ここが今回の私が訪れた最後の地であり、土方さんの最期の地。


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この隣で子供がたくさん遊んでいたし、結構周りに人がいっぱいいたのであんまり感慨にふけることもできなかったのですが…。でも、ここが最期の地。そう思うと悲しみがあふれて、涙を見られたくない私は早々に立ち去るしかありませんでした。土方さんの最期の地に関しては諸説ありますけど、一番有力なのが一本木関門説ですよね。


本当は生きていてほしかった。でも、あなたは最期の最期まで武士だった。そこが私が土方さんに惹かれる一番の理由です。死んでいった何人もの仲間の意志を背負い込んで最期まで戦った土方さん。あくまで私の個人的な考えですけど、彼は仲間のために戦い抜いたんだと。安らかにお眠りください。それしか言えません。






レポもここで終わりです。今書き終わって、改めて今回の旅が終わった気がします。実は、また近々函館に行くんです…。家族旅行とかぶってしまいまして(笑)今度はあくまでも函館を観光したいんですが、きっと私はそれはできないんだろうな。函館に来て土方さんを考えないことなんて出来ません。またロマンチになってきます!!!


最後に、今回訪れた史跡を調べた参考文献を紹介させていただきます。

図説新選組史跡紀行―決定版 (歴史群像シリーズ)/萩尾 農
¥2,100
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新選組史跡事典 東日本編/著者不明
¥8,190
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主にこの二つを参考にさせていただきました。みなさんもお出かけの際は、ぜひ活用してみてください。


長くなりましたが、お読みいただき本当にありがとうございました。

レポが終わらない…。今もせっかく書いたのに、全部消えて意気消沈です。あぁぁぁぁぁ…。自分どれだけ行ったのって今改めて思います。行動力あるのも問題ですね。


さ、気を取り直してレポに参りましょう。お次は高龍寺へ。



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高龍寺は、近くに当時あった箱館病院の分院として、負傷者の手当に当りました。総攻撃の日、新政府軍が現れ、入院していた負傷兵十数人を惨殺し火を放ったといいます。この事件で多数の会津藩兵が亡くなったため、境内に「傷心残目」という碑がのちに建てられました。



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普通にお墓参りの人とかが多かったです。私と同じような年の女の子の観光客もいましたが、思いっきりピースして楽しそうに写真撮ってたのはちょっといただけなかったかな。ここはそんな場所じゃないよって。私はこの碑の前でちょっと手を合わせて、そしてお参りしてきました。






そして、そこから称名寺のお隣にある実行寺へ。


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ここも旧幕軍の死者を祀ったところだとか。当時のものは何もないようなのですが、看板にはその他面白い話も載っていましたし、一応行ってみました。以上で元町付近の散策は終わりです。






本当は行くつもりなかったのですが、時間に余裕があったので函館山に行きました。
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前に来たときは夜だったのであの百万ドルの夜景が見られたのですが、今回は昼間です。昼間もいいですよ。山の上から、今回周ったところが一望できました。あそこが一本木関門で、ここが弁天台場でとか。ちなみに下の写真は、展望台から見た弁天台場付近です。この山から新政府軍は大砲を…とか、他の観光客とは違うことばっかり考えて。台場になりそうなところは、ロープウェイに乗っているときにたくさんありました。





そこからいよいよ五稜郭へ。


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タワーの上からも奉行所が見えて嬉しかったです。その奉行所は、



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オープンは7月29日だそうですが、外だけでも今回見ることが出来て嬉しかったです。また来ますよ。


本当は桜に合わせて…の予定でしたが、全然咲いてなくて。ニュースでやっとたんぽぽが咲いたという話をしていたくらい。そのたんぽぽが五稜郭で私を迎えてくれました。


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まだ咲かない桜の幹にちょっと寄りかかって、しばし妄想する私。ここには恥ずかしいから書かないですけど、五稜郭の端っこで、一人ひっそりと。







次は時間があったら行こうと思っていた、中島三郎助の碑に五稜郭から歩いて行きました。


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中島三郎助は浦賀奉行所与力を務め、ペリー来航時は副奉行として対応しました。北辰一刀流を修めていますが、天保5(1834)年に天然理心流に入門しています。榎本武揚と共に蝦夷に渡り、箱館政府では歩兵頭並、箱館奉行並を務めています。総攻撃では千代ヶ岡陣屋の守備に当り、新政府軍の勧告に応じずに長男・次男と共に徹底抗戦を行いました。千代ヶ岡陣屋は全員討死し、壊滅しました。それをたたえ、碑が建てられ、この付近は現在中島町という地名になっています。千代ヶ岡陣屋は現在の現在の千代台公園と中島小学校一帯にあったそうですが、帰りにここも通りました。



まだ続きます。



最終日三日目は、まずは十字街まで行って、普通に元町を散策しました。以前来たときは、有名な教会などを見ていなかったので。直接箱館戦争とか土方さんとは関係ないですが、昔の建物とか中には箱館戦争時にもあったであろう建物もあったので、ここを土方さんも通ったかなとか妄想しながら暫く散策しました。


坂の上から見る港、遠くの山々、そして教会群。函館らしい景色が広がっていました。


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天気も晴天で、海風が気持ちよく。三日目にして初の晴れでした。そして、そこから今日も史跡巡り開始です。一日目に行けなかったところから。




まずは土方さん来訪の宿と宿泊の地と記録のある場所へ。


一つ目は、大津屋田中正右衛門跡です。大津屋田中正右衛門とは、箱館の問屋で巨富を得ていました。桑名藩家老の酒井孫八郎が、藩主松平定敬を諌めるべく箱館に着いたのが明治元年12月24日。その家老の日記には、「二十九日 一、折々雪夜新選組隊長土方歳三来り面談」と来訪していたことがわかる記述があります。以降も何回も面談している記述があるのですが、縦書じゃないと古文書の記載が難しいので、ここでは省かせていただきます。


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上の写真は、その大津屋があったであろう現在の場所です。これまた何もないんですけどね。函館市大町2丁目付近です。





次は、同じように土方さんが泊った記録のある丁サ跡。佐野専左衛門の店は屋号を万屋、店章は丁サといい、市中取り締まりの任にあった土方さんの箱館市中での宿舎となりました。


実は、『佐藤彦五郎覚え書』にもこの丁サについての記述があります。古文書風に縦書きしたいところですが、「箱館 万屋 大町人 長(専)左衛門 右店江 下宿罷在」と。土方戦死を伝えるべく、明治三年に日野に到着した沢忠助の話の中の内容のようです。その他にも丁サに泊った記述は、『中島登覚書』や新政府軍側の史料にも残されているようです。


その丁サも大津屋に程近い場所にあったようです。今は何の関係もない他人のお宅なので、そのお宅の前を失礼してお写真撮らせていただきました。同じく大町2丁目付近です。詳しい住所はここでは控えさせていただきます。


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お次は能量寺跡。現在の弥生小学校付近だったといわれます。日野の高幡不動の過去帳に「廣長院釈義操 土方歳三事 之ハ箱館 派箱館御坊 乗玄寺内納涼寺建之」とあり、土方さんの碑が建てられたとのこと。この浄玄寺というのが安政五年に建てられたもので、その中の九つの役寺の中の首位が能量寺だったそうです。残念ながら土方さんの碑も能量寺も残っていませんでしたが…。小学校の前に看板があるとのことだったのですが、工事中で見つからず。残念です。結構古そうな小学校でした。


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またかなりマニアな内容になってきちゃいましたね(笑)古文書風に縦書きで書きたいです。全然完結しないですねこのレポ…。今日で終わらせる予定だったのにな。


明日も休みなので、また続きは明日にします。遅くなってごめんなさい。