飛竜覚醒の事態を前に、指揮官室でリティンは考えていた。これまでの計略も水泡に帰す、か。勝てないならば痛み分け、敵味方無駄に出血を強いたものだ。養女トリビアはこのあまりの恐怖にうろたえ、身震いしている。

 副官コーズは冷静にリティンに問うた。

「どう対処されましょう、師団長閣下」

「守りを固めるしかなかろう。戦力を分散しては不利だ。ここは我が師団全軍を第一砦に集結させる。他の二つの砦はそれぞれ二個小隊の見張りのみ残して待機。敵を発見次第、戦闘は避けて連絡だけここへ持ち帰るように。攻め込まれても……応戦は可能だろうが、よけいな犠牲というものだ」

 トリビアが意見した。

「他の砦をみすみす敵の手に渡すよりは、破壊した方が賢明かと。火薬を用意されたらいかがでしょうか?」

「ああ、その線は良好だな。どうせ盛り土と土嚢が主な砦、また築くのは容易いし……事前に炸薬を仕掛け、敵が乗り込んできたら爆破するか」

 この発言に、トリビアは悲しげにうつむいた。薬剤師なら殺しの道具としては、爆弾は使いたくなかろう。ほんらいは土木掘削用に作られ、その強力な原液ニトロは心臓病にも用いられたのだ。はるか過去の時代に。

 コーズは先日と同じ爆薬を製造するよう部下に命じた。それから声を暗く落とした。

「閣下……防戦は困難に思われます。ドラゴン相手には。この第一砦は人間の建てた石にレンガの頑強な造りですが、いかな堅牢な砦であろうと、伝説に聞く飛竜の灼熱の吐息の前には無力と聞き及びます」

「いまの時代は氷河期ではないのだ。いずれ春に花は咲く。ただし別の花がな。私はここに散ろうとも……それよりジャキたちの葬儀だ。司祭を呼べ。あいつを殺してしまったとあっては地獄での私の席が狭くなる」

 コーズはこの言葉を受け、後方から司祭を招く手続きをしたため速馬に乗せた。トリビアは不安そうな表情だ。リティンはためらった。いずれ人間が乗り込んで来たら……この娘、私と共に死んでくれた方が幸せだろうか。はっとする。一人で考え込むと、つくづく危険な妄想に走るものだな。

 ふと、声がした。性別は解らない、子供のような純真な高い声。

(『鍵』を受け取りなさい、すべての亜人の王子、鬼士リティンよ。籠の鳥の掟に従い、扉の鍵は貴方のために託されたのです。錠前を開ければ自然、全世界有志の竜の騎士たちが応えてくれます)

 その声は……気付くリティン。伝承のドラゴン、だと?! つまり私に竜騎兵になれと。それも有志が後を続く。一竜騎兵の戦力は千兵に匹敵すると聞く。相手に対抗手段が無いのならば、万兵すら容易く撃退できる!

 リティンはどんな危険に困難が空で遭おうと、銀貨一枚分の取引ほども迷わず即座に声高に宣言した。

「了解した。このリティン籠の鳥の一員として、まさに鍵を受け取ろう。契約だ、きみの姿を見せ名乗ってくれ」

 とたんにガラス窓に日の光が入らず暗くなった。もとから雨なので暗かったのだが、より闇深く。外から野太い低い声がした。

「わたしは飛竜ライター。攻撃力は並みですが、機動性優秀、速度も良好なのが長所です。ただし防御力は無い。一撃でも喰らえばまず即死です。勝てない敵からは逃げてください。逃げられない速度機動性とも勝る敵には勇戦あるのみです」

 窓には、黒銀色の艶やかなウロコの巨大な生き物の顔、巨大な紅い瞳が覗いていた。リティンの腕にすがっていたトリビアは、ついに恐怖したか倒れてしまった。慌てて頭を打たぬよう抱きとめる。女鬼の衛生員を呼び、トリビアを任せる。

 砦はドラゴンの飛来に大騒ぎだった。リティンは一喝して場を抑える。

「うろたえるな、安心せよ、これは我が軍の味方だ!」

 場はとたんに喜びの喝采に湧きかえった。勝利に疑いないと、まさに皆が確信した。堂々たる竜骨器の鎧姿で、悠然と砦のバルコニーから飛竜ライターに乗る。鞍はすでに背に在った。鐙を踏みしめ、皮革のベルトでしっかり身体を固定する。

 記念すべき初飛行に天候は悪いことに雷雲暗雲立ち込める。雨がさんざん打ち付けてくるのが寒いが。

 しかしリティンに不安はまったくなかった。シントにいたころは、戦闘機シミュレーター訓練なら五百時間は受けていた。熟練パイロットなら三千時間は最低必要とされるが。その先輩熟練兵を次々と模擬戦闘で撃ち落とした実績が有る。

 ゆえに空戦の極意は心得ていた。『据え物切り』……。戦敵発見を第一とし、敵に気付かれないで死角から奇襲強襲して撃墜する! 一見騎士道とはよほどかけ離れているが、シントでは戦闘機乗りに栄光のロマンチシズムなど百億クレジットの損と習った。

 リティンは命じた。

「ライター、飛翔せよ! 至近に敵竜がいないか偵察してくれ。移動に速いことと、機会に早いことに越したことはない」

 騎竜ライターはリティンを乗せて高く舞い上がった。軽快な加速度に、身体が締め付けられる。まもなく加速を感じない巡航飛行に移った。打ちつけられる雨を避けるべく、雲の上まで登るよう命じる。

 いささか雲の中は気流乱れて飛行に危うかったが、雲の上に出るととたんに青空広がり、初夏の太陽が燦然と照りつけていた。吹き抜ける風のさわやかさと、太陽の光の温かさが心地よい。

 しかし気を緩めず四方六方を確認する……? 真正面、公国方面に翼影……突っ込んでくる! 敵竜騎兵か。戦慄した。これでは数瞬後に接触する!

 真正面に対峙し、最大速度で突っ込む。二騎の竜騎兵は超高速で交差した。互いに攻撃は仕掛けなかった。あまりの速さに不覚にも、リティンは炎の吐息を使う命令を出せなかったのだ。もっとも、この速さでは当たりはすまい。

 すかさず急速反転する。宙返りだ。敵機の後ろに喰らいつく! しかし敵竜は高速離脱したまま、雲の中へ降下した。どうやらこれは、真っすぐにリティンの指揮下の第一砦へ向かっている。あそこには一万三千もの兵士が詰めている。無防備な後方任務の女鬼も二千名近く。

 リティンはあせった。まずい、追い付けない。なんという速さか。勝てないだと? 力尽くしても守れない、報われない。そんな馬鹿な!

 騎竜ライターは丁重に進言した。

「あれは飛竜ゴーストです。偵察任務主眼の最大の速度に並みの機動性と防御を有し、火力こそ最低ですが、わたしライターには相性が悪い……閣下の砦を攻めると同時に呼吸を合わせて、背後から攻撃することをお勧めします。おそらくまず逃げられてしまうでしょうが……」

 リティンは唇を噛みしめたまま、追撃に移った。敵の攻撃力が弱いという情報に可能性を賭けるしかない。副官コーズなら消火活動に迅速に対応してくれるだろう。トリビア……あの娘が焼き殺されるなど、あってはならない。

 はっと気付く。いままさに、砦ではトリビアが火薬を作っていて……これはいけない! 雷雲の耳をつんざく雷鳴の中、必死にライターを駆った。ライターの気合の咆哮が響き渡った。

 

(続く)

 

後書き とんだ危機の中ですが。圧倒する破壊力の魔物の前には、どれほど人、鬼であれ亜人は無力か……そんな戦にあって個人の力を誇るは愚というもの。答えは……