想像を超えるバッシングで、出場辞退まで取りざたされた国母選手の競技が終わった。
あまり関心のない競技だったけど、やはり結果は気になった。
あの腰パン騒動がなければ、8位入賞は快挙として取り上げられたのか・・・。
人生には、ちょっとした気の流れで物事がまったく違う方向に進んでしまうことがある。今までと同じような言動をしているのに、想像以上に悪く受け取られる時がある。
去年の私にも、そんなことが多かった。
何をやっても意に反した結果が返ってくる。自分が相手を思って言ったことも悪意にとられる。
そうなると、反省より先に、被害者意識が雪だるま式に膨らんでいく。世の中全てがいやになる。もう何もかも投げ出したくなる。12月には、この気持が最高潮になって、この上ないテンパリ状態だった・・・。
「なんで私ばっかり責められるの・・・」「こんなに頑張っているのに、なんでこんな思いを味あわないといけないの」ずっと、そんな気分が続いていた。
ところが、新年明けて、節分を過ぎた頃から、ムードは変わってきた。誤解が生じても、すぐに解決できる。意思の疎通が図れる。思っていたことがちゃんと伝わる。温かい言葉が返ってくる・・・。
でもね、今ならわかる。
いろいろなことにつまづく時期、あちこちとぶつかる時ってのは、やはりどこかで自分を見失っていることが多く、自分ではそう思っていなくても、言葉の端々にとげとげしさがあったり、どこかに自惚れがあったり、自信過剰になったりしていることがあるのかも~と思えるようになった。
それを見直させてくれるチャンスが、こういうトラブルだったりする。去年の12月、友達から「そこまで言わなくても・・・」ということを2時間近く言われ続けて、人前で泣かない私も、大粒の涙をこぼし、その友達と別れてからも延々と泣き続けた。
心の中で言い訳をいっぱい考えたけど、それよりも、まず言われたことを一つずつでもやってみようと思った。
すぐ感情的にならない。言葉やメールですぐにそれをぶつけない。
言葉を扱う仕事をしてきた分、言葉はたくみに操れる。その思いあがりが、人を傷つけ、自分を傷つける道具になっていた。
まだ21歳の国母選手にとって、想像以上のバッシングは、こたえないはずがない。でも、これは神様が与えてくれたチャンスだと思って、もう一度、自分を省みることができたら、もっと大きな人間になれると思う。
言葉は人を傷つけるけど、言葉は人を元気にする力も持っているから・・・。
どう使うか、どう生かすか。
こういう気持ちで今年のスタートが切れた私は、本当にありがたい。
言葉の力の大きさを知っているからこそ、ライターという仕事を選んだのだから、言葉で伝わる思いを大切に、今年1年を過ごせたらな~とオリンピックを見ながら、改めて決意している。