9室 水瓶座 Me Ra |
井伊直政公 1561年3月4日 遠江(浜松市)出生図 |
2室 蟹座
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8室 山羊座
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3室 獅子座 Ke |
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7室 射手座 Ma |
6室 蠍座
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5室 天秤座 Mo |
4室 乙女座
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虎松を象徴する水星はRaと同室して幸運を表す9室にあります。この時期に願いが叶い井伊姓を名乗ることが出来ました。
この9室は人生のテーマでもあり、父親が人生に大きく影響します。幼くして父を亡くした寅松は、幼少期は直虎公が父となり、少年期は松下家への養子となり、3人の父から育てられました。また家康公は主君ながら父のような存在でもありました。
9室を支配する土星はカーラカンシャ(KL)で才覚を表し、乙女座の影響を受けるため几帳面で実務能力に優れ大きな仕事を成し遂げることができます。わずか18歳にして北条家への全権大使となり、1579年徳川・北条同盟を成立させます。
井伊直政公となった1582年の木星/土星期に侍大将に任命され旧武田家・山県昌景公の赤備えを引き継ぎ、後に井伊の赤鬼として名を馳せることになります。他家の旧臣たちを制御することに苦労しますが、この時期は8室を支配する土星が12室に入り逆転ヨーガとなり、危機を成功へと逆転しました。
幸運をもたらすRa/月期には小牧・長久手の戦いで武功を挙げ名を知られるようになりました。危機となる木星/月期に関ヶ原の戦いでの鉄砲傷が悪化し42歳で死去しましたが、井伊家は江戸時代末期まで続き、井伊家再興の願いは叶ったのです。