今、日比谷から、表参道まで、地下鉄に乗る際、みんなが取っているから、つい私も手にしてみた「R25」。
フリーペーパーを作りたいと思ってから、現状を知るために集めていたけれど、暇つぶしに読んでみようと
一人のユーザーとして、手に取ったのは久々。
さて、とページを開いたものの、日比谷から表参道まで、ものの15分か。その間に読み切れてしまったではないか。
もともと速読傾向なので、飛ばし読みもあるが(飛ばし読んでも良いという内容なので)、こんなに内容なかったっけ?
読み応えのあるインタビューもないし、イラストやら漫画が多いし、文字少なっ!
これをサラリーマンたちは、会社や自宅まで持ち帰るのだろうか、それとも読み終わった時点で捨ててしまうのか。
私は、この内容なら、読み返す必要もないと捨ててしまおうとと思ったが、これじゃ、ゴミを増やすだけだし、やはり持ち帰って、資源ゴミの日に出すべき・・・。でも持って帰るの嫌・・・。
揺れ動く私が、思いついたのは、表参道のフリーペーパースタンドに戻すこと。私、菌持ってないと思うし、手垢で汚したっていうほど、握り締めてもいないし、たった15分しか手にしていないから、いいよねって。置いてきました。
雨降った時に、駅においてある貸出傘の要領だ。
そう考えると、ますます部数は、いらなくなる。あんなにたくさん刷る必要があるのか。
一時は、木曜、並べた端から、なくなっていったといわれるR25だが、最近では残っているようである。今日も沢山残っていた。「L25」にいたっては、どっさり残っていた。
同じくリクルートが出す「LU*JO!」もフリーペーパー棚にあったけど、あんな重くてかさばるものを持って電車に乗りたくな~い。
雑誌が売れないとなると、こぞって、フリーペーパー事業へ。
私は、読みたいものがないから、自分でフリーペーパーを出したいと思ったけど、
この山となるフリーペーパーの中に埋もれるのは嫌だな~。
何より、ユーザーが「また、フリーペーパーか!」の気持はぬぐえない。
これって、負のスパイラルだよね。
結局、自分たちで、自分たちのマーケットを狭めている。
ネットと差別化するんだったら、より、目新しいネタや足で稼ぐネタ、独自のネットワークから生み出すもの、論点を展開しないと、どこにでもある~「ただの紙」になってしまう気がする~。
そんなことはみなさん、百も承知なんでしょうけどね。
あまりに無駄の多い日本。
そろそろ、仕事を作るために出すことの義務から抜け出して、本当の必要性を考えたほうがいいのでは・・・と思ってしまう。
これじゃ、ますます、景気悪化で事態も泥沼。
自分にも言ってますので、あしからず・・・。