今できることを少しでもやりたい・・・と南相馬へのボランティア行きを決めたイタリア家庭料理研究家のアドリアーナと一緒に、今回は、6名が参加。


みな初対面で、事前打ち合わせもないまま、夜通し高速を走り、2時間ほど仮眠をとって、現場に突入。それでもなんとか2日間の炊き出しを乗り切りました。


アドリアーナが明日から2週間、イタリアの実家に帰るので、写真などはその後の紹介になりますが、


少しだけ、南相馬市の現状をお伝えします。


原町、鹿島町、小高町の3町が村町合併で南相馬市になったのですが、小高は、20km圏内で避難区域、原町と鹿島は自主避難地域と分断されています。



私たちがお邪魔したのは、原町と鹿島町の仮設住宅2か所と介護老人施設、そして、瓦礫撤去の仕事をされている方やボランティアの方たちのお昼の炊き出しです。


久々のイタリアンだったのか、みなさん「おいしい、おいしい」と喜んでいただけたり、「こんなうまいコーヒー初めて飲んだ」という90歳のおじいちゃんもいて、少しでも日々の疲れや不安を忘れていただけたなら良かったなと思いました。




小学校もまだまだ線量が高く、開校できないところもあり、昨日伺ったところでも除染作業が続いており、体育館にはまだ40名近い高齢者の避難者が生活していました。


町中には、多数の船がまだぞのまま畑や田んぼに放置されていました。


海沿いの町は、瓦礫撤去は進んだものの、ただ荒れ果てた平地が続くといった感じです。


田んぼが青々と・・・と思ったら、雑草高く茂っていただけでした。


常磐線の不通区間もまだ復旧の見込みがないようで、線路にも雑草が茂っています。


買い物一つ行くのにも大変そうですし、車がなければ生活が成り立たない気がしましたが、家も車も流された人も多くいるわけです。


彼らが、理不尽と怒るのはもっともで、私たちはこれが現実なのだ・・・とただただ、受け止めるしかありません。


しかし、仮設住宅の炊き出しでは、みなさんにこにこと笑顔で受け取ってくれました。


私たちに文句をぶつける方もいませんでした。


夕ご飯時に伺った3箇所目では、ご飯の後、役員さんたちとしみじみ話しをすることができました。


少しでも今の気持ちを聞くことがせめてものことなのか・・・と、それぐいらしかできないのですが・・・。



「去年、イタリアのミラノに行った時に食べたパスタを思いだしました」と言ってくれた女性の言葉が胸に突き刺さりました。



ボランティアを世話してくれた方がボソッと「まだまだ線量の高いところもあって・・・。子どもたちは、南相馬からどんどんいなくなりました。もう住めないなら、住めないとはっきり言ってもらった方が楽かもしれない・・・」という言葉も忘れられません。


正直、これからどうやって支援をしていけばいいのか、わからなくなります。


それでも支援をし続けるという気持ちを持ち続けるしかないのかもしれません。


お互いを支えあって生きている人たちを見ていると、自分たちの都会での不確かな生活が何によって支えられているのかもわからなくなります。


今日は、まだ、混乱の最中、台風のこともあり、考えがまとまりませんが、周りの人たちに今回のことを話し、少しずつでもできることを一緒に考えていけたらな・・・と思っています。