男の徒然  幸せの法則


昨日のランチ会の後

気心の知れた・・・(つまり帰宅が遅くなっても構わない独身たち)

で、中華街でご飯食べた シウマイ


その時にちょっと修三度高く語ってしまった話が

自分の欲求の正しい認識と

それを阻害する価値観の話 武士

 

このブログで多分20回以上言ってると思うんだが

自分が楽に生きる為に必要なのは自分の欲求の認識


自分がどうしたい のか?

それを出来るだけ正しく認識するだけで

普段生活から感じているストレスが大分減るんだよね


こんな話をした


道端で女の子がちょっと怖そうなおにいさんに絡まれていた  ツッパリこども女の子ツッパリ

そこを30前後と思われるおにいさんが通りかかったとする

ところがこのおにいさん、横目で見ながら通り過ぎていく・・・・あせる


この光景の一部始終を見ていたあなたはどう感じる?


きっと多くの人が通り過ぎたお兄さんに理不尽な怒りを覚えると思うDASH!

「なんで助けてあげないの?」

「男のくせに逃げるの?」

「卑怯者、臆病者」    などなど汗


これこそが日本人が根強く持っている儒教倫理なんだよね・・・

この儒教倫理、大切な道徳なんだけど

縛られる事でストレスが無駄に大きくなるもの

そして自分の本当の欲求を押し殺してしまうもの 人差し指


さっきのお兄さんがもし儒教倫理に縛られていたとする

すると彼の脳内では「怖い」という感情が押し殺されるんだ

「怖いから逃げたい」という欲求は無視されて

「助けなきゃ」という倫理観で助けにいくだろう

この時彼に選択肢はない

彼は自分の価値観に元づいて女の子を助けに行く

「おとこらしさ」に縛られて自分の意思はそこにはないよね グー


彼が儒教倫理に縛られていない人だったら?

「怖いから逃げたい」という自分の欲求を認識する

その後で自分の意思で行動を選択する

「見ぬふりして素通りする」 か 「怖いけど助ける」 かだ

もし同じ行動になったとしても

倫理観で強制的に行動した時と

自分の意思で助けに行った時では

感じるストレスが大きく違う 武士


これが自分の欲求を正しく認識する という事

ただしく認識したうえで自分で判断する ポイント

それが生きる上でのストレスの軽減になるので

生きやすくなる


もしあなたが儒教倫理に縛られない判断をするとどうなるのか?

通りすがりのお兄さんがあなたの古い知人で

彼はひ弱で気弱で病弱な男

女の子が絡まれているのに横目でみながら素通りした・・・

どう思う?


そう、彼だからしかたない・・・・だ


これが一般的な儒教倫理に縛られていない時の評価

彼がひ弱なのを知っているので一般的価値観ではなく

彼個人の価値観を汲んであげて評価してる状態


多くの日本人にはいまだに儒教倫理が根づいている

別にその倫理観は否定するものではない

人として生きる上で大切な道徳であり

その行為は「美徳」と呼ばれる行為だったりもする


必要なのは自分の意思を後天的に植え付けられた倫理観に縛られない キラキラ

という事

自分の意思や欲求を倫理観に縛られずにきちんと認識する必要がある

その上で自分の判断で決める

これが大事なんじゃないかな? おしらす


結果としての行動は同じになる事が多い

それは儒教倫理を「美しい行い」だと思ってるから

それはそれでいいんだ

「美しい行い」はおおいに素晴らしい事だと思う

必要なのは

自分で決めたのか? 倫理観に強要されたのか? の違い


自分が本当に ~したい  なのか?

倫理観により ~するべき  なのか?


自分の本当の欲求を惑わされないように生きる

それがきっと幸せへの近道

なんだと思うんだよね     侍