豊後のキリシタン大名・大友義鎮公のジョーティッシュ鑑定3
義鎮公の仕事を表す太陽は、水瓶座にあります。太陽のインド名(ナクシャトラ)はダニシュターです。象徴となる太鼓が音を響かせるようにリズム感に優れ成功を掴み財運にも恵まれます。
※生年月日が不明のため仮定してホロスコープを作成しています
2室 魚座
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3室 牡羊座 Ma Ke |
4室 牡牛座 Sa |
5室 双子座
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1室 水瓶座 Rag Su Mo |
大友 義鎮公 豊後国(大分市) 1530年1月31日 出生図 |
6室 蟹座 |
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12室 山羊座 Ve Me |
7室 獅子座
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11室 射手座
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10室 蠍座
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9室 天秤座 Ra |
8室 乙女座 JuR |
ダニシュターを支配する火星は3室にあります。闘争を表す火星が、勝利という意味を持つ3室にあり、仕事を表す10室にアスペクトバック(大きな影響)し、仕事の成功を約束します。義鎮公も戦に負けない強い武将で成功を掴みました。
天文20年8月に周防国の大内義隆公が家臣の謀反により自害します。義鎮公は、実弟の晴英公を大内氏の新当主に送り込みました。これにより長年続いた大内家との対立に終止符を打ち、敵対する筑前国の原田隆種公を服属させ、博多港を支配下に治め勢力を拡大しました。
永禄2年の土星/木星期に足利義輝公へ多大な献金をしました。同年の6月に豊後国や肥後国、肥前国に加え豊前国と筑前国、筑後国の守護に任命され北部九州の6ヵ国を治めました。木星は利益を表す2室と11室を支配し、土星にアスペクトします。この時期に大友家に逆らう者は朝敵と認定されるほど権力を持ったのです。
しかし、永禄元年から永禄5年の和睦に至るまで門司城を巡り毛利氏と戦いを繰り広げました。永禄5年の水星/水星期に門司城の戦いで毛利元就公に敗れた義鎮公は、出家し宗麟と名乗ります。水星は、苦悩を表す8室を支配し、隠遁を表す12室にあることで出家の道を選んでいます。
その4に続く