(あ、あけましておめでとうございます。笑)
私が2年目に所属していた学年の主任は
40代半ばの国語の先生だったのですが
(K先生とします)
K先生、なかなかユニークな方で、
怒った時は学校全体が凍るような
超絶こわい先生だったのですが笑、
そうでない時はちょいわるな生徒たちが
周りにまとわりついて離れないみたいな
不思議な人気のある方でした。
けっして愛想はないけど
言葉の端々に知性と笑いのセンスと優しさが
にじみ出るような、、
先生たちの中でも人望がありました。
そんなK先生、毎週学級だよりを出していました。
学級だよりは事務的な連絡というより学級でのできごとや先生の思いなんかを載せる
私的な性格の物だったんですが、
さすが国語の先生、
K先生の学級だよりは他の先生のものよりずっと読みごたえのあるものでした。
ひそかに私も楽しみにしていました。
保護者にもファンがいたように記憶しています。
で。
ある日の学級だよりの文章にびっくりしたことがありました。
一字一句は覚えていませんが、内容はこんな感じ。
自分のできなさ、やる気のなさを、家庭環境のせいにするな。
育った環境をいいわけにしてはいけない。
そんなふうにして人生をむだにするな。
その時の私は
どぇーーーーーー!!
き、きびしすぎ!!!!!と衝撃を受けました。。。
その学校はシングル家庭含め、生活が大変な家庭が多かったのです。
私は正直、こんな家庭環境なら子供もやる気なかったり荒れたりしてもしかたないよな・・・と思ってしまっていました。
恵まれない家庭環境の子に対して「かわいそう」と思っていたのです。
でも考えてみれば
そういうジャッジこそ
彼らにとってはがんばれなくなる原因。
他人からそう思われれば
自分のことをかわいそうな子なんだと思うでしょう。
子供は言葉以外からもびしびし感じ取ります。
主任の言葉は一見超厳しいですが、
家庭環境は選べない、でもそれをいいわけにして一生を棒に振るなんて絶対だめだぞ!というこれ以上ない愛の言葉だったのかもしれません。。
。。。。。ということに最近気づきました。
いや、38を前にして思ったんです。
育った家庭がどんなでも、
自分がうまれつきどんな物を持っていても
どんな人生を歩むかは自分次第じゃん、と。
だれかや何かのせいにし続ける人生は苦しいだけ。
だから、苦しくても、苦しいまま、そこから一歩前へ。
過去は変えられないけど捉え方は変えられる。
過去を重荷にするか糧にするかは自分で決められる。
だからもう原因の分析は終わりで、一歩前へ。
実現したい世界に向けて。
今年はそんな年にしたいです。
今年もよろしくお願いします。笑