昨日 実家へ 母の様子をみに行きました。車


私は 仕事を辞めてから 時間に余裕があるのに、

まだまだ調子がよくない日があったり、

『いい娘になるために頑張るのをやめよう』 と思ったりするのもあって

以前のように 父母のお世話ができていません。


帰り際に

「私 頑張れなくて 何もできなくて ごめんね。」 と言うと

父が

「頑張らんで どうする。 頑張らな!!」

と 言いました。


(ノ_-。)


父の一言に すごく反応してしまう私が まだいました。

父にしてみれば

ただの励ましの言葉だったのかもしれません。

きっと そうでしょう。


でも・・・



『私 もう 頑張れないよ。。。』 (ノДT)


帰り道 車を運転しながら 涙が流れました汗汗



小さい頃

母が 私に

「お父さんは 男の子が欲しかったんだよ。」

と言いました。


「ふ~ぅん」 と言いながら 泣きたいくらいさみしかった私。


父は 仕事がとても忙しくて 

私は ほとんど父とは一緒に過ごした記憶がないのに

父と弟が遊んでいる場面は覚えている。


のんびりのろまの私は たまに 父が早く帰ってくると、

「早くしなさい!」と 叱られるのが怖かった。


母に

「お父さんとの結婚は 親が決めた結婚だから・・・

お母さんは あなたたち子供が生きがい 希望なの。」

と言われ

『え~~~!!そんなこと 私に言わないで。。。』

と悲しくて 重荷だと思った私。

あの日 私は

『母のような結婚を 私はしない。』と 心に誓ったはず。



のろまで 泣き虫だった 私は

それでも 頑張って 頑張って


父が許してくれる学校へ行きました。


そして父が喜んでくれる仕事に就きました。


父が喜んでいない 私の恋愛が壊れ

失意の中 「仕事を辞めたい」 と言うと

「仕事は 結婚を決めるまで辞めてはだめだ!!」

と 父が薦めるたくさんのお婿さん候補の中から

旦那さんを選びました。

私は 本当はお父さんのいる家に帰りたかっただけだったのに。。。



結婚してから

旦那さんの難病 義理からのバッシング 災害 会社の危機・・・

怖いことが 次々襲ってきても

そのたびに 私は 頑張って頑張って

今まで 生きてきたよ。


妻として頑張った。母としても頑張った。

主婦としても頑張った。

仕事も 必要に迫られた時だけだけど全力で頑張った。

私の好きな仕事じゃなかったから、

むしろ全力でないと頑張れなかった。


お父さんお母さんのために 娘としても できる限り頑張った。


でも もう頑張れない 私。


どうしても 頑張ることが つらくてつらくて仕方なくて

心屋塾へ行きました。




こんなに長い年月

お父さんの檻が見えなかったなんて。


今更 檻を出るのに 涙が出るなんて

恥ずかしい 情けない私です。


去年よりも 一昨年よりも 幸せになったけれど

まだまだな情けない私が まだここにいますあせるダウン