今日は、パソコンのメンテナンスをやってもらっていた。


やってもらった・・・というのは、パソコンオンチの私を助けてくれる、その名も「パソコンお助けマン」という

名前でHPを立ち上げていた近所のおじさんに来てもらっていたのだ。


ここに引越してきたばかりの時にも、新しく買ったパソコンが不具合が多く、ネットで探しているうちに、この人のHPにたどり着いた。そうしたら、ものすごく、家が近所で、交通費なしで来てもらえることあって、かれこれ4回ぐらい来ていただいている。


今日はウィルスソフトのバージョンアップができず、サポートセンターとも何度も電話でやり取りしたが解決せず、「新しく、購入してもらうしか、ないです」といわれ、まだ1年半も期限が残っていたものを諦めることができず、しかし、なかなかパソコンおじさんに来てもらう時間も合わず、ようやく今日となった。


なんのことはない、最初から入っていたノートンとの相性が悪かったようで、ノートンをアンインストールしてもらったら、スムーズにバージョンアップが出来てしまった。


でも、こういうこと、十何年パソコン使っても、わからないんだよね~。


このパソコンお助けマンおじさんは、大手メーカーを早期退職した後、自宅で、この仕事や測量ソフトで解析などを行なっているそうだ。


昭和40年あたりから、パソコンのシステム作りにずっと関わってきた人。まさに日本の黎明期を支えた一人。


「高卒で、35年勤め上げたんですよ」と言っていたから、53歳で退社したことになる。


こういう人たちが、早期退職を求められるようになってから、日本の企業はどんどんだめになっているのではないか?という気がしている。


知識だけでなく、体で覚えている仕事というのがある。何十年もやるうちに、刑事の勘と一緒で、なんとなく、そのもの自体を知らなくても、解決の方法を探れることがある。それをだんだんないがしろにしてしまった日本の行く末が今のほころびを生んでいるように思えてならない。今や、政治も企業もズタズタだ。



私の本業である出版業界も、行く末はどうなることやら。


15年以上やってきた仕事なので、収入を得る手段としては、一番大きいはずなのに、気持ちのモチベーションとしては、今や、Vol.5になってしまう。


なぜ、自分が生業にしてきた仕事だけで生計を立てていられないかというと、ここ数年、本当に仕事を発注する側がひどいのだ。D社やH社の丸投げ仕事をいやおうなく受け入れなくちゃいけないし、大手出版社の社員のお給料を確保するためのような仕事を、ものすごい安いギャラでも引き受けなくてはならなかったり・・・。


あまりに人を人とも思わない仕事のやり方に愛想がつき、去年の今頃、そういった全てから手を引いてしまった。媚びを売るのも、営業するのも辞めてしまったのだ。


でもね、あのまま続けていたら、体より先に、気持ちや心が壊れていたかもしれないもの。


細々でも何足かのわらじを持つことで、無理難題を言っても平気な人たちとの仕事は請けなくてよくなった。


精神衛生上も良い。


今年になって仕事を振ってくれる人は、動きは遅いけれど、それでも人を人とも思わないような扱いはしない。


それだけでも救われるよね。


仕事が全てではないのだし、人としてどう生きていくか、そのための生業なのだ、本来、仕事というものは。


人としての誇りを失っては意味がない。


今日のパソコンお助けマンは、今も自分の仕事に真摯に向き合っている。大手企業にいた時のようなお給料はもらえないだろうけど、とても柔和な顔をしていて、勉強にも余念がない。話していても気持ちがいい。


さて、vol.1~5まで、何を書きたかったかといえば、仕事に貴賎はないということ。そして自分の未来を作るのは、やはり自分自身でしかないということ。



今、仕事に就けない若者がどんどん増えている。せっかく働こうと思っていたモチベーションがどんどん下がる。


でも、ここで考え直してみよう。どんな仕事からも学べることはたくさんある。2足、3足のわらじを履いて、アルバイトを掛け持ちしてでもいい。小さな仕事を馬鹿にせず、コツコツ努力してみよう。


農業だって、本気でやれば、本当に収益以上の学びがある。


こんな世の中に、腐っていないで、自分たちの手で未来を切り拓こう。


体力はずいぶん衰えてきたアラフィフだけど、志だけは高く、みんなと一緒に未来を切り拓いていけたらな~と思っているのだから。