豊後のキリシタン大名・大友義鎮公のジョーティッシュ鑑定1

 

大友家は代々豊後国と筑後国の守護職を担う名門であり、その21代当主となる大友義鎮公は、先進的な考え方を持っていました。

 

義鎮公は、海外との交易を行い、西洋の武器や技術を導入して軍事力を強め、九州北部の豊後国、筑後国を領有しました。軍事のみならずキリスト教へ帰依し西洋文化の繁栄に貢献しました。大分県は西洋音楽、西洋演劇発祥の地となり、現在でも義鎮公の記念碑が建立しています。

 

今回は、インド占星術から大友義鎮公の人物像を占います。

 

享禄3年1月に父・大友氏20代当主・大友義鑑公の嫡男として誕生しました。

義鎮公は、新月生まれであるため純粋であり感じたことを素直に表現しますが、繊細で警戒心が強く、人を信頼しない傾向があります。

 

生年月日が不明のため仮定してホロスコープを作成しています

2室 魚座

 

3室 牡羊座

Ma  Ke

4室 牡牛座

Sa

5室 双子座

 

1室 水瓶座

Rag  Su  Mo

大友 義鎮公

豊後国(大分市)

1530年1月31日

出生図

6室 蟹座

12室 山羊座

Ve  Me

7室 獅子座

 

11室 射手座

 

10室 蠍座

 

9室 天秤座

Ra

8室 乙女座

JuR

 

感情を表す月は、型破りの水瓶座にあります。

月のナクシャトラ(月宿)は、プールヴァバードラパダです。象意となる二つの顔は、二面性を意味し、相反する感情から心の葛藤を抱きます。義鎮公は、異なる視点から物事を捉える鋭い感性を持ちます。しかし、気性が激しく神経質な傾向があります。

 

プールヴァバードラパダを支配する木星は8室にあり、利益を表す2室にアスペクトバック(大きな影響)し、吉意をもたらします。

 

義鎮公は、博多港を九州最大の国際貿易都市に繁栄させました。また、明朝への遣明船の派遣をはじめ、琉球、カンボジア、ポルトガルを相手とした海外貿易を行い、巧みな外交により大きな利益を得ました。

 

その2に続く