雨だし、取り立てて予定のない我が家では、

近所の子ども3人が我が家で大騒ぎ。



最初、外でゲームをしていたようだが、

雨が降り出したので、家に誘った。


その代わり、ゲームはしないこと!が条件。



プラレールにはじまり、レゴやって、

今は、なんと二段ベッドと机と本棚に囲まれた

狭い部屋で隠れんぼしている。


子どもを持って思ったが、

今の子も昔の子も好きなものって

やはり変わらない。


だって、一番楽しそうにやる遊びが、隠れんぼだもの。


残念ながら、今の家には、押入れがないが、

以前、押入れのあった家に住んでた時は、

布団全部がおっぴろげられ、

すごい状態で隠れんぼが行われていた。


それでもあの楽しそうな声を聞くと、

やめて~とは言えない。


大人が操作しやすいように与えたのがゲームやおもちゃで、

本来は、こういう遊びのほうがずっと好きなんだろうな~と思う。




先日、中学に上がった娘が学校からもらってきた手紙に

「大人になるということは、自分の感情をコントロールできるようになること」というような

ことが書いてあって、最近、感情が全然コントロールできない私は、

大人とは言えない大人だな~とため息ついてしまった。


えらそうなことは何ひとつ言えないもの。


でもね、嘘だけはつかないこと、いつでも精一杯生きていること、

それだけは、子どもたちに守っているつもり。


大人になりきれない私が、それでも母になってもいいのかな?と

思えた彼の存在は、大きい。


清志郎の歌を久々に聴いた。


自分に素直で正直で、中学や高校の多感なころ、どんどん周りの大人が

言っていることとやってることが乖離してて、嘘くさい!人間ばかりだと思う中、

彼だけは、こんな大人ならなりたいな~と思わせてくれた人。



私も、このままでもいいよね。



ぐだぐだ相変わらず悩んだり、

戸惑ったり、人とうまくなじめなかったり、

なじまなかったり、自分に正直に生きようとすると

摩擦が起こったり。


そういう私たちをも受け止めてくれる歌。


しとしと降る雨は、

大人になりきれない大人たちの涙みたいに

思えてしまった・・・。


誰の心の中にも、子どものような純粋さと残酷さと、

未来に向かうエネルギーと夢を見る力が宿っている。


今日は、誰もが子どもに帰って、

あの時の気持ちを思い出してみたい。



空からみんなに歌声を聴かせてください。