しばらく、更新ができませんでした・・・。
1週間前、気仙沼に入りました。
バングラデシュのTV局のコーディネートで、国際交流の一つとして、気仙沼の小学校を訪れるお手伝いをしました。
1カ月近く、気仙沼の教育委員会の人とやり取りをし、震災で大変な中、それでも意義あることと受け止めてくれ、一緒に準備を進めてきました。
どうすれば、一番、子どもたちにとって、良い国際交流となるか、何度も電話で話しているうちに、気仙沼の先生とは、昔からの知り合いのように仲良くなってしまいました。
そして、訪れた気仙沼。
未だショックから立ち直れていません。
テレビで何度もみた風景だけど、映画のセットのように感じてしまうほど・・・。
それでも、いろいろな方と話しをし、いろいろな映像を見せてもらい、1日過ごしているうちに、その風景を昔から知っているような気持ちになっていました。
東京に戻ってみれば、都心の方がセットのように思え、なんだか感情が入らず、おかしな感じです。
震災のまだまだ渦中にいる人たちなのに、本当にやさしくて、思いやりにあふれ、久々に人間らしいぬくもりを感じた出会いでした。
それでも、どこかで、前を向かなきゃと頑張りすぎているようにも思え・・・、そう思わなきゃ、やっていけない状況で。
私が泣いている場合じゃないんだけど。
世界の中でも貧困国であるバングラデシュ。彼らもまた、毎年のようにサイクロンが来て、津波や洪水の被害にあい、家も土地も奪われた人々がたくさんいて。仕事もなく、貧しく、識字率は、15歳以上の成人で、50%台。
バングラデシュでは、ガンジス河は泥と染料にまみれ飲み水にすることもできず、地下水を飲料水にしているけれど、ヒ素が含まれ、たくさんの人が肝臓がんで亡くなるそう。
彼らにとって、日本は夢の国だそうです。
こんな小さな国に二つの原爆が落とされて、それが世界でも有数の経済大国になったこと。技術に優れ、あらゆる産業でトップに立った日本。
バングラデシュからの応援メッセージを見た子どもたちが、「ようやく立ち直ることができた」と言ってくれたことに少しだけ救われたような。子どもたちが少しでも自分の国に誇りを持ち、明日を夢見てくれたなら・・・。
帰り際、「3年で復活するからな!」という市の職員の方の言葉に、「あなたたちはもっと早く復活します!」と語り、ベンガル語の通訳さんは、3・11以降、毎日、被災地のためにお祈りを続けてくれていると聞き、遠い国の人々も、本当に日本のことを心配してくれている。
私たちも政局の混乱やメディアの情報に流されることなく、今もなお、震災中である東北を支援し続ける方法を
考えないと。
東京には日常が戻りつつあるけれど、震災以前に戻るのではなく、東北を含めた新しい日本を作るために、3か月目を迎えた今日、改めて、意を決します。
政府に任せられないなら、繋がれるところで、繋がって、助け合って、支援しあって、生きていかなくちゃ。
もう一度、夢の国を作るために!