いつものように戦艦マーリン艦長席で、指揮卓を前にしてブレード・フォン・ラスター……改めブレード・ハートはストレート・ラムを嗜んでいた。
強烈なラム酒にふと、鼻がむず痒くなる。ハートは軽く噴いた。「ふぁんくしょん!」
マーリンは即答した。「お呼びですか、私の閣下。関数(function)を引用されるのは久しぶりですね」
「そのボケには飽きたぞ、マーリン。きみはティッシュを既に用意してあるではないか」
「同盟イゼルローン要塞との戦いは、擬態でしたね。私の閣下の先見性には感服します」
「事実上、決戦が迫る。帝国と同盟、相対する……勝敗は明らかだが。遠征軍としての不利を差し引いても、これは譲れない」
「勝敗が明らかならば、戦わないのが兵法の常道ですが。むしろ同盟軍は領地を放棄し、イゼルローン回廊、要塞に立てこもって応戦された方が優勢は明らかです。ならば互角以上に戦えます……守るべき民衆を見捨てて、ですが」
「それが道義的にも物理的にも不可能なことは知っているだろう?」
「はい。政府に民衆を見捨てたとあれば、軍とは呼べず単なる私戦集団となり、大義を欠きます。物理的にも、要塞に籠るだけなら単なる道端の砂粒同然。帝国は戦わずして守りを固めるだけで、同盟領を支配してその体制を盤石にできます。すると心理的にも、イゼルローンに籠る同盟軍の士気が時間とともに萎えていくのは自明です。むしろ、先見の明があればヤン提督はイゼルローンを放棄しフェザーン方面の援護に向かおうとするのが自然かと」
これはまさに現実であったのだが、サルガッソ・スペースで孤立しているハートにコルセアらは知らない事実であった。現在フェザーン回廊は帝国艦隊が席巻しており、うかつに飛び出たら密偵容疑で撃沈されかねない。
「同盟が帝国……カイザーラインハルトと戦わなければならない理由はただ一つ、政府を中央集権にするか地方分権にするかだけに尽きる。それだけのことで目指すべき宇宙の統一した平和と安寧、加えて自由と権利が可能なら、なにも戦争して殺し合う必要はない。話し合いで折り合えるはず……それが民主主義なら。専制君主制ではこうはいかない。故に戦いは続く……度し難いな」
「故に、閣下やコルセアのような人物が必要なのですよ、宇宙には。コルセア提督と通信開始します」
モニターにコルセアが現れた。ハートは訴えた。「ファクトリーを再構築しなくては。だがそれには莫大な費用がかかる……ひとたび完成したファクトリーは、完全無人自動処理で、金属性アステロイドを採掘しながら設計通りの機器を制作し続けるが。肝心な、ファクトリーをそこまで作り上げるだけの資金が無い。コルセア閣下、フェザーンの経済力はまだ生きているはず。借金できないでしょうか」
サブローは意見した。「フェザーンのやり口は知っているのですか。預金にはたった『年利』3%なのに、借金は『月利』5%。月利を年利に直すと、80%近くにもなる暴利銀行が多半です。そんなフェザーンに借金したら、たちまち火車だ」
「ふむ、それならば我の船を売り払って……コルセア提督、お願いします」
「ハートさん、閣下や提督は止してください、僕は船長だ」コルセアは温和に言う。「それならばヤン基金が使えるかな?」
「ヤン基金?」
「ヤン・ウェンリーの父、交易商人ヤン・タイロンの遺産だ。彼が亡くなったとき、彼の収集していた古美術品は、すべて偽物だったとされた……だからヤン少年は無一文となり、士官学校へやむなく入った」
「ほう……あのヤン提督が不本意に軍人になったといわれますか。にしても、基金とは?」
「若きヤン少年は、フェザーンと同盟の悪徳商人に騙されたのさ。事実は、古美術品の三分の二は本物だった。それを1ディナールの価値もないと嘘を吐き、フェザーンへ売り払われ痕跡を消された。一つで民間人一年分の収入になるような貴重な骨董美術品が、数千点……いまとしては、ヤン提督の私物としての値も追加されるし、陥落したフェザーンからの秘蔵品としても評価される。プレミアとして、原価の十倍、インフレの同盟ならその二倍はするかな? つまり総計で民間人一万人分の年収以上に当たる。もっとも宇宙戦艦一隻の方がおそらくコストはかかるがね。は、戦争なんてくだらない」
ハートは皮肉に笑った。「国力が弱体化した同盟領よりむしろ、ヤン提督の名の響く帝国の富裕層が欲しがりそうだな。芸術提督の異名を持つメックリンガー提督とか、芸術家のパトロンで知られるヴェストパーレ男爵夫人とか」
「ヤン提督を軍人にした功績は、悪徳商人にありってさ。まったく、偽物をこれ見よがしに叩き壊し、昼食費にもならない小銭を『お詫び』として渡すなんて演技すらしながら。人間欲を張ると醜くなるね。とどめに、莫大な額の美術品を「『処分』する費用は免除してやる」なんて恩を売る始末だ」
「コルセア船長は、もしやそれをお持ちで?」
「僕の親が一時的インフレ時、安値で数百点買い占めていた。どれも鑑定書にばっちりヤン・タイロン元所有が明記されてある。当時の仕入れ値の三十倍で売れそうだな、いま帝国はインフレではないというのに。敵最大の知将ヤン・ウェンリー自ら磨いた壺ってね。フェザーンの倉庫にある」
ハートはうなずいた。「了解した。宇宙艦隊を編成する額と比べると微々たるものだが、この基金を人命救助に使うのが理想だ。新たなファクトリーでは宇宙戦艦は作らない。輸送船や旅客船、人工水耕プラント類や医薬品、移植器官の製造に当てる」
「それは理想だね。まあヤン基金の骨董品は、フェザーンの自宅からしばらく取りにいけない。では、このサルガッソ・スペースを抜けどこへ進もうか。適当なアステロイドがあれば良いのだが……地球型惑星並に大きくては、重力的に不向きだろう?」
「月型衛星でもまだ大きすぎますよ。全長三十キロあれば妥当です……要塞並みですが」
話し合いの末、マーリン艦隊はサルガッソ・スペースに残し、ハートは移乗してコルセア号のみで、フェザーンに寄港することにした。貨物は人工タンパクプラントだ。疑いは掛けられないはず。
サブローは自分の数学の腕を砲撃なんかに使われないことに、ひどく安堵していた。自衛ならありうる事態だが。杞憂しても始まらないことは、三年に渡る船旅で承知しているつもりだった。
23 決意
強烈なラム酒にふと、鼻がむず痒くなる。ハートは軽く噴いた。「ふぁんくしょん!」
マーリンは即答した。「お呼びですか、私の閣下。関数(function)を引用されるのは久しぶりですね」
「そのボケには飽きたぞ、マーリン。きみはティッシュを既に用意してあるではないか」
「同盟イゼルローン要塞との戦いは、擬態でしたね。私の閣下の先見性には感服します」
「事実上、決戦が迫る。帝国と同盟、相対する……勝敗は明らかだが。遠征軍としての不利を差し引いても、これは譲れない」
「勝敗が明らかならば、戦わないのが兵法の常道ですが。むしろ同盟軍は領地を放棄し、イゼルローン回廊、要塞に立てこもって応戦された方が優勢は明らかです。ならば互角以上に戦えます……守るべき民衆を見捨てて、ですが」
「それが道義的にも物理的にも不可能なことは知っているだろう?」
「はい。政府に民衆を見捨てたとあれば、軍とは呼べず単なる私戦集団となり、大義を欠きます。物理的にも、要塞に籠るだけなら単なる道端の砂粒同然。帝国は戦わずして守りを固めるだけで、同盟領を支配してその体制を盤石にできます。すると心理的にも、イゼルローンに籠る同盟軍の士気が時間とともに萎えていくのは自明です。むしろ、先見の明があればヤン提督はイゼルローンを放棄しフェザーン方面の援護に向かおうとするのが自然かと」
これはまさに現実であったのだが、サルガッソ・スペースで孤立しているハートにコルセアらは知らない事実であった。現在フェザーン回廊は帝国艦隊が席巻しており、うかつに飛び出たら密偵容疑で撃沈されかねない。
「同盟が帝国……カイザーラインハルトと戦わなければならない理由はただ一つ、政府を中央集権にするか地方分権にするかだけに尽きる。それだけのことで目指すべき宇宙の統一した平和と安寧、加えて自由と権利が可能なら、なにも戦争して殺し合う必要はない。話し合いで折り合えるはず……それが民主主義なら。専制君主制ではこうはいかない。故に戦いは続く……度し難いな」
「故に、閣下やコルセアのような人物が必要なのですよ、宇宙には。コルセア提督と通信開始します」
モニターにコルセアが現れた。ハートは訴えた。「ファクトリーを再構築しなくては。だがそれには莫大な費用がかかる……ひとたび完成したファクトリーは、完全無人自動処理で、金属性アステロイドを採掘しながら設計通りの機器を制作し続けるが。肝心な、ファクトリーをそこまで作り上げるだけの資金が無い。コルセア閣下、フェザーンの経済力はまだ生きているはず。借金できないでしょうか」
サブローは意見した。「フェザーンのやり口は知っているのですか。預金にはたった『年利』3%なのに、借金は『月利』5%。月利を年利に直すと、80%近くにもなる暴利銀行が多半です。そんなフェザーンに借金したら、たちまち火車だ」
「ふむ、それならば我の船を売り払って……コルセア提督、お願いします」
「ハートさん、閣下や提督は止してください、僕は船長だ」コルセアは温和に言う。「それならばヤン基金が使えるかな?」
「ヤン基金?」
「ヤン・ウェンリーの父、交易商人ヤン・タイロンの遺産だ。彼が亡くなったとき、彼の収集していた古美術品は、すべて偽物だったとされた……だからヤン少年は無一文となり、士官学校へやむなく入った」
「ほう……あのヤン提督が不本意に軍人になったといわれますか。にしても、基金とは?」
「若きヤン少年は、フェザーンと同盟の悪徳商人に騙されたのさ。事実は、古美術品の三分の二は本物だった。それを1ディナールの価値もないと嘘を吐き、フェザーンへ売り払われ痕跡を消された。一つで民間人一年分の収入になるような貴重な骨董美術品が、数千点……いまとしては、ヤン提督の私物としての値も追加されるし、陥落したフェザーンからの秘蔵品としても評価される。プレミアとして、原価の十倍、インフレの同盟ならその二倍はするかな? つまり総計で民間人一万人分の年収以上に当たる。もっとも宇宙戦艦一隻の方がおそらくコストはかかるがね。は、戦争なんてくだらない」
ハートは皮肉に笑った。「国力が弱体化した同盟領よりむしろ、ヤン提督の名の響く帝国の富裕層が欲しがりそうだな。芸術提督の異名を持つメックリンガー提督とか、芸術家のパトロンで知られるヴェストパーレ男爵夫人とか」
「ヤン提督を軍人にした功績は、悪徳商人にありってさ。まったく、偽物をこれ見よがしに叩き壊し、昼食費にもならない小銭を『お詫び』として渡すなんて演技すらしながら。人間欲を張ると醜くなるね。とどめに、莫大な額の美術品を「『処分』する費用は免除してやる」なんて恩を売る始末だ」
「コルセア船長は、もしやそれをお持ちで?」
「僕の親が一時的インフレ時、安値で数百点買い占めていた。どれも鑑定書にばっちりヤン・タイロン元所有が明記されてある。当時の仕入れ値の三十倍で売れそうだな、いま帝国はインフレではないというのに。敵最大の知将ヤン・ウェンリー自ら磨いた壺ってね。フェザーンの倉庫にある」
ハートはうなずいた。「了解した。宇宙艦隊を編成する額と比べると微々たるものだが、この基金を人命救助に使うのが理想だ。新たなファクトリーでは宇宙戦艦は作らない。輸送船や旅客船、人工水耕プラント類や医薬品、移植器官の製造に当てる」
「それは理想だね。まあヤン基金の骨董品は、フェザーンの自宅からしばらく取りにいけない。では、このサルガッソ・スペースを抜けどこへ進もうか。適当なアステロイドがあれば良いのだが……地球型惑星並に大きくては、重力的に不向きだろう?」
「月型衛星でもまだ大きすぎますよ。全長三十キロあれば妥当です……要塞並みですが」
話し合いの末、マーリン艦隊はサルガッソ・スペースに残し、ハートは移乗してコルセア号のみで、フェザーンに寄港することにした。貨物は人工タンパクプラントだ。疑いは掛けられないはず。
サブローは自分の数学の腕を砲撃なんかに使われないことに、ひどく安堵していた。自衛ならありうる事態だが。杞憂しても始まらないことは、三年に渡る船旅で承知しているつもりだった。
23 決意