先日、中1の娘が、「私、給食食べ終わった後、手を合わせて『ごちそう様』ってやってたら、友達に『いつの時代の人だよ~』って笑われてさ、よく見たら、誰もやってなかった」とか。
今は給食の終わりは、勝手ばらばら。食べ終わった人から、自由解散みたいな感じらしい。
「いや~、それはすごく大事なことだから、やるべき。やらなきゃダメでしょ~」と言ったが、なんだかその様子にため息。
一時期、テレビ番組や週刊誌が、モンスターペアレンツを取り上げ、「給食費払っているのに、『いただきます』や『ごちそうさま』を強要するのはおかしい」とやっていたが、それを見ていた子どもたちは、そのままそうだよな~とか、思っちゃったのかしらね~。
私は、昭和の古い世代で、祖父母と一緒に暮らしていたこともあり、どこか子育てが昔風。
子どもに一番よく使う言葉が、「そんなことしていると、バチが当たるよ」だったり。
以前、保育園で息子を叱っていたら、先生から「懐かしい~。久々に聞きました、その言葉」って言われて、「先生たちは、この言葉を使わないんだ」と、逆にびっくり。
私は、「バチが当たる」と「お天道様は見ている」はすごくいい言葉だと思っている。
人が見ていようと、見ていまいと、悪いことしたら、罰が下るし、良いことをしたら、それはちゃんと神様が見ている。良いこと、悪いことの判断は自分でしないといけないし、良くも悪くもその結果は自分に返ってくる。
教育とかって、もっとシンプルで、基本的なことだよな~。
最近、売れに売れている「彼ごはん」シリーズ。料理やったことのない人でも簡単に料理が作れる本というコンセプトらしいが、これだって、今まで、お母さんに料理を手伝えって言われたことないのかな~と思ってしまった。
今の世代の子って。
私は、仕事をしているから、子どもと向き合えるのは、夕方以降。
その短い時間の中で、いろいろ交流できるのが、夕食の準備。子どもにあれこれ手伝わせてると、そこでいろいろなコミュニケーションが生まれるし、大切なことも伝わる。食材の旬だったり、物を大事にする心だったり、日本人が育んできた知恵だったり。
三國シェフがよくいうけれど、かつおだしや昆布だしからでるうま味を理解できるのは、広い世界で、日本人だけらしい。すごいじゃない、その特質。ならば、やっぱり、その味は知ってほしい。
食育なんて言葉を作るから、大上段になってしまうわけで、「お手伝い」を日常化させれば、自然と身体に染み込んでいくんだと思うんだけどね~。
かくいう、私たちの頃にも、「ご飯を洗剤で洗う・・・」という女性が出始めていたけれど、それがさらに進化して、
「パスタを水から茹でる」と思っている人や、「大さじ」、「カップ1杯」の分量が想像できなかったりと、料理の基本は、大人になってから知るものらしい・・・。
やっぱり、そんな子どもたちを育ててきてしまったのも私たち大人なんだよね~。
お手伝いやら、日常的なことを後回しにして、勉強最優先?で来ちゃったのかな~。
今更だけど、かわいい子には修行をさせろ、ってんで、昔のような丁稚奉公も必要なんじゃないかと思う今日この頃。
「挨拶から教えないと」~と嘆く、中学校の先生たちの苦労も偲ばれる。
どこかで変わらなきゃ、大人が。ゆるさも、自由もいいけれど、大事なものが失われてしまっては、本末転倒。
移りゆくものがあっても、流行があってもいいけど、良いものは、残そう!
そんな時代に来ているんじゃないかな~と真剣に思います!