→ 和田不動から
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寺 号■諸嶽山(しょがくさん)總持寺
所在地■神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目1番1号
宗 派■曹洞宗 大本山
霊 場■東海三十三観音霊場初番札所
本 尊■釈迦如来
創 建■伝・行基 伝・奈良時代
参拝日■2013年6月1日
特 記■鶴見大学を運営、徳川幕府の法度により永平寺と並び大本山
仏殿など16件の建造物(登録有形文化財)
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横浜で京急に乗り換え、鶴見で降りました。
總持寺に向かいます。
家の近くの一番大きなお寺なのに、これまで一度も訪れたことはありませんでした。
なぜでしょう?なんとなく苦手意識があったような気がします。
曹洞宗という禅宗の厳しいイメージに緊張していたのかもしれません。
初めての總持寺、度肝を抜きました。
広大です。敷地面積は約50万m²だとか。鶴見駅近くに、こんなに広い敷地があったとは。
正門から入らなかったためか、地図がなく、どこをどう歩けばよいのかウロウロしました。
大きなお堂が並んでいますが、中でもひときわ大きなお堂に行ってみると、大勢のお坊さんが一斉に念仏を唱えていました。
しばらく中で拝聴します。凛とした空気が漂い、荘厳な気持ちになりました。
外では頭に手ぬぐいを巻いて草刈りをしている作務衣姿のお坊さんが何人もおり、その近くでは、ビニールシートを敷いてピクニックをしているグループがいました。
お寺の中でピクニック・・・斬新です。
どの伽藍も大きくて立派。目が泳いでフラフラします。
香積台(こうしゃくだい)という総受付の建物で、日本一の大黒さまにお会いしました。
高さ180センチメートルで、日本一大きい木彫りの大黒尊天だそうです。
私よりもビッグ!
この建物の前には、いかにもな男子学生風の茶髪の若者3人が御朱印帳らしきものを持って談笑していました。
あれっ。珍しいわ。
でも、併設している鶴見大学の学生かもしれません。「御朱印をもらわないと単位やらんぞ」みたいな講義があったりして?
建物の床は磨かれてつるつる。ここで御朱印をいただきました。
もともとこのお寺を参拝したのは、「東海三十三観音巡りを始めよう!」と決めたからです。
ここはその1番寺。
「東海三十三観音の御朱印をお願いします」と言った純に、対応してくれた年配のお坊さんは「時々そう言って見える人が来るけれど、今はどうなのか、自分ではわからない」と言われました。
奥で確認した後に、聖観音の御朱印を書いていただきました。
この東海三十三観音霊場というのは、別に東海地方にあるわけではありません。
京浜地区にあります。
「東海道」という意味なんだそうです。
紛らわしいですが、品川の方には東海七福神がありますし、かつてはそういう地名でまかり通っていたのでしょう。
ただ、今ではかなり廃れてしまっているようです。
今は、自分を見つめる機会として、四国遍路が若者にも流行っていると聞きますが、そういった大きな巡礼ルートばかり脚光を浴びて、かつては全国にあった霊場巡りは、すっかり有名無実化しているようです。
東海三十三観音霊場の中では一番大きなお寺だと思われるここ總持寺自体が、知らないなんて!
情報が手に入るとしたら、ここだと思っていたのに!
かなり動揺しますが、「そんな御朱印は書きません」と断られはしませんでした。
また、「以前は聖観音といったけれど、東日本大震災の慰霊を兼ねて、救世観音と名前を変えて、今年になって場所も移動しました」と教えていただきました。
観音様は、できた後に名前と性質を変えるのもありなんですね~?
私は、お寺の御朱印をいただきました。
この僧侶の手書きの写しとして、純は観音十句、私は般若心経の書かれた紙をいただきました。
中央に書かれている「常濟大師」とは、当山を開山した瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)のことです。
開祖道元と共に宗祖として尊敬されているとのこと。
「いろいろお堂を見て回ったけれど、観音堂は無かったね」と帰り際に気付いた私。
観音様を拝まなければ、観音巡礼になりません。どこかしら?
桜木観音はありました。桜木町での電車事故の慰霊のためだと、純が教えてくれました。
顔ハメパネルも発見。お寺で顔ハメ!?
ピクニックといい、ここにはいろいろなカルチャーショックがあります。
もちろん、参拝記念として(?)顔をはめてみました。
子供用らしく、小さかったため、かなり体をかがめて撮りました。
両手を出すように作られているのを見たのは初めて。
やっぱりこれは、合掌するためでしょうね。
と思ったのに、純は思いっきり両手でピースサインを出していました。
そんなお坊さん、いないよー!
観音堂は見つからなかったので、あきらめて帰りかけます。
大きな仁王門に驚きます。
振り返りざま、銀色に輝く大きな観音像を見かけました。
それが、平成救世観音でした。建設2007年、6mのアルミ製
たしかに、正門から参拝する時によく見える場所に立っていました。
東北方面を向いて設置され、震災犠牲者の慰霊と被災地復興を祈り続けて下さるそうです。
→ 鶴見神明社へ
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寺 号■諸嶽山(しょがくさん)總持寺
所在地■神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目1番1号
宗 派■曹洞宗 大本山
霊 場■東海三十三観音霊場初番札所
本 尊■釈迦如来
創 建■伝・行基 伝・奈良時代
参拝日■2013年6月1日
特 記■鶴見大学を運営、徳川幕府の法度により永平寺と並び大本山
仏殿など16件の建造物(登録有形文化財)
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横浜で京急に乗り換え、鶴見で降りました。
總持寺に向かいます。
家の近くの一番大きなお寺なのに、これまで一度も訪れたことはありませんでした。
なぜでしょう?なんとなく苦手意識があったような気がします。
曹洞宗という禅宗の厳しいイメージに緊張していたのかもしれません。
初めての總持寺、度肝を抜きました。
広大です。敷地面積は約50万m²だとか。鶴見駅近くに、こんなに広い敷地があったとは。
正門から入らなかったためか、地図がなく、どこをどう歩けばよいのかウロウロしました。
大きなお堂が並んでいますが、中でもひときわ大きなお堂に行ってみると、大勢のお坊さんが一斉に念仏を唱えていました。
しばらく中で拝聴します。凛とした空気が漂い、荘厳な気持ちになりました。
外では頭に手ぬぐいを巻いて草刈りをしている作務衣姿のお坊さんが何人もおり、その近くでは、ビニールシートを敷いてピクニックをしているグループがいました。
お寺の中でピクニック・・・斬新です。
どの伽藍も大きくて立派。目が泳いでフラフラします。
香積台(こうしゃくだい)という総受付の建物で、日本一の大黒さまにお会いしました。
高さ180センチメートルで、日本一大きい木彫りの大黒尊天だそうです。
私よりもビッグ!
この建物の前には、いかにもな男子学生風の茶髪の若者3人が御朱印帳らしきものを持って談笑していました。
あれっ。珍しいわ。
でも、併設している鶴見大学の学生かもしれません。「御朱印をもらわないと単位やらんぞ」みたいな講義があったりして?
建物の床は磨かれてつるつる。ここで御朱印をいただきました。
もともとこのお寺を参拝したのは、「東海三十三観音巡りを始めよう!」と決めたからです。
ここはその1番寺。
「東海三十三観音の御朱印をお願いします」と言った純に、対応してくれた年配のお坊さんは「時々そう言って見える人が来るけれど、今はどうなのか、自分ではわからない」と言われました。
奥で確認した後に、聖観音の御朱印を書いていただきました。
この東海三十三観音霊場というのは、別に東海地方にあるわけではありません。
京浜地区にあります。
「東海道」という意味なんだそうです。
紛らわしいですが、品川の方には東海七福神がありますし、かつてはそういう地名でまかり通っていたのでしょう。
ただ、今ではかなり廃れてしまっているようです。
今は、自分を見つめる機会として、四国遍路が若者にも流行っていると聞きますが、そういった大きな巡礼ルートばかり脚光を浴びて、かつては全国にあった霊場巡りは、すっかり有名無実化しているようです。
東海三十三観音霊場の中では一番大きなお寺だと思われるここ總持寺自体が、知らないなんて!
情報が手に入るとしたら、ここだと思っていたのに!
かなり動揺しますが、「そんな御朱印は書きません」と断られはしませんでした。
また、「以前は聖観音といったけれど、東日本大震災の慰霊を兼ねて、救世観音と名前を変えて、今年になって場所も移動しました」と教えていただきました。
観音様は、できた後に名前と性質を変えるのもありなんですね~?
私は、お寺の御朱印をいただきました。
この僧侶の手書きの写しとして、純は観音十句、私は般若心経の書かれた紙をいただきました。
中央に書かれている「常濟大師」とは、当山を開山した瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)のことです。
開祖道元と共に宗祖として尊敬されているとのこと。
「いろいろお堂を見て回ったけれど、観音堂は無かったね」と帰り際に気付いた私。
観音様を拝まなければ、観音巡礼になりません。どこかしら?
桜木観音はありました。桜木町での電車事故の慰霊のためだと、純が教えてくれました。
顔ハメパネルも発見。お寺で顔ハメ!?
ピクニックといい、ここにはいろいろなカルチャーショックがあります。
もちろん、参拝記念として(?)顔をはめてみました。
子供用らしく、小さかったため、かなり体をかがめて撮りました。
両手を出すように作られているのを見たのは初めて。
やっぱりこれは、合掌するためでしょうね。
と思ったのに、純は思いっきり両手でピースサインを出していました。
そんなお坊さん、いないよー!
観音堂は見つからなかったので、あきらめて帰りかけます。
大きな仁王門に驚きます。
振り返りざま、銀色に輝く大きな観音像を見かけました。
それが、平成救世観音でした。建設2007年、6mのアルミ製
たしかに、正門から参拝する時によく見える場所に立っていました。
東北方面を向いて設置され、震災犠牲者の慰霊と被災地復興を祈り続けて下さるそうです。
→ 鶴見神明社へ