昨日の先生の話ですが。
本当に尊敬する先生で、私は大好きなんです。
その先生が講義で話してるときを
思い起こすと・・・たくさんメモ
メモ
書きとめとくのに必死なんすっ

まとめとく。思い出したこと・・・
①傷ついたと言ってはならない!
言ってる自分は同情をしてほしいだけ。同情をもらっても、そんな目で見られるだけ。
「純粋だからすぐ傷つけられる。」っていうのはウソ。不純だから傷つく。
本当の愛で行いをしたときは、傷ついたとか、そんなんは問題にならない。
そして、自分の心の問題である。誰も自分の心を傷つけない。自分がどう感じるか等で自分自身を
痛めつけ傷つけてる。自分が自分にとって関係ないこと!とバッサリ。
自分の心が傷ついたか傷ついてないかを決めるのはあなただ!
みたいな。そんな考え。
②あなたを悪く言う人は、どうせあなたを助けない人
ですので、その人にとやかく言われたとか、他の誰かから「●●が○○とあなたのことを言ってたよ」
と聞くとか、関係ありまっせん!
それが大した内容じゃなかったり、ウソ偽りであるようなときであればあるほど、
どうせ、そんなことを言う人は、あなたが何かあっても助けにならないでしょう!
だから、その部分で悲しんだり、悩む必要なし。
③本当にみじめなのは愛を知らないこと・・・
愛ある行動ができないことがみじめである。
自分が、みじめだとか愚かだと、自分を責めたくなったとき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
信頼していた相手が意外と冷たかったとき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
予想外の展開に、結局自分が悲しい存在だと見えたとき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本当になんで?ってことが人間関係では起こったりする。そのときに、他人のせいにするとイライラ
して眠られない。
けど、けど、けど、ときに「あ~あのとき、私が悪かったかな?」とか思うこともある。
それに「あんなけやったのになぁ~。なぜこんな仕打ちをうけるようなことがある?」
「なんで、こんな意地悪みたいなことを言えるの?????」って本気でへこむこともある。
で、それをつい相手の方に言ってしまう。たとえば・・・
「寂しいです。」みたいなのや、「ごめんねーーー。」とか。
いろいろ、相手が(ここでは男女問わず)好きだから、やっぱ相手との関係をつなぎたいから
自分の想いを伝えて続きを期待する。
でも、そのただでさえツライ、いたい、悲しい状況に さらに追い打ち。
その後、何にも変化なし。 んんんんんんんん? 何この状況みたいな。
まぁ・・・失恋のときの状況がこんなんな気がします。私、失恋したとき、なんか自分がみじめだって
思えてなかなかその気分から脱出できずにいたから。
それとか、思い込みでこの方はきっとこうだ!と信頼していた人が急に態度変わったときとか。
信頼していればいるほど、「あぁ。。。。私はその人に時間も地位もなにもかも
ささげる覚悟で大好きだったのに、なんかみじめ~」と思うのである。
で、長くなりましたが、そのみじめなのが、そうじゃないとき!
第三者の目から見ると、どっからみてもあなただけが悪くない状況のとき、
あなたはみじめなんかじゃない!
あなたがきちんと話をして、誤ったり行動に出したのに、それを無視したりする
相手の愛のなさがみじめであるし、本当の愛を知らないのがみじめなんだと。
そこで私が思うこと
自分は優しくありたい!
で、できる限り